﻿myTbl = new Array(  // テーブル(月,日,タイトル,本文,alt名，画像名)
03,01,"岡崎公園が「日本さくら名所100選」に選ばれた日だよ。","岡崎の桜名所（さくらめいしょ）といえば、もちろん岡崎公園です。岡崎公園は、江戸幕府（えどばくふ）を開いた徳川家康（とくがわいえやす）公が生まれた岡崎城のある公園です。岡崎公園には、近くを流れる乙川（おとがわ）や伊賀川（いががわ）と合わせて約２千本の桜が植えられ、毎年４月には桜まつりが開かれます。この岡崎公園が「日本さくらの会」によって「日本さくら名所100選」に選ばれた日が、平成２（1990）年３月１日のことでした。公園入り口の大手門近くには、さくらの名所に選ばれたことを示す銘板（めいばん）が設置されています。","","",
03,02,"ジンバブエ共和国にベッドをプレゼントした日だよ。","高隆寺町（こうりゅうじちょう）に岡崎市民病院（おかざきしみんびょういん）があります。この病院は、平成10（1998）年12月に若宮町（わかみやちょう）から移転しましたが、移転に伴い使わなくなったベッドが移転後も旧病院の建物に残されていました。このベッドを、病院用ベッドが不足していたアフリカのジンバブエ共和国へ贈った日が、平成12（2000）年３月２日のことでした。旧病院跡地で行われた贈呈式には、駐日ジンバブエ大使が招かれ、ベッドを運ぶ費用を募金で集めた市民グループ「ジンバブエに病院用ベッドを贈る会」の人たちから、ベッドやシーツなどが贈られました。岡崎市民の温かい気持ちが、海を渡り、多くの人の助けとなりました。","","",
03,03,"岡崎城の「二の丸跡」で発掘調査が始まった日だよ。","岡崎公園内に歴史資料館「三河武士のやかた家康館」があります。昭和57（1982）年11月３日にオープンした家康館は、岡崎城の「二の丸（にのまる）」という場所に建てられました。二の丸とは、城主（じょうしゅ）の住まいがあった場所です。しかし、古い書物には書かれているものの、住まいの場所など、はっきりしたことは分かっていませんでした。そこで、家康館を建てる前に「二の丸」の発掘調査（はっくつちょうさ）を行うこととなり、昭和55（1980）年３月３日から約１カ月かけて調査が行われました。調査の結果、井戸や石組みの跡（あと）などを発見し、かわら・武具（ぶぐ）・食器などが発見されました。はっきりとした「二の丸」の位置はわかりませんでしたが、調査によって城での生活をかいま見ることができました。","","",
03,04,"岡崎市内を通っていた名鉄挙母線が廃止になった日だよ。","名鉄挙母線（めいてつころもせん）は、岡崎市の大樹寺駅（だいじゅじえき）と豊田市の上挙母駅（うわごろもえき）を結んでいた鉄道です。その歴史は古く、大正13年に大樹寺と岩津（いわづ）・岩脇（いわわき）の間で鉄道が開通し、昭和４年に上挙母から岩脇の間でも電車が走り始めました。当時の挙母線は、豊田市から岡崎市の中心部を通って岡崎駅、さらには西尾市につながる鉄道として多くの人が利用しました。昭和41年ごろには、1日の利用者が１万６千人を超える時期もあったと伝えられています。しかし、車の普及と国鉄岡多線（こくてつおかたせん）の開通により利用客が減ることを見こして、昭和48（1973）年３月４日をもって廃止となり、その歴史にまくを下ろしました。","","",
03,05,"河合中学校がホタル養殖で吉川英治文化賞に輝いた日だよ。","山あいの自然豊かな岡崎市には、いくつものホタルの名所があります。河合中学校（かわいちゅうがっこう）周辺もその一つで、生徒たちは地域の人たちといっしょに絶滅寸前（ぜつめつすんぜん）となったゲンジボタルの保護に取り組んでいました。そして、生徒たちはゆずり受けた500匹の幼虫をもとに、みごとに人工養殖（じんこうようしょく）を成功させました。その河合中学校の理科部が、第25回 吉川英治（よしかわえいじ）文化賞というすばらしい賞に輝いた日が、平成３（1991）年３月５日のことでした。河合中学校では、昭和43年から毎年、ホタルの幼虫をエサのカワニナといっしょに学校近くの川に放流（ほうりゅう）する活動を続けています。活動のおかげで、毎年６月には美しいホタルの光を楽しむことができます。","","",
03,06,"六ツ美地区が悠紀斎田に指定された日だよ。","天皇が即位（そくい）した後、初めてとれた新米をささげ、お米がたくさんとれるように祈る儀式（ぎしき）を大嘗祭（だいじょうさい）といいます。この大嘗祭に使用するお米を作る田を斎田（さいでん）といいます。その斎田に碧海郡六ツ美村下中島（へっかいぐんむつみむらしもなかじま）が選ばれた日が、大正３（1914）年３月６日のことでした。名誉（めいよ）ある斎田に選ばれたことでこの地域は「悠紀（ゆき）の里・六ツ美」と呼ばれるようになりました。毎年６月に中島町で行われる「お田植えまつり」では、当時の衣装（いしょう）に身を包み、お田植え唄にあわせ、昔ながらの田植えを再現しています。お田植えまつりに使われた衣類や道具などは、六ツ美市民センターのとなりにある「六ツ美民俗資料館」に展示されています。","","",
03,07,"岡崎市に消防本部が設置された日だよ。","昭和20（1945）年８月、世界中の国々をまきこんだ第２次世界大戦（だいにじせかいたいせん）が終わり、日本の新しい国づくりが始まりました。この中で、日本の消防組織（しょうぼうそしき）も大きく変わり、それまで警察が中心となって行っていた消防の仕事は、各市町村で行うこととなりました。昭和23（1948）年３月７日は、新しい消防組織法が施行（しこう）された日です。岡崎市でも、この日に合わせて市役所の中に消防本部を設置しました。また、昭和24（1949）年４月には、消防本部の中に消防署（しょうぼうしょ）が設置され、さらに昭和26（1951）年４月には、消防署（しょうぼうしょ）の建物が完成しました。","","",
03,08,"せきれいホール前に木村資生博士の銅像が建てられた日だよ。","朝日町（あさひちょう）にある「せきれいホール」前の広場に、一体の銅像（どうぞう）があります。岡崎市出身で世界的な遺伝学者（いでんがくしゃ）である、木村資生（きむらもとお）博士の銅像です。この銅像が建てられた日が、平成10（1998）年３月８日のことでした。木村博士は、大正13年に菅生町（すごうちょう）に生まれ、根石（ねいし）小学校、旧制岡崎中学校（今の岡崎高校）に進み、京都大学で植物について学びました。大学を卒業後は、国立遺伝学研究所（こくりついでんがくけんきゅうじょ）で研究にはげみ、昭和43（1968）年に発表した「分子進化の中立説」が世界の注目を浴びました。この業績が認められ、昭和51（1976）年に文化勲章（ぶんかくんしょう）を受章し、昭和52（1977）年には岡崎市の名誉市民（めいよしみん）に選ばれました。銅像が建てられた場所は、かつて木村博士が学んだ根石小学校があった場所です。","","",
03,09,"関ケ原町から雪のプレゼントが初めて届いた日だよ。","徳川家康（とくがわいえやす）公は、関ケ原（せきがはら）の合戦で勝利し、その後に江戸幕府（えどばくふ）を開きました。そのことを縁と考え、昭和58年に岡崎市と関ケ原町は、「ゆかりのまち」として友好を深め合うこととなりました。その関ケ原町から伊吹山（いぶきやま）の雪が初めて岡崎に届けられた日が、昭和61（1983）年３月９日のことでした。その日、朝早くからトラックに積み込まれた約30トンの雪は、午前８時30分に岡町（おかまち）にある「おかざき世界子ども美術博物館」に運ばれました。待ち受けていた岡崎の子どもたちは大喜びで、雪だるまを作ったり、雪合戦やソリ遊びをしたりしながら大きな歓声をあげていました。このイベントは、今も毎年続けられています。","","",
03,10,"花園工業団地の立地企業が決まった日だよ。","岡崎市北部に花園地区工業団地（はなぞのちくこうぎょうだんち）があります。愛知県企業庁（あいちけんきぎょうちょう）が主体となって、昭和59年度から約７年間かけて整備した市内初の工業団地です。その広さは55.7ヘクタールあり、ナゴヤドーム約12個分の広さです。この工業団地で、工場を営む７つの企業が決まり、愛知県議会（あいちけんぎかい）で発表された日が、昭和63（1988）年３月10日のことでした。その後、各企業は団地内に工場を建設し、今でもたくさんの人が働いています。その後、市内の別の場所でも工業団地が整備され、今では５つの工業団地が岡崎の経済をしっかりと支えています。","","",
03,11,"岡崎公園に竜の噴水広場が完成した日だよ。","三河武士のやかた家康館の南側に、「竜の噴水広場（りゅうのふんすいひろば）」があります。もともと「竜の噴水」は、岡崎城が「竜ケ城（たつがじょう）」と呼ばれていたことにちなんで、昭和32年に公園内にあった小動物園（現在は廃止されています）の入り口付近に設置されました。しかし、昭和55年に「三河武士のやかた家康館」を建てることになったので、この竜の噴水は欠町（かけまち）にある東公園で保管されることとなりました。その「竜の噴水」が11年ぶりに「竜の噴水広場」として復活した日が、平成３（1991）年３月11日のことでした。完成した広場の周りには、モミジやクマザサなどが植えられ、竜の口から吹き出る噴水は、かつての雄姿（ゆうし）そのままです。","","",
03,12,"岡崎市が防災マップを初めて作成した日だよ。","地震が起きたときなどの避難場所（ひなんばしょ）や避難ルートをあらかじめ市民に知ってもらうおうと、岡崎市が防災マップを作成し市民に配布した日が、平成４（1996）年３月12日のことでした。配布したマップには、各地域の避難場所をはじめ、ヘリポート、国や県の防災施設、病院、警察、消防署などが色分けして掲載されました。また、地滑り（ぢすべり）などの危険場所や、過去に浸水（しんすい）した場所なども掲載されました。その後、何度も改訂を重ねてきた「防災マップ」。備えあれば憂（うれ）いなし。ご自宅の防災マップを家族の防災意識向上にお役立てください。","","",
03,13,"ＪＲ西岡崎駅が誕生した日だよ。","新幹線三河安城駅（しんかんせんみかわあんじょうえき）の開業（かいぎょう）に合わせ、昭和町（しょうわちょう）に西岡崎駅（にしおかざきえき）が誕生した日が、昭和63（1988）年３月13日のことでした。西岡崎駅は、人が歩く通路が線路の上にある橋上駅（きょうじょうえき）で、お寺のような大きな屋根や、ガラスを多く使うなどデザインも工夫されています。また、入り口や歩道に「みかげ石」を使ったり、大きな石に「西岡崎駅」の名前を刻（きざ）んで駅前に設置したりするなど、「石のまち・岡崎」のＰＲにも一役かっています。駅の建設費用の一部には、地元市民が「コーヒー一杯運動」で集めた募金約１億円も充てられ、地元市民も待ち望んだ駅の誕生となりました。","","",
03,14,"美術博物館の入館者が70万人に達した日だよ。","高隆寺町（こうりゅうじちょう）の岡崎中央総合公園内に「美術博物館（びじゅつはくぶつかん）」があります。この美術博物館の入館者が70万人に達した日が、平成20（2008）年３月14日のことでした。70万人目の来館者には芳賀徹館長（はがとおるかんちょう）から花束、皿セット、美術博物館のペア招待券などが贈られました。芳賀館長は「これからも面白い企画を続けていきますので、何度も足を運んでいただけるようお待ちしています」と歓迎の言葉を伝えました。70万人目となった岐阜県（ぎふけん）のご夫婦は「初めて岡崎市の美術博物館に来ましたが、70万人目と聞いてびっくりしました」と笑顔で応じていました。","","",
03,15,"琴田宮（琴光喜関）が初土俵を白星で飾った日だよ。","岡崎市出身の力士（りきし）といえば、大関（おおぜき）の琴光喜関（ことみつきぜき）が有名です。アマチュア相撲史上２位となる27個のタイトルに輝き、平成11（1999）年３月場所でデビューしました。デビュー当時のしこ名は、琴田宮（ことたみや）。その琴田宮がデビュー戦となる初日にみごと初白星をあげた日が、平成11年３月15日のことでした。勝利後のインタビューで琴田宮は「学生時代の優勝よりもうれしいです」と笑顔で答えました。その後、平成11年11月場所に新十両（しんじゅうりょう）、平成12年５月場所に新入幕（しんにゅうまく）を果たし、平成13年９月場所で幕内在位（まくうちざいい）7場所というスピードで幕内初優勝を飾りました。さらに平成19年５月場所では、ついに大関に昇進し、ふるさとの星としてさらなる期待がかかります。がんばれ！大関 琴光喜関。","","",
03,16,"旧東海道に二十七曲りの案内記念碑が設置された日だよ。","岡崎城下（おかざきじょうか）の旧東海道（きゅうとうかいどう）は、城の東側の若宮町（わかみやちょう）から城を迂回（うかい）して西側の矢作橋（やはぎばし）まで左右に折れ曲がっていることから、「二十七曲り」と呼ばれていました。たくさんの曲がりくねった道は、岡崎城を敵から攻めにくくするために造られたといわれています。その「二十七曲り」の歴史やルートを説明した案内記念碑（あんないきねんひ）の除幕式（じょまくしき）が若宮町で行われた日が、平成３（1995）年３月16日のことでした。記念碑は岡崎中央ライオンズクラブが建て市へ寄付したもので、高さ1.5メートル、横３メートルほどの黒みかげ石に、二十七曲がりの詳しい説明や地図が記されています。","","",
03,17,"岩津第１号古墳と出土品が愛知県の指定史跡になった日だよ。","市の北部にある岩津第１号古墳（いわづだいいちごうこふん）。古墳時代後期にあたる６世紀後半頃の古墳です。昭和36年に岩津高校郷土史研究部員らによって発掘調査（はっくつちょうさ）が行われ、昭和42（1967）年３月17日に、愛知県の史跡指定（しせきしてい）を受けました。調査のときには、すでに大きくくずれていましたが、長さ約10メートルにわたるいくつもの部屋に別れた横穴式石室（よこあなしきせきしつ）が確認されました。また、古墳の内部からは、人の骨や、装飾品（そうしょくひん）、青銅製（せいどうせい）の鏡、土器類（どきるい）など、100点以上が見つかり、この古墳にまつられた人が朝鮮半島（ちょうせんはんとう）の文化をとりいれた地方豪族（ちほうごうぞく）であったことが分かりました。見つかった資料の一部は、朝日町（あさひちょう）にある郷土館（きょうどかん）に保管されています。","","",
03,18,"県道岡崎設楽線の改良工事が完了した日だよ。","県道岡崎設楽線（けんどうおかざきしたらせん）の改良工事（かいりょうこうじ）が終わり、完成式を行った日が、平成２（1990）年３月18日のことでした。この道路は、市中心部と額田地域（ぬかたちいき）を結ぶ道路です。「少年自然の家の前の道」といえば、分かるかたも多いはずです。この工事で完成したのは、才栗町（さいくりちょう）から岩戸町（いわとちょう）にかけての960メートルで、道路の改良とともに、乙川（おとがわ）をまたぐ「平成大橋（へいせいおおはし）」も完成しました。式典には、地元の秦梨町（はだなしちょう）に住む三代夫婦の「渡り初（わたりぞめ）」や、秦梨小学校の児童による鼓笛演奏（こてきえんそう）などが行われ、道路の完成を祝いました。","","",
03,19,"藤川宿が歴史国道に選ばれた日だよ。","建設大臣（けんせつだいじん）の諮問機関（しもんきかん）である「歴史的な道の整備と活用に関する委員会」が選んだ「歴史国道（れきしこくどう）」。その歴史国道に愛知県内で初めて「藤川宿（ふじかわしゅく）」が選ばれた日が、平成８（1996）年３月19日のことでした。藤川宿は、東海道五十三次（とうかいどうごじゅうさんつぎ）の品川宿（しながわしゅく）から数えて37番目の宿場（しゅくば）です。その藤川宿で歴史国道に選ばれたのは、市の天然記念物（てんねんきねんぶつ）になっている松並木を含む約２キロメートルの区間でした。選定にあたっては、松並木のすばらしさに加えて、藤川宿資料館の運営や、松尾芭蕉（まつおばしょう）の俳句（はいく）によまれたムラサキムギの復活事業など、長年にわたって藤川宿の歴史的まちなみ保存に取り組んできた「藤川宿まちづくり研究会」や地元市民の地道な活動が高く評価されました。","","",
03,20,"乙川噴水が完成した日だよ。","乙川（おとがわ）にかかる殿橋（とのばし）のすぐ下流に、大きな噴水（ふんすい）があります。市制施行70周年の記念として設置した「乙川噴水」です。この噴水の運転を始めた日が、昭和62（1987）年３月20日のことでした。当時、一級河川（いっきゅうかせん）の真ん中に噴水が上がることは珍しく、全国的にも話題となりました。噴水の高さは、９階建てのビルとほぼ同じ高さの35メートル。岡崎城の別名「竜ケ城（たつがじょう）」にちなんで昇り竜（のぼりりゅう）をイメージしています。また、噴水のてっぺんでぶつかり合って四方八方（しほうはっぽう）に飛び散る様子は、三河花火をイメージしたものです。噴水によって乙川に酸素が送り込まれ、水質浄化にも役立っています。","","",
03,21,"「葵博－岡崎‘87」が開幕した日だよ。","岡崎市の市制施行70周年イベント「葵博（あおいはく）－岡崎‘87」。この葵博が始まった日が、昭和61（1987）年３月21日のことでした。総合プロデューサーに漫画家の手塚治虫（てづかおさむ）さんを迎え、５月17日までの58日間で180万人の来場者を数える一大イベントとなりました。中でも、日光東照宮（にっこうとうしょうぐう）のレプリカを展示した東照宮館や、巨大映像（きょだいえいぞう）のアイマックスシアター、岡崎未来館、ワールドバザール館、ワールドレストランなどが人気で、どこへ行っても大変なにぎわいを見せていました。","","",
03,22,"名鉄東岡崎駅南口に中核市移行モニュメントが登場した日だよ。","平成15（2003）年４月１日、岡崎市は中核市（ちゅうかくし）へ移行しました。県内では、豊田市（たよたし）、豊橋市（とよはしし）に次ぐ３市目の中核市で、岡崎市が中核市となったことで、全国の中核市の数は35市となりました。それから約1年後の平成16（2004）年３月22日、名鉄東岡崎駅の南口に中核市移行を記念したモニュメントが完成し、その除幕式（じょまくしき）が行われました。モニュメントのデザインは一般公募され、昭和町（しょうわちょう）在住の石彫刻家（いしちょうこくか）のデザインが選ばれました。デザインには、市の飛躍（ひやく）や発展（はってん）の祈りが込められています。モニュメントの材料には地元産の「みかげ石」が使われ、岡崎石材青年クラブが協力のもと制作されました。","","",
03,23,"矢作川流域関連公共下水道の利用が始まった日だよ。","平成５（1993）年、南部市民センターで矢作川流域公共下水道（やはぎがわりゅういきこうきょうげすいどう）の通水式（つうすいしき）が行われました。すでに、西尾市（にしおし）の一部では下水処理が始まっていましたが、岡崎市としては、この日がスタートとなりました。式典では、当時の中根市長が「遅れていた下水道事業がようやく元年を迎えました」とあいさつし、この日から乙川南部29町にまたがる6330世帯で待望の下水処理が始まりました。現在、岡崎市の下水道普及率（げすいどうふきゅうりつ）は80％を超えるまでになりました。汚水（おすい）の浄化（じょうか）、浸水防止（しんすいぼうし）など、快適な生活に欠かせない下水道の整備が着実に進められています。","","",
03,24,"岡崎城内にビジオラマ「城下町岡崎」を設置した日だよ。","平成４（1992）年、市内は家康公生誕450周年のお祝いムードに包まれる中、岡崎城では10年ぶりの改修工事を行いました。工事では、床を張り替えたり、階段を直したりしたほか、展示品も新しくしました。その目玉が、３階中央に設置したビジオラマ「城下町岡崎（じょうかまちおかざき）」でした。幅2.4メートル、奥行き3.4メートルのボックスの中に、江戸時代後期のまちなみを立体模型で再現したビジオラマ。照明と映像を組み合わせて、石工業（せっこうぎょう）、三河木綿（みかわもめん）などの地元産業をナレーション入りで紹介してくれます。その後、岡崎城は平成20年3月にも改修を行いましたが、このビジオラマ「城下町岡崎」は今も展示されています。","","",
03,25,"徳川家康公生誕450年祭が開幕した日だよ。","平成４年に行われた「家康公生誕450年祭」。その中で行われた「花の岡崎お城まつり」が始まった日が、平成４（1992）年３月25日のことでした。まつりは、この年の12月26日まで続き、数々のイベントが行われました。最終日には、岡崎中央総合公園内の市民球場で、冬の花火大会が行われ、約１万人の市民が普段あまり見ることのできない「冬の花火」を楽しみました。","","",
03,26,"岡崎公園に大手門が完成した日だよ。","国道１号沿いの岡崎公園入り口にそびえ立つ大手門（おおてもん）。岡崎市を代表する公園の玄関（げんかん）にふさわしく、堂々たるたたずまいです。この大手門が完成した日が、平成５（1993）年３月26日のことでした。大手門は高さ11メートル、幅6.4メートル、奥行き6.3メートル。正面の両開きの大きな扉にはヒノキが使われ、両わきの石積みと通路の床には地元産の「みかげ石」が使われています。大手門周辺の城壁（じょうへき）やお堀、散策道（さんさくろ）、せせらぎなどは、県の「ふるさとづくり事業」として整備されました。","","",
03,27,"ハクセキレイが「市の鳥」になった日だよ。","岡崎市の「市の鳥」がハクセキレイ、「準市の鳥」がキジということを知っていますか？　この「市の鳥」や「準市の鳥」を定めた日が、昭和60（1986）年３月27日のことでした。「市の鳥」などは、６種類の候補（ハクセキレイ、キジ、ツバメ、ケリ、ヒバリ、シジュウカラ）」の中から市民投票によって選ばれました。投票数は１万通を超え、第1位となった「ハクセキレイ」が「市の鳥」に、第２位となった「キジ」が「準市の鳥」に選ばれました。どちらも、市内の川や山で見られる身近な鳥です。","","",
03,28,"市立看護専門学校の増改築工事が完了した日だよ。","伊賀町（いがちょう）にある市立看護専門学校（しりつかんごせんもんがっこう）。この看護専門学校で、古くなった校舎（こうしゃ）の建て替えが終わり、完成式を行った日が、平成19（2007）年３月28日のことでした。新しい校舎は３階建てで、１階には120人が利用できるラウンジや、40台のパソコンのある情報処理室（じょうほうしょりしつ）などがあります。また、２階には、人体模型（じんたいもけい）などを展示した全国的にも珍しいフィジカルアセスメント演習室を、３階には一般の家庭を再現した在宅看護実習室（ざいたくかんごじっしゅうしつ）などがあり、専門知識をえるための設備もたくさんあります。看護専門学校の卒業生のほとんどが看護師（かんごし）の道を歩み、市民病院や地元の病院などで働いていす。","","",
03,29,"名鉄東岡崎駅南口に交通広場が完成した日だよ。","岡崎市の中央玄関（ちゅうおうげんかん）といえば「名鉄東岡崎駅（めいてつひがしおかざきえき）」。南の玄関「ＪＲ岡崎駅」と並び、市を代表する駅です。その東岡崎駅の南口に「交通広場（こうつうひろば）」が完成し、完成式を行った日が、平成６（1994）年３月29日のことでした。広場には、バスやタクシーの乗降場所（じょうこうばしょ）を始め、ロータリー、待ち合わせ場所としても最適な「集いのプラザ」などが整備され、日当たりのよい南口周辺の整備によって駅のイメージも大きく変わりました。現在は、東岡崎駅の北口とその周辺を整備するための検討が進められています。より利用しやすい駅への期待が大きくふくらみます。","","",
03,30,"伊賀川に「さくら小橋」が完成した日だよ。","岡崎公園や乙川（おとがわ）と並ぶ桜の名所「伊賀川（いががわ）」。堤防（ていぼう）には約700本の桜の木が植えられています。伊賀川の花見ポイントといえば、花見を楽しむために作られたヒノキ造りの橋「さくら小橋」です。この「さくら小橋」が完成した日が、平成８（1996）年３月30日のことでした。「さくら小橋」は、石神橋（いしがみばし）と猿橋（さるはし）の間にかかる橋で、稲熊町（いなぐま）と石神町（いしがみちょう）を結んでいます。長さは19.5メートル、幅3メートル。今年も、多くの花見客が訪れる桜の季節がまもなくやってきます。","","",
03,31,"六ツ美民俗資料館がオープンした日だよ。","下青野町（しもあおのちょう）にある六ツ美市民センターのとなりに、六ツ美民俗資料館（むつみみんぞくしりょうかん）があります。この資料館がオープンした日が、昭和61（1987）年３月31日のことでした。資料館には、主に「悠紀斉田（ゆきさいでん）」に関する展示されています。「斉田」とは、天皇即位（てんのうそくい）の儀式（ぎしき）「大嘗祭（だいじょうさい）」で使用する新米をつくる田のこと。斉田は、「悠紀（ゆき。東日本地域）」で１カ所、「主基（すき。西日本地域）」で１カ所選ばれることになっています。大正天皇即位（たいしょうてんのうそくい）のときには、中島町（なかじまちょう）の田が悠紀の斉田、すなわち「悠紀斉田」に選ばれました。六ツ美地区では、毎年６月に当時の様子を再現した「お田植えまつり」がひらかれ、「悠紀斉田」を地域の誇りとして今に伝えています。","","",
04,01,"福祉の村が開所した日だよ。","欠町（かけまち）にある「福祉の村（ふくしのむら）」。障がい者やお年寄りが利用する福祉施設が集まった福祉の総合施設です。「福祉の村」建設のきっかけは、昭和49（1974）年に岡崎市が国から「身体障がい者福祉モデル都市」に指定されたことにさかのぼります。当時、指定を受けた岡崎市は、欠町に心身障がい児センターや、老人センターを備えた総合福祉センターを建設し、その後、「福祉の村」へと施設の充実を図りました。この「福祉の村」がオープンした日が、昭和55（1980）年4月1日のことでした。オープン当時の福祉の村は「老人センター清楽荘（せいらくそう）」「知的障がい児療育センター若葉学園」「知的障がい者授産センター希望の家」「身体障がい者センター友愛の家」「福祉の村体育館」の５つの施設でスタートしました。現在は、その後整備した５つの施設と合わせた10施設で様々な福祉事業を行っています。","","",
04,02,"籠田公園が開園した日だよ。","伝馬通り（てんまどおり）沿いにある籠田公園（かごだこうえん）。市中心部の公園として、数々の催しの舞台となる公園です。この籠田公園が開園した日が、昭和32（1957）年4月2日のことでした。籠田公園はもともと、昭和21（1946）年から始まった戦災復興土地区画整理事業（せんさいふっこうとちくかくせいりじぎょう）によって公園用地が生み出され、昭和31（1956）年の都市公園法の制定をきっかけに、都市公園として開園しました。昭和33年には、戦災復興事業の完成を記念して、公園南側（伝馬通り側）に「平和の碑（ひ）」が建設されました。その後、園内には野外ステージが、公園地下には市営地下駐車場が整備され、市中心部の公園として現在も市民の憩いの場となっています。現在、公園の再整備に向けて、市民ワークショップなどが開かれています。","","",
04,03,"大相撲岡崎場所が開催された日だよ。","平成8（1996）年4月3日は、大相撲（おおずもう）の春巡業（はるじゅんぎょう）「岡崎場所」が行われた日です。市内初の巡業場所開催に、会場となった岡崎中央総合公園の総合体育館には4千人の相撲ファンがつめかけました。この日登場した力士は、貴乃花（たかのはな）や若乃花（わかのはな）などの人気力士を含め約250人。横綱の土俵入りも行われました。また、岡崎市相撲連盟の相撲教室に通う小中学生15人が登場し、本物の力士に挑戦しました。力いっぱい立ち向かう姿に場内から大きな拍手と歓声があがっていました。","","",
04,04,"明大寺町商店街にガス灯がともった日だよ。","名鉄東岡崎駅前にある明大寺商店街（みょうだいじしょうてんがい）。この商店街は、市内でも珍しい「ガス灯」のともる商店街として知られています。このガス灯に初めて火がともった日が、平成2（1990）年4月4日のことでした。商店街の魅力アップを目的に設置されたガス灯はイギリス製で、都市ガスを使用。約250メートルの商店街の通り沿いの両サイドに12基設置されました。ガス灯が設置されるまであった古いアーケードもすべて撤去され、大正ロマンを思い起こさせるおしゃれな商店街に生まれ変わりました。","","",
04,05,"岡崎城の復元が完了した日だよ。","江戸幕府（えどばくふ）を開いた徳川家康（とくがわいえやす）公が生まれた城として、全国にその名が知られる「岡崎城」。今も昔も、岡崎市のシンボルです。現在の岡崎城は、明治6年に取り壊されたものを、86年ぶりとなる昭和34年に復元したものです。この岡崎城が完成し、一般公開が始まった日が、昭和34（1959）年4月5日のことでした。総工費５７００万円。約８カ月の工事期間を経て、再びその雄姿（ゆうし）を市民の前に現しました。ちなみに、最上階の展望台（てんぼうだい）にある望遠鏡（ぼうえんきょう）は現在１回100円で利用できますが、当時は10円で１分半楽しむことができました。歴代城主も眺（なが）めたであろう、岡崎の城下町の景色を今も楽しむことができます。","","",
04,06,"市役所で土曜窓口サービスが始まった日だよ。","仕事などで平日に市役所に来られないかたのために、毎週土曜日の午前中に市役所東庁舎１階で「土曜窓口サービス」を行っています。この土曜窓口サービスが現在の西庁舎１階で初めて行われた日が、平成14（2002）年4月6日のことでした。土曜窓口サービスでは、住民票（じゅうみんひょう）の写しや印鑑証明書（いんかんしょうめいしょ）などが受け取れるほか、税に関する証明書なども受け取ることができます。窓口の設置時間は、午前9時～午後0時30分です。","","",
04,07,"六ツ美西部小学校が誕生した日だよ。","市内で42校目、最も新しい市立小学校「六ツ美西部（むつみせいぶ）小学校」が開校した日が、平成9（1997）年4月7日のことでした。六ツ美西部小学校は、市内一のマンモス小学校だった六ツ美北部小から分離・独立し、赤渋町（あかしぶちょう）に建設されました。この日の開校式には、児童、父兄など約900人が出席。児童代表として、当時６年生の安部愛子さんが「クリーム色のきれいな校舎を皆で大切にしたい」と喜びの言葉を述べ、ピカピカの体育館で新しい学校生活のスタートを祝いました。","","",
04,08,"第１回岡崎市民大学講座が行われた日だよ。","教育委員会が毎年開催している市民大学。様々な分野から著名人（ちょめいじん）を招き、人生論（じんせいろん）や成功の秘訣（ひけつ）などを学ぶ、市民のための生涯学習事業です。この市民大学が「岡崎市民大学」として初めて行われた日が、昭和26（1951）年4月8日のことでした。当時としては画期的（かっきてき）な企画で、一流の作家・評論家・学者などが講師となって、年間5～6人が岡崎を訪れました。主に連尺（れんじゃく）小学校や附属中学校で行われ、昭和39年頃まで続きました。その後、10年ほど途絶えましたが、昭和49年に市内の教員を対象に「教育文化大学」として復活。翌年から市民を対象とした「市民大学」と名前を変え、現在に至っています。","","",
04,09,"家康行列の家康役に俳優の松方弘樹さんが登場した日だよ。","「岡崎の桜まつり」のクライマックスといえば、家康行列です。徳川家康（とくがわいえやす）公をはじめ、徳川四天王や大勢の家来たちが市中心部を練り歩く一大イベントです。この家康行列に、家康公役として俳優の松方弘樹（まつかたひろき）さんが参加した日が、平成18（2006）年4月9日のことでした。この年、岡崎市は市制施行90周年の記念の年で、例年と違って市民公募による家康公でなく、知名度抜群の松方さんが登場することになりました。行列の当日は晴天にも恵まれ、過去最多となる45万人の人出でにぎわいました。松方さんは、行列終了後のあいさつで「大役（たいやく）を終えてホッとしました」とユーモラスな一面をのぞかせ、詰め掛けた大勢の市民から大きな歓声と拍手がわきおこっていました。","","",
04,10,"籠田公園に「戦災復興之碑」が完成した日だよ。","籠田公園（かごだこうえん）の南側、ちょうど伝馬通り（てんまどおり）に面したあたりに、「戦災復興之碑（せんさいふっこうのひ）」があります。高くそびえ立って建てられ、一番高いところにハトがいる碑といえば分かるかたも多いはずです。この「戦災復興之碑」が完成し、除幕式（じょまくしき）が行われた日が、昭和33（1958）年4月10日のことでした。この「戦災復興之碑」は、昭和32年度に完了した戦災復興事業を記念するとともに、戦没者（せんぼつしゃ）の慰霊（いれい）のため、愛知県・岡崎市・岡崎戦災復興土地区画整理委員会が合同で建てたものです。碑には岡崎産のみかげ石が使われています。建立から50年以上が経過し、岡崎市の歴史を語る貴重な遺産となりました。","","",
04,11,"岡崎ナンバーの創設を愛知県知事へ初めて要望した日だよ。","街中でよく見かける岡崎ナンバーの自動車。平成18年10月に登場した「ご当地ナンバー」の一つです。導入から2年以上が経過した現在では、市内で登録されている自動車の約3割にあたる6万台以上が岡崎ナンバーを付けて走行しています。岡崎ナンバーを付けた車が全国各地を走ることで、岡崎の名が全国に知られ、まちのＰＲにつながっています。この岡崎ナンバーの創設について、市が愛知県知事に初めて要望書を提出した日が、平成17（2005）年4月11日のことでした。要望を受けた愛知県知事は、その後このことを国である国土交通省に伝え、岡崎ナンバーが実現しました。「岡崎ナンバーを付けた車は運転マナーも良い」と言われるように、心がけていきたいものですね。","","",
04,12,"南部学校給食センターが業務を開始した日だよ。","学校での楽しみの一つに給食があります。温かくて栄養満点の給食は、子どもたちの成長に欠かせない大切なものです。この学校給食を各学校へ届けているのが、学校給食センターです。現在、市内には、北部・東部・西部・南部の四つの給食センターがありますが、このうち４番目のセンターとして定国町（さだくにちょう）に建設した南部学校給食センターで初めて給食が作られた日が、昭和57（1982）年4月12日のことでした。当時、南部地域では宅地化が進み、児童数も増加傾向にあったことから、地元市民にとっても待望の給食センターの完成となりました。","","",
04,13,"岡崎市内の裁判所が明大寺町に移転した日だよ。","明大寺町（みょうだいじちょう）にある「名古屋地方裁判所岡崎支部」と「名古屋家庭裁判所岡崎支部」。美術館の南にある裁判所といえば分かるかたも多いはずです。この二つの裁判所が、康生町（こうせいちょう）から現在の場所へ移転した日が、昭和39（1964）年4月13日のことでした。名古屋地方裁判所岡崎支部は、明治9年に康生町に名古屋地方裁判所岡崎支庁・岡崎区裁判所として設置されたことが始まりです。第２次世界大戦中、岡崎空襲によって建物が焼失し、仮庁舎を建設。昭和22年、裁判所法の施行によって、名古屋地方裁判所岡崎支部となりました。その後、市中心部の整備に合わせて、現在の地に移転したというわけです。","","",
04,14,"中央クリーンセンターが完成した日だよ。","高隆寺（こうりゅうじちょう）にある市営のごみ処理施設「中央クリーンセンター」。岡崎市制施行70周年記念事業の一環として、約90億円かけて建設されました。そのクリーンセンターが完成し、完成式を行った日が、平成元（1989）年4月14日のことでした。中央クリーンセンターのごみ処理能力は１日最大240トン。自動燃焼制御装置（じどうねんしょうせいぎょそうち）や、ごみクレーンの遠隔操作装置（えんかくそうさそうち）など、ごみ処理の自動化や省力化も見据えた最新型のごみ処理施設として現在も活躍している施設です。完成当時は、地元小中学生らの社会見学の場所としても人気で、おしゃれなデザインやしっかりとした衛生管理がなされていたことから、お弁当を食べる場所としても利用され、ごみ焼却場のイメージを大きく変えました。","","",
04,15,"東公園に志賀重昂の「三河男児の碑」が建立された日だよ。","欠町（かけまち）にある東公園の遊歩道を登り、東名高速道路を越して間もなく右手に大きな石碑（せきひ）が見えてきます。近代岡崎が全国に誇るべき文化人・志賀重昂（しがしげたか）が明治22年、西三河の地方新聞「みかは」に発表した「三河男児の歌」を刻んだ石碑です。この碑が東公園内に建てられ、除幕式（じょまくしき）を行った日が、昭和36（1961）年4月15日のことでした。「汝見ずや段戸（だんど）の山は～」で始まるこの歌は、当時の薩長藩政府（さっちょうはんせいふ）に牛耳られている明治の世相を嘆き、三河の風土に育まれた歴史と偉人に思いをはせ、今こそ三河男児が奮起（ふんき）すべしというものでした。除幕式で当時の市長であった太田光二氏は「三河の象徴として偉人・志賀重昂が、青少年に話しかけている思いがする」と述べました。","","",
04,16,"岡崎300年大祭が行われた日だよ。","岡崎300年大祭は、徳川家康（とくがわいえやす）公と本多忠勝（ほんだただかつ）公を祝う祭りとして、忠勝の死後300年にあたる明治43年に行われる予定でした。しかし、明治天皇が亡くなられたことで一旦延期されることとなりました。この岡崎300年大祭が始まった日が、大正4（1915）年4月16日のことでした。この日、岡崎公園内の龍城神社（たつきじんじゃ）では、数百名が参加して礼祭が行われ、岡崎公園内の梅林では大弓の奉納が行われました。また、三河別院で講演会が行われるなど、まちのあちこちで徳川・本多の家紋である三つ葉葵や立葵などを染め出した提灯・造花・彩色旗などが飾られました。","","",
04,17,"徳川家康公が亡くなられた日だよ。","岡崎城で生まれ、戦国の世を平定し、江戸幕府を開いた徳川家康（とくがわいえやす）公。その家康公が亡くなられた日が、元和（げんな）2（1616）年4月17日のことでした。享年75歳。家康公の遺言に従って、久能山（くのうざん）で一旦埋葬された後、江戸増上寺（ぞうじょうじ）で葬儀が行われ、位牌は岡崎市内の大樹寺（だいじゅじ）に納められました。そして、その１年後に日光山に改葬されたといわれています。市内には、大樹寺のほかにも家康公ゆかりの寺院が数多く残っています。また、中央図書館には家康公にまつわる書籍も数多くあります。家康公の一生や足跡など、あらためて学んでみてはいかがでしょうか。","","",
04,18,"岩津小学校にジャンボすべり台が復活した日だよ。","市北部にある市立岩津小学校。その岩津小学校の自慢の一つに「ジャンボ滑り台」があります。ジャンボ滑り台が最初に設置されたのは、昭和49（1974）年ごろ。校庭隅にある「がんばり山」の斜面を利用して、全長20メートルを超える滑り台が設置されました。その後、30年以上にわたって児童らに愛されてきた滑り台は、老朽化を理由に平成16年から使用禁止となり、修理か解体かで、関係者を悩ませていました。しかし、当時の校長先生やＰＴＡ役員らの努力によって、滑り台は改修されることになりました。その滑り台の改修が完了し、完成式が行われた日が、平成18（2006）年4月18日のことでした。子どもたちにとっては、長くて、少し怖い滑り台。でも、勇気と自信を与えてくれる「魔法の遊具」です。","","",
04,19,"岡崎都市計画区域が決定した日だよ。","まちづくりを進める上で重要な「都市計画」。まちの将来を見据えて「土地利用」や「施設整備」などを考える指針となるものです。都市計画の仕組みや内容は、都市計画法によって定められています。この法律の適用を受け、岡崎市が初めて都市計画区域の指定を受けた日が、大正15（1926）年4月19日のことでした。岡崎市は、周辺の美合村、岩津村、六ツ美村などといっしょに都市計画区域の指定を受けましたが、そのことが一つのきっかけとなり、昭和中ごろまで活発化した市町村合併につながっていきました。平成に入り、岡崎市は隣接する額田町と合併しましたが、現在、その旧額田町地域の都市計画についても調整・検討が進められています。","","",
04,20,"おかざき農遊館がオープンした日だよ。","東阿知和町（ひがしあちわちょう）にある「おかざき農遊館」。地元産の新鮮でお値打ちな野菜、果物、花、米、シイタケ、卵などの農産物がずらりと並び、週末を中心に、にぎわいの絶えない人気施設です。この「おかざき農遊館」がオープンした日が、平成8（1996）年4月20日のことでした。値札に張られているのは、生産者の名前。生産者の顔が見えることで、商品に親しみと安心感が生まれます。最近注目されている「食育」や「地産地消」の原点がそこにあります。","","",
04,21,"勤労青少年ホームがオープンした日だよ。","上六名（かみむつな）3丁目にある勤労青少年（きんろうせいしょうねん）ホーム。働く青少年が余暇（よか）や休日を楽しく有意義に過ごすための施設です。この勤労青少年ホームがオープンした日が、昭和44（1069）年4月21日のことでした。勤労青少年ホームでは、英会話や料理といった教養講座はもちろん、スポーツや音楽、ボランティアといった自主グループ活動もあります。ほかにも、スポーツ交流会、作品展、クリスマスパーティなどのイベントも開催しています。若い世代のかたにとっては、いろいろな職種のかたと知り合うチャンスの場です。詳しくは、勤労青少年ホーム、電話0564-51-4104へお問い合わせください。","","",
04,22,"心の相談「ハートピア岡崎」がスタートした日だよ。","不登校やその傾向にある子どもたち、またはその保護者や教師から相談を受け、様々な助言や指導をしている施設「ハートピア岡崎」。このハートピア岡崎が、本宿町（もとじゅくちょう）の「働く者の山の家」でスタートした日が、昭和60（1985）年4月22日のことでした。当時、こうした施設を市が運営することは珍しく、全国初の試みとなりました。「ハートピア岡崎」は、現在も電話などによる相談を受け付けています。電話番号は0564-48-4848。相談日時は火曜日から日曜日の午前9時から午後5時30分までです。ひとりで悩まず、まずは相談してみてください。","","",
04,23,"あじさいの里モニュメントが完成した日だよ。","福岡町（ふくおかちょう）の福岡郵便局近くに「あじさいの里モニュメント」があります。まちの活性化のシンボルとして建てられたものです。このモニュメントが完成し、除幕式（じょまくしき）が行われた日が、平成6（1994）年4月23日のことでした。モニュメントは、みかげ石製の高さ2.5メートルの三角錘（さんかくすい）で、3つの面にそれぞれアジサイの花をあしらったデザインが特徴的です。福岡中学校など町内で広くアジサイが栽培されているのをヒントに、百々町（どうどちょう）在住の倉橋三男さんが考えたデザインです。","","",
04,24,"東名高速道路に岡崎インターチェンジが開通した日だよ。","東名高速道路の小牧（こまき）～静岡（しずおか）間の開通により、岡崎インターが誕生しました。この岡崎インターの一部が使用できるようになり、その開通式が行われた日が、昭和43（1968）年4月24日のことでした。岡崎インターは、国道１号との接続しているため、愛知県内のインターの中ではトラックの利用が多いのが特徴です。東名高速道路が全線開通した昭和44年には一日平均約9千台の利用があり、その後も通過車両台数は増え続け、現在は当時の約3倍となる2万7千台以上が利用しています。","","",
04,25,"駐車場案内システムが稼働をはじめた日だよ。","市中心部の主要道路で目にする駐車場案内システム。国道1号が走る市中心部の駐車場の空き状況が一目で分かる電光掲示板です。この駐車場案内システムが完成し、国道１号脇の歩道で掲示板の点灯式を行った日が平成6（1994）年4月25日のことでした。総工費は8億円。22基の電光掲示板を設置し、14カ所の駐車場の空き状況や警察から送られる道路の渋滞状況をドライバーに知らせ、その状況はケーブルテレビでも知ることができる、全国的にも珍しいシステムとして注目を集めました。","","",
04,26,"岡崎勤労文化センターがオープンした日だよ。","美合町（みあいちょう）にある勤労文化（きんろうぶんか）センター。勤労者をはじめ、市民福祉の向上を目的とした施設です。館内には、300人収容のホールをはじめ、50～60人規模の研修室や集会室が合わせて4室、他にも和室や喫茶室などがあります。この勤労文化センターがオープンした日が、昭和63（1988）年4月26日のことでした。オープンから20年以上が経過した現在も、年間約２千件の利用があります。利用申込は、電話0564-53-4163へ。休館日は月曜日です。","","",
04,27,"「岡崎市の自然環境」を発行した日だよ。","自然環境の保護に関心が集まる中、岡崎市では平成6年から4年間かけて、市の自然環境保全基礎調査を行いました。400人以上の市民が参加して行われたこの調査によって、1500種以上の暮らしに身近な動植物の実態があらためて明らかとなりました。この調査の結果をまとめ、冊子にしたのが「岡崎市の自然環境」で、平成10（1988）年4月27日に発行されました。このような大規模な調査は当時としては全国的にも珍しく、調査を通して自然環境に親しみ、考えようとする市民の取り組みが高い評価を受けました。","","",
04,28,"本多光太郎博士が第１回文化勲章を受章した日だよ。","碧海郡新堀村（へっかいぐんにいぼりむら）、いまの新堀町（にいぼりちょう）に生まれた、近代日本を代表する鉄鋼学者・本多光太郎（ほんだこうたろう）博士。東京帝国大学卒業後、ヨーロッパへ留学し、磁気学を学んだ光太郎博士は、帰国後、東北帝国大学教授に就任。同大学の金属材料研究所所長などをつとめながら、研究を続けました。中でも、大正5年には、それまでの4倍の強さを持つＫＳ磁石鋼（じしゃくこう）を、昭和8年にはさらに強力な新ＫＳ磁石鋼を発明。まさに、「鉄鋼の父」と呼ばれるにふさわしい人物でした。その本多博士が第１回文化勲章を受章した日が昭和12（1937）年4月28日のことでした。欠町（かけまち）にある東公園には、本多博士が少年時代を過ごした勉強部屋が移築され、自由に見学することができます。","","",
04,29,"岡崎市歌が発表された日だよ。","皆さんは、岡崎市の歌、岡崎市歌をご存知ですか？「♪雲に輝く龍城（りゅうじょう）の～♪」で始まる岡崎市歌。この歌が発表された日が昭和12年4月29日のことでした。岡崎の市歌が最初につくられたのは、大正5年の市制施行の年でした。その後、市制20周年を前に、昭和10年に新しい市歌を公募。同じ頃、岡崎中学と師範学校の先生にも市歌をつくるようにお願いしました。しかし、いずれも採用されることはありませんでした。そこで、作詞・北原白秋（きたはらはくしゅう）、作曲・山田耕筰（やまだこうさく）という当時の第一人者に依頼し完成したのが、この歌です。毎年7月1日に開催する市制施行記念式や、元旦に開催する新年交礼会などで歌われています。","","",
04,30,"ＯＫＡＺＡＫＩメディアアドベンチャーが開幕した日だよ。","平成8（1996）年、岡崎市は市制施行80周年の年を迎えました。「ＯＫＡＺＡＫＩメディアアドベンチャー」は、この年の記念事業として4月30日から5月6日までの7日間、岡崎中央総合公園で行われました。テーマは「情報が開く快適生活・快適都市」。20年後の岡崎市を紹介した「バーチャルモール」を中心に、マルチメディアの世界を分かりやすく紹介した一大イベントとなり、期間中27万5千人の来場者を数えました。あれから10年以上経った現在は、身の回りの情報はインターネットやメールなどから取得できるようになり、情報関連技術は毎日のように進化を続けています。","","",
05,01,"東公園に動物舎が完成した日だよ。","欠町（かけまち）にある東公園（ひがしこうえん）。動物園や菖蒲園（しょうぶえん）などで知られ、一年を通して家族連れなどでにぎわう公園です。この東公園に、動物園（当時は小動物園と呼びました）が開園した日が、昭和58（1983）年５月１日のことでした。開園当時、動物園にはインドゾウの「ふじ子」をはじめ、ニホンザル、鳥類など、33種類の動物が集められました。中でも、この地方ではめったにお目にかかれない中国の鳥「ショウジョウトキ」が注目を集めました。開園当日は、市民ら730人が参加してオープニングセレモニーを行い、新しい市民の憩い場誕生を祝いました。","","",
05,02,"岡崎中央総合公園入口に記念碑「21世紀」が建てられた日だよ。","高隆寺町（こうりゅうじちょう）にある岡崎中央総合公園。その西口に大きな碑（ひ）があります。高さ８メートル、重さ約80トンのみかげ石を使ったこの碑の名前は「21世紀」。公園の建設を記念して岡崎ライオンズクラブが市へ寄贈（きぞう）したものです。この記念碑が建てられ、除幕式（じょまくしき）を行った日が、平成２（1990）年５月２日のことでした。碑を制作したのは、上和田町（かみわだちょう）在住で二科展会員の石彫家　石田栄一さん。太陽のように熱い心、永遠への夢と希望を抱く人々をテーマに心をこめて創られました。","","",
05,03,"第１回ファミリーフェスタin中総を開催した日だよ。","ゴールデンウィーク真っ盛り。市内のあちこちで、いろいろなイベントが連日開かれています。高隆寺町（こうりゅうじちょう）にある岡崎中央総合公園でも、５日にファミリーフェスタin中総を開催します。このファミリーフェスタin中総が初めて開催された日が、平成４（1992）年５月３日のことでした。10回目となる今年は、アニメ映画「ケロロ軍曹」の上映や、体育館や野球場を使った楽しいイベントがいっぱいです。詳しい時間や内容、料金などは公園管理事務所（℡0564-25-7887）へお問い合わせください。","","",
05,04,"おかざき世界子ども美術博物館がオープンした日だよ。","岡町（おかまち）にある「おかざき世界子ども美術博物館」。美術作品にふれる楽しみと、自分自身でつくる喜び。この２つを同時に感じることのできる子どものための美術博物館（びじゅつはくぶつかん）が、おかざき世界子ども美術博物館で、この美術博物館がオープンした日が、昭和60（1985）年５月４日のことでした。オープン時には、世界各国の子どもたちの絵などを一同に展示するために、97カ国から約１万７千点の作品が集められました。現在、おかざき世界子ども美術博物館では、「長くつ下のピッピ展」を開催中です。親子造形センターの作品づくり体験とあわせて、連休中のお出かけスポットとしてご利用ください。","","",
05,05,"東公園にミニチュアホースに赤ちゃんが誕生した日だよ。","欠町（かけまち）にある東公園（ひがしこうえん）の動物園にミニチュアホースがいるのを知っていますか？このミニチュアホースに初めて赤ちゃんが産まれた日が、平成４（1992）年５月５日のことでした。赤ちゃんの両親は、平成元年に、人口30万人達成を記念して名古屋市の企業から贈られた、白毛のオス“プリンスハル”と、栗毛（くりげ）のメス“マリエッタ”。待望（たいぼう）の赤ちゃんは、体重9.5キロ、体長43センチのメスで、母親“マリエッタ”と同じ栗毛でした。生まれた次の日には、すでに自分の力で立ち上がり、元気におっぱいを飲んでいたということです。この愛らしいミニチュアホースの名前は、公募で“プリマ”と名づけられました。現在も、東公園には３頭のミニチュアホースが飼育されています。","","",
05,06,"桑谷山荘に展望風呂がオープンした日だよ。","山綱町（やまつなちょう）にある市民休養施設「桑谷山荘（くわがいさんそう）」。四季折々（しきおりおり）の料理や、三河湾（みかわわん）を一望できる展望風呂（てんぼうぶろ）が人気の宿泊施設（しゅくはくしせつ）です。この桑谷山荘の展望風呂が完成し、オープンした日が、昭和57（1982）年５月６日のことでした。もともと桑谷山荘のお風呂は施設の１階にありましたが、施設も古くなったことから眺めのよい２階に建設することとなりました。展望風呂は、宿泊のほか、日帰りでも利用できます。日帰りの場合は、大人420円、子ども210円、３歳未満は無料です。６月にはアジサイが見頃を迎えます。桑谷山荘の料理や、様々な企画プランは、市政だよりでも掲載しています。","","",
05,07,"常磐東学区こどもの家が完成した日だよ。","子どもたちの健全な遊び場、地域住民の健康づくり施設、それが「学区こどもの家」です。施設には、バレーボール１面分のコートをとることができるレクリエーション室と造形図書室（ぞうけいとしょしつ）があります。学区こどもの家は、昭和60年度から小学校区単位で建設を進めてきました。そして、平成３（1991）年５月７日は、常磐東学区（ときわひがしがっく）こどもの家が27館目としてオープンしました。現在は、市内に42館の学区こどもの家があります。","","",
05,08,"家康館入場者が４００万人を突破した日だよ。","昭和57年11月、岡崎公園内の旧岡崎城二の丸跡にオープンした「三河武士のやかた家康館」。その入場者が400万人を突破した日が平成８（1996）年５月８日のことでした。400万人目となったのは、滋賀県彦根市（しがけんひこねし）から旅行で岡崎を訪れた西川さん。記念の“家康かぶと”を贈られ、「家康館は初めて。このような経験も初めて。大変うれしいです」と話していました。家康館は、徳川家康公をはじめ三河武士団の功績（こうせき）や人間模様を、鎧（よろい）や兜（かぶと）、刀、古文書（こもんじょ）、絵などで紹介した歴史資料館。平成18年3月には、リニューアルオープンにより展示資料も一新され、現在も市内観光の目玉の一つとして多くの人々が訪れています。","","",
05,09,"本多光太郎博士の銅像が市民会館前に建てられた日だよ。","岡崎市出身で、「鋼鉄（こうてつ）の父」として知られる本多光太郎博士。ＫＳ磁石鋼（じしゃくこう）を発明するなどの功績（こうせき）を残し、昭和12年に第１回文化勲章を受章しました。その本多博士をたたえるために、市民会館前に銅像（どうぞう）が建てられ、その除幕式（じょまくしき）を行った日が、昭和50（1975）年５月９日のことでした。当時、設立15周年を迎えた岡崎ライオンズクラブから贈られた寄付金をもとに建てられたこの銅像は、高さ2.3メートルで、市内の彫刻家　鈴木基弘さんが制作しました。この日行われた除幕式には、本多博士の家族や親戚（しんせき）なども出席し、銅像の完成を祝いました。","","",
05,10,"少年自然の家が完成した日だよ。","須淵町（すぶちちょう）にある少年自然の家。山あいに囲まれた自然豊かな環境で子どもたちがのびのびと活動できる施設です。この少年自然の家が完成し、完成式を行った日が、昭和52（1977）年５月10日のことでした。宿泊棟やキャンプ場は２００人を同時に収容できる大規模なもので、オープン当初は、市内の小中学生が年１回、２泊３日の生活を体験しました。現在は、小学５年生が宿泊で利用しているほか、子ども会や家族連れなどグループ利用も盛んです。野外活動を通して、社会や集団のルール、自然や生き物の大切さ、友達とのきずなの大切さなどを学んでいます。","","",
05,11,"岡崎巨峰酒ワインを発売した日だよ。","岡崎の特産品の一つにブドウがあります。駒立町（こまだちちょう）を中心とした観光ブドウ園には、夏季を中心に大勢の家族連れなどでにぎわいます。この岡崎産のブドウを使った「岡崎巨峰酒ワイン」が発売された日が、平成元（1989）年５月11日のことでした。発売したのは、地元のブドウ農家が集まった「岡崎市果樹振興会（おかざきしかじゅしんこうかい）」。一度刈り取られてしまったブドウは、商品価値も低くなることから、資源を有効活用するためにワインづくりに挑戦したというわけです。ワインボトルのラベルには、当時の中根市長が描いた絵が施され、市をあげて岡崎の新しい特産品である駒立ブドウワインのＰＲに努めました。","","",
05,12,"第１回岡崎市オリエンテーリング大会を開催した日だよ。","皆さんは、オリエンテーリングというスポーツをご存知ですか？　地図上に示されたいくつかの地点をできるだけ短時間に探し当てて回る競技です。健康に関心が高まる中、オリエンテーリングを通じてウオーキングを楽しむかたが増えています。このオリエンテーリングをみんなで楽しもうと、第１回岡崎市オリエンテーリング大会を欠町（かけまち）の東公園で開催した日が、昭和49（1974）年５月12日のことでした。現在もこの大会は春と秋に年２回開催され、市民の健康づくり支えています。","","",
05,13,"人口30万人目の赤ちゃんに記念品を贈呈した日だよ。","平成元（1989）年４月８日に岡崎市の人口が初めて30万人を超えました。この記念すべき30万人目の幸運に輝いたのは、美合町（みあいちょう）在住のご夫婦の間に生まれた女の赤ちゃんでした。５月13日は、このご夫婦と赤ちゃんを市役所へ招き、当時の中根市長から記念として人形がプレゼントされた日です。現在、岡崎市の人口は約37万人。記念すべき40万人目まであと少しですね。","","",
05,14,"岡崎市の上空に米軍機が飛来し、洞町一帯が投弾を受けた日だよ。","昭和20年は、岡崎市にアメリカの戦闘機「Ｂ－29」が数多く飛来した年です。その年の１月５日、１月９日、そして今日、５月14日にも洞町（ほらまち）が投弾（とうだん）を受けました。そして、７月20日未明、Ｂ－29約120機による「岡崎空襲」へと続いていきました。伝馬通（てんまどおり）沿いにある籠田公園（かごだこうえん）には、“平和の碑（ひ）”が建っています。昭和33年４月、岡崎市戦災復興土地区画整理事業完成に伴い建てられた“戦災復興之碑”（せんさいふっこうひ）のことですが、この碑をいつまでも大切にし、平和を望む心を持ち続けたいものですね。","","",
05,15,"矢作地区でイチゴ狩りが始まった日だよ。","岡崎のいちご栽培は、戦前、大門（だいもん）地区を中心に始まりました。戦後には、水田裏作（すいでんりさく）の有利な作物として、矢作（やはぎ）地区全般に広がりをみせました。本格的な栽培はその頃からで、技術開発や研究も進み、イチゴが盛んに栽培されるようになりました。そして、東大友町（ひがしおおともちょう）と中園町（なかぞのちょう）の農家を中心に、名鉄とタイアップした「矢作のイチゴ狩り」がスタートした日が、昭和32（1957）年５月15日のことでした。受け入れ農家の事情により、現在、イチゴ狩りは行われていませんが、矢作地区は今もイチゴの生産が続けられています。","","",
05,16,"岡崎市勤労者共済会が設立された日だよ。","中小企業（ちゅうしょうきぎょう）で働く人々の福祉事業（ふくしじぎょう）などを行っている財団法人　岡崎市勤労者共済会の設立総会が行われた日が平成２（1990）年５月16日のことでした。もともと勤労者共済会は、任意団体として事業を行っていましたが、この日を境に、財団法人となりました。美合町（みあいちょう）にある岡崎市勤労文化センターに事務所を置き、中小企業で働く人たちの健康づくり、生涯学習、生きがいづくりなどの事業を行っています。現在、700を超える事業所が加盟し、年間約７千人の勤労者が様々な事業を利用しています。","","",
05,17,"花園高齢者生きがいセンターが完成した日だよ。","高齢者が助け合いながら働く施設「花園高齢者生きがいセンター」。このセンターが恵田町（えたちょう）の花園工業団地（はなぞのこうぎょうだんち）近くに建設され、その完成式を行った日が、平成３（1991）年５月17日のことでした。隣接する工業団地の工場からも仕事の委託を受け、オープン当初は約30人の人々がこのセンターでの仕事に就きました。当時、工業団地と連携した福祉工場は県下でも珍しく、話題となりました。現在も、工場の部品加工をはじめ、工業団地内の庭園管理、清掃などを行っています。同センターへの就業を希望されるかたは、電話0564-45-8306で相談に応じています。","","",
05,18,"岡崎中央総合公園にある市民球場の完成式を行った日だよ。","高隆寺町（こうりゅうじちょう）にある岡崎中央総合公園。体育館や武道館、野球場などを備えた市内最大規模の運動公園です。その岡崎中央総合公園で、硬式野球のできる球場として「市民球場」が建設され、その完成式を行った日が、平成３（1991）年５月18日のことでした。本塁から両翼フェンスまでが99.1メートル、本塁から中堅が126メートルと、グラウンドの広さは当時、国内最大級。新聞などで「ナゴヤ球場よりも大きな野球場が岡崎に誕生」と書かれるなど、話題を呼びました。球場のこけら落しは、この年の５月26日に行われたプロ野球・中日ドラゴンズＶＳダイエーホークスのウエスタンリーグ公式戦。中日ドラゴンズの落合監督も選手として出場するなど、内野席８千人、芝生の外野席に１万２千人と、満員札止めとなりました。","","",
05,19,"農業バイオセンターに新しい研究施設が完成した日だよ。","東阿知和町（ひがしあちわちょう）にある農業バイオセンター。農業技術の研究・開発を通して、より生産性の高い農林産物を作ることを目的とした市内農林業の拠点施設です。このセンターに、新しい施設「バイオ研究施設」が完成し、完工式を行った日が、平成６（1994）年５月19日のことでした。現在も、この施設では、バイオテクノロジーを利用した花き類、野菜、果物などの新しい品種の開発をはじめ、ウィルスフリー苗の育成、大量増殖方法などの研究・開発が行われています。すでに、ササユリの開花を２年近く短くするなど、様々な成果もあげています","","",
05,20,"第19回全国城下町シンポジウムを開催した日だよ。","全国の城下町（じょうかまち）にある青年会議所の会員が一同に集まり、まちづくりなどについて話し合う「全国城下町シンポジウム」。このシンポジウムを初めて岡崎で開催した日が、平成12（2000）年５月20日のことでした。シンポジウムは、高隆寺町（こうりゅうじちょう）にある岡崎中央総合公園武道館で２千人が参加して行われ、西暦2000年という節目の年に行われるシンポジウムを城下町の再発見、再出発につなげようと活発な話し合いが行われました。シンポジウムは、岡崎中央総合公園のほか、岡崎公園にある岡崎城二の丸能楽堂などで延べ３日間にわたり行われました。","","",
05,21,"岡崎の地方紙「東海タイムズ」が発刊された日だよ。","みんなの家には、朝になると新聞が届いていますか？　いろいろな種類の新聞がありますが、みんなの家は何新聞ですか？　話は変わって、昭和30年代に「東海タイムズ」という新聞がありました。週刊の岡崎の地方紙として、その紙面内容は随筆（ずいしつ）や書評（しょひょう）が中心の、いわゆるミニコミ紙的なものでした。この「東海タイムズ」が発刊された日が、昭和31（1956）年５月21日のことでした。発行部数は500程度で、主に岡崎と豊田で発行していましたが、昭和57年に月刊となり、その後の昭和60年に編集者の高齢化や読者層の減少などを理由に廃刊となりました。","","",
05,22,"岡崎のメダリスト“左右田秋男さん”が銀メダルを市へ寄贈した日だよ。","昭和７（1932）年。この年は、アメリカでロサンゼルスオリンピックが開かれた年です。このオリンピックにホッケーの日本代表選手として出場し、みごと銀メダルを獲得したのが、福寿町（ふくじゅちょう）在住の左右田秋男さんでした。当時、早稲田大学のホッケー部で主将を務めていた左右田さんは、フルバックとして代表チーム入りし、決勝でインドに敗れたものの、日本チームの躍進（やくしん）に貢献（こうけん）しました。その時に獲得（かくとく）した銀メダルを左右田さんが市に寄贈（きぞう）した日が、昭和51（1976）年５月22日のことでした。メダルは今も、六名本町（むつなほんまち）にある市体育館に飾られています。","","",
05,23,"家康公が、13年ぶりに岡崎城へ帰ってきた日だよ。","織田信長（おだのぶなが）と今川義元（いまがわよしもと）が戦った天下分け目の決戦「桶狭間（おけはざま）の合戦」。勝利したのは織田軍でした。今川義元の家来として出陣していた19歳の家康（当時は元康と名乗っていました）は、勝利した織田勢が去ったあと、命からがら岡崎へ逃げ帰りました。その家康が、岡崎城へたどり着いた日が、永禄３（1560）年５月23日のことでした。６歳で今川家の人質となって以来、13年ぶりの故郷への帰国となりました。その後、織田家、豊臣家に続き、戦国時代の主役として全国統一を果たし、征夷大将軍（せいいたいしょうぐん）となって江戸幕府を開いたのは、岡崎城への帰城から43年後の1603年のことでした。","","",
05,24,"岡崎市斎場が完成した日だよ。","才栗町（さいくりちょう）にある岡崎市斎場。亡くなったかたを火葬（かそう）する施設です。この斎場が完成し、完工式を行った日が、昭和51（1976）年５月24日のことでした。それまで岡崎市には、稲熊町（いなぐまちょう）に昭和９年に完成した市営火葬場がありましたが、施設の老朽化（ろうきゅうか）や環境などに配慮するために、市街地から離れた才栗町への斎場建設を進めていました。完成した新しい斎場の隣には、市営の墓園（やすらぎ霊園）もあり、その後整備された納骨堂などとともに機能面でも利用しやすくなりました。また、ペットなどを火葬するための炉も整備されています。火葬の申込は、市役所市民課戸籍班（電話0564-23-6135）で受け付けしています。斎場は、１月１日と友引の日はお休みです。","","",
05,25,"新居地区に営農飲雑用水施設が完成した日だよ。","岡崎市の北東部にある、山あいのまち「新居地区（あらいちく）」には給水施設がなく、家庭で使う水は井戸水などに頼ってきました。その新居地区に、取水場（しゅすいじょう）・浄水場（じょうすいじょう）・配水管（はいすいかん）といった「営農飲雑用水施設（えいのういんざつようすいしせつ）」が完成した日が、平成７（1995）年５月25日のことでした。水道施設の完成により、新居地区20戸約100人に、１日最大49トンの給水が可能となり、地元市民にとっては、待ち望んでいた水道施設の完成となりました。","","",
05,26,"岡崎市小中学校視聴覚教育協会が設立された日だよ。","県下で最も早く、視聴覚（しちょうかく）による教育活動を始めた「小中学校視聴覚教育協会」。現在の「視聴覚ライブラリー」の前身となる組織です。この協会が誕生した日が、昭和29（1954）年５月26日のことでした。視聴覚ライブラリーは、教育用16ミリ映画作成・収集の草分けとして、次々に現れる新しいメディアも活用しながら、常に時代の先端を切ってきました。現在も、自作ビデオの制作や研究誌の発行、校内放送などの講習会の開催、教材や機材の貸出などを行っています。岡崎市がマルチメディアモデル都市第１号に選ばれたのも、視聴覚ライブラリーの40年以上にも及ぶ活動が評価されてのことでした。","","",
05,27,"国鉄「岡多線」の廃止が決定された日だよ。","岡崎市と豊田市を結ぶ鉄道として、長く市民に愛されてきた国鉄「岡多線（おかたせん）」。その名のとおり、岡崎市と岐阜県多治見市（ぎふけんたじみし）を結ぶ鉄道として計画されたものの、貨物などの工場利用が先行していたことから、実際は岡崎市から豊田市までを結ぶにとどまっていました。その「岡多線」を、客足の減少などから廃止対象路線（はいしたいしょうろせん）として運輸省（うんゆしょう）が決定した日が、昭和61（1986）年５月27日のことでした。廃止後、「岡多線」は第３セクターの愛知環状鉄道（あいちかんじょうてつどう）として再出発することとなり、現在は岡崎市から高蔵寺（こうぞうじ）までの45キロを結ぶ鉄道として多くの市民が利用しています。また、平成15（2005）年の愛知万博時には、会場への主要なアクセスルートとして注目を集めたことも記憶に新しいところです。","","",
05,28,"岩津１号墳から出土した銅鏡が、全国的にも珍しい「飛禽鏡（ひきんきょう）」と判明した日だよ。","昭和36年に発掘調査（はっくつちょうさ）が行われた「岩津１号墳（いわづ１ごうこふん）」。その古墳から青銅（せいどう）でつくられた直径8.3センチの鏡（かがみ）が発見されました。その鏡が「全国で過去に７例しかない貴重な銅鏡（どうきょう）と判明した」と市が発表した日が、平成５（1993）年５月28日のことでした。同様の鏡は、岡山県総社市（おかやまけんそうじゃし）や大分県宇佐市（おおいたけんうさし）といった、古墳時代の大きな豪族（ごうぞく）の基盤があった地域でも発見されています。しかし、岩津１号墳は、それらの古墳よりも200年近く新しく、他の出土品には朝鮮半島（ちょうせんはんとう）からのものが多く含まれているなど、状況はかなり違っていました。三河地域の古墳時代の勢力分野を知るうえで、貴重な手がかりであることは間違いなく、岩津１号古墳があらためて注目されました。","","",
05,29,"大岡忠与が西大平藩主になった日だよ。","忠相（ただすけ）、忠宣（ただよし）、忠恒（ただつね）に続く西大平藩（にしおおひらはん）の４代目藩主となった大岡忠与（おおおかただとも）。その家督（かとく）を継いだ日が、天明４（1784）年５月29日のことでした。しかし、忠与は、32歳の若さで亡くなったこともあり、藩主としては３年に満たない短期間で終わってしまいました。その後、忠移（ただより）、忠愛（ただよし）と引き継がれ、明治４年、７代藩主である忠敬（ただたか）のときに西大平藩は明治政府の命令により廃藩となりました。現在、大平町（おおひらちょう）の西大平藩陣屋跡でその歴史をしのぶことができます。","","",
05,30,"茶道裏千家第15代家元の千宗室さんが奥殿陣屋を訪れた日だよ。","奥殿町（おくとのちょう）にある奥殿陣屋（おくとのじんや）。旧奥殿藩の陣屋跡を観光地として整備した市の施設です。この奥殿陣屋に、茶道裏千家（さどううらせんけ）第15代家元（いえもと）の千宗室（せんそうしつ）さんが文化勲章の受章を報告するために訪れた日が、平成10（1998）年５月30日のことでした。奥殿藩と茶道裏千家とのゆかりは、茶道裏千家第11代家元であった玄々斎宗室（げんげんさいそうしつ）が奥殿藩主であった大給松平乗友（おぎゅうまつだいらのりとも）の５男として生まれ、10歳で裏千家の養子（ようし）となったことにさかのぼります。奥殿陣屋を訪れた千宗室さんは、陣屋内の庭園に作られた祭壇（さいだん）に献茶（けんちゃ）した後、訪れた約100人の来賓客（らいひんきゃく）にお茶をふるまいました。","","",
05,31,"市民病院で敷地内禁煙がスタートした日だよ。","５月31日は、世界禁煙（せかいきんえん）デーです。この日にあわせて、高隆寺町（こうりゅうじちょう）にある市民病院で敷地内全面禁煙（しきちないぜんめんきんえん）をスタートした日が、平成19（2007）年５月31日のことでした。また、市民病院が禁煙となったことで、市民病院におけるニコチンの依存症患者（いぞんしょうかんじゃ）の禁煙治療（きんえんちりょう）が医療保険（いりょうほけん）の対象となりました。タバコの害は、吸う人だけでなく、吸っている人の近くで煙を吸ってしまう人にも及ぶと言われています。みんな、大人になっても自分や家族の健康のために、タバコは控えようね！","","",
06,01,"男川浄水場で通水が始まった日だよ","六供浄水場（ろっくじょうすいじょう）や仁木浄水場（にっきじょうすいじょう）に続き、市内で３番目に完成した男川浄水場（おとがわじょうすいじょう）。市内最大の給水能力（きゅうすいのうりょく）を誇る浄水場で、おもに市の東部と中南部に給水しています。この男川浄水場の正式な完成は、昭和53年３月のことですが、一部の施設を使って始めて通水（つうすい）を行った日が、昭和40（1965）年６月１日のことでした。ちょうど、今日から６月７日までは「水道週間」です。水の大切さについて、あらためて考えてみる良い機会かもしれませんね。","","",
06,02,"市の花が「ふじ」に決まった日だよ","ここで問題です。岡崎市の花は何でしょう？　正解は「ふじ」です。この岡崎市の花が決まり、そのことを告示した日が、昭和45年（1970）年６月２日のことでした。岡崎市で有名なフジといえば、岡崎公園の五万石藤だよね。五万石藤が植えられている公園のフジ棚（だな）は、明治44年に造られたもので、広さ1300平方メートルを誇ります。フジの樹齢（じゅれい）は、古いもので130年以上。大きいもので幹回りが約2.4メートル、枝の長さは11メートルもあります。ちなみに、準市の花は「ささゆり」。市の鳥は「ハクセキレイ」、市の木は「みかわくろまつ」です。この機会に覚えておいてくださいね。","","",
06,03,"乙川に架かる明神橋が完成した日だよ","明神橋（みょうじんばし）は、国道248号線で乙川をまたぐときに渡る橋です。板屋町（いたやちょう）と上六名（かみむつな）を結ぶあたりには、明治の終わりごろまで、「福しまの渡し」という渡し場がありました。この付近に初めて橋が出来たのは大正12（1923）年。名前は近くの三嶋神社（みしまじんじゃ）から名づけられました。この神社は通称「明神さん」と呼ばれ、親しまれていたのです。そして、昭和に入り、上六名側半分はコンクリート、板屋側半分は木の橋が完成しました。その橋が完成し、完工式が行われた日が、昭和４（1929）年６月３日のことでした。その後、昭和30（1955）年に板屋側もコンクリートになり、昭和57（1982）年には、現在の４車線の明神橋が完成しました。","","",
06,04,"家康が和泉堺から岡崎へ逃げ帰った日だよ","ここで問題です。岡崎城で生まれた徳川家康公（とくがわいうやすこう）の人生の三大危機（さんだいきき）と言えば何でしょう？ 正解は、家臣と戦うこととなった1560年代前半の「三河一向一揆（みかわいっこういっき）」。武田信玄（たけだしんげん）に敗れた1572年の「三方原の戦い」。そしてもう一つが、1582年６月４日の出来事、いわゆる「伊賀越え（いがごえ）」です。1582年６月２日の朝、家康公は、京都の本能寺（ほんのうじ）で織田信長（おだのぶなが）が家臣である明智光秀（あけちみつひで）によって命をうばわれたという情報をえました。その情報におどろいた家康公は、京都へ行くと称して大阪の堺（さかい）を出発、三河への一番の近道である伊賀越えの道を経て、岡崎へ逃げ帰ることとなりました。家康公にとって、信長は20年来の同盟者であり、家忠日記によれば、家康の家臣にとっても信長は「殿様」だったのです。家康は、６月４日に無事に岡崎へ帰ることが出来ました。しかし、もしも岡崎以外のところへ向かっていたら、もしも伊賀越えができていなかったら、あるいは、岡崎への到着が少しでも遅れていたら、後々の家康公の運命や、日本の歴史が変わっていたかもしれませんね。","","",
06,05,"第1回岡崎市民美術展を開催した日だよ","明大寺町（みょうだいじちょう）にある岡崎市美術館（おかざきしびじゅつかん）で毎年開催している「岡崎市民展」。昭和47年８月に、今の美術館が完成したことをきっかけとして、昭和48年に始まった展覧会です。作品は、絵画（かいが）・彫刻（ちょうこく）・書道（しょどう）・写真（しゃしん）・デザインなど、部門別に市民から募り、審査・表彰も行っています。その市民美術展が始めて行われた日が、昭和48（1973）年６月５日のことでした。いまも市民の文化活動・芸術活動を支える展覧会として毎年多くの作品が寄せられています。","","",
06,06,"地元ケーブルテレビが初めて市議会の生中継を行った日だよ","皆さんは、市議会（しぎかい）の様子が地元ケーブルテレビ「ミクス」で放送されていることを知っていますか？　年４回開かれる市議会の様子を、平日は生中継（なまちゅうけい）で、週末は収録映像（しゅうろくえいぞう）で放送しています。この市議会中継を初めて生中継で放送した日が、平成13年（2001）年６月６日のことでした。もともと市議会には20年ほど前からテレビカメラが設置されていて、議場（ぎじょう）でのやりとりは市役所のロビーなどで見ることができましたが、より多くの市民に見てもらおうとケーブルテレビを活用することとなりました。ちょうど今月は市議会の開催月です。岡崎市発展に向けて活発な議論が交わされる岡崎市議会を地元ケーブルテレビで、ぜひご覧ください。","","",
06,07,"真宮史跡が国の指定史跡となった日だよ","真宮町（しんぐうちょう）にある真宮遺跡（しんぐういせき）。昭和48年に画整理事業（くかくせいりじぎょう）の工事中に見つかった遺跡です。遺跡発見後に行われた発掘調査によって、約３千年前の縄文時代（じょうもんじだい）から平安（へいあん）・鎌倉（かまくら）時代にかけての住居跡（きょじゅうあと）や出土品（しゅつどひん）が見つかっています。特に、子どもなどを埋葬（まいそう）するかめ棺が30基以上見つかったことや、長期にわたる遺跡が重なっていることなどが、全国的にもめずらしい発見として注目を集めました。そして、この真宮遺跡が国の指定史跡となった日が、昭和51（1976）年６月７日のことでした。現在も、遺跡は公園として保全されています。","","",
06,08,"東海中学校にアーチェリー場が完成した日だよ","山綱（やまつなちょう）にある市立東海中学校（しりつとうかいちゅうがっこう）。この東海中学校に西三河地域の中学校としては初となるアーチェリー場が完成し、開場式を行った日が、平成３（1991）年６月８日のことでした。岡崎市は、平成６年に開催された愛知国体（あいちこくたい。わかしゃち国体ともいいました）でアーチェリー競技の会場となることが決まっていました。そこで、アーチェリーの普及も兼ねて、本格的な会場を作ったというわけです。１度に10人が使える広い射場（しゃじょう）は、周りをネットで囲い、的をはずしても危険のないように学校裏山の中腹に建設されました。東海中学校では、施設建設を機にアーチェリー部が創設されました。また、卒業生の中から愛知国体出場者も生まれました。現在も、アーチェリーの強豪校として各地の大会で活躍しています。","","",
06,09,"現在の天皇陛下が岡崎国立共同機構を訪問した日だよ","現在の天皇陛下（てんのうへいか。平成天皇のことです）は、みんなもよく知っている明仁（あきひと）天皇だよね。その天皇陛下が、天皇になる前、つまり皇太子殿下だった若いときに、明大寺町（みょうだいじちょう）にある国の研究施設「岡崎国立共同研究機構（おかざきこくりつきょうどうけんきゅうきこう）」を訪問しました。その日が、昭和63年（1988）６月９日のことでした。普段からハゼの研究に励むなど、自然科学（しぜんかがく）や生物学（せいぶつがく）の世界にとても興味を持っていた当時の陛下は、５時間あまり見学し、研究員と熱心にお話をされました。また、ヒトデやイカなど約20種類の実験用動物が飼われている実験室では、水槽を見ながら、「ヤマメとアマゴは似ていますね」「ナマズの学名は難しいですね」など、興味を持って見学されました。","","",
06,10,"広報おかざきの第１号を発刊した日だよ","市役所からのお知らせを冊子にまとめて各家庭に届ける「市政だよりおかざき」。毎月１日と15日に発行しています。この市政だよりが「広報おかざき 第１号」として初めて発行された日が、昭和27年６月10日のことでした。当時、冊子のサイズは、タブロイド版（Ｂ４より少し大きいサイズ）で、第１号のページ数は全４ページでした。市役所に保存されている第１号の中身を読んでみると、市の予算について細かく書かれていました。他にも、「赤痢（せきり）や食中毒（しょくちゅうどく）の予防」「住民登録制度（じゅうみんとうろくせいど）の説明」についても書かれていました。また、表紙のタイトル下には、「道路では誰も遊ばぬ僕の街」「見たか消したか使った火元」「こまめな戸締り手近な防犯」「登録も注射も済んだ僕の犬」「掃いても美化美化お家もピカピカ」といった生活標語（せいかつひょうご）が書かれていました。昔の市政だよりからは、当時の市民生活をかいま見ることができますが、生活標語に書かれていたことは、今も変わらぬ大切な暮らしのルールですね。","","",
06,11,"岡崎で23年ぶりに「お田植まつり」が行われた日だよ","岡崎で「お田植えまつり」といえば、中島町（なかじまちょう）の「悠紀斎田（ゆきさいでん）のお田植えまつり」が有名ですよね。でも、昭和58（1983）年６月11日には、上佐々木町（かみささきちょう）でも、「お田植えまつり」が開かれたのを知っていますか？　この「お田植まつり」は、皇居（こうきょ）へ献上（けんじょう）するための米づくりと、その年の収穫に感謝する祈願行事として、毎年、都道府県の中から１カ所を選び、行われているものです。岡崎市では昭和35年以来、23年ぶりのこととなりました。この日、上佐々木町金池（かねいけ）の斎田では「五万石おどり」や「岡崎小唄」が披露されるなど、まつりムードが盛り上がり、14人の早乙女が「お田植え唄」に合わせて、苗を植えました。とれたお米は、10月初めに刈り取られ、11月23日に皇居をはじめ、伊勢神宮（いせじんぐう）や熱田神宮（あつたじんぐう）に奉納（ほうのう）されました。","","",
06,12,"丸山町の村上遺跡で発掘調査が始まった日だよ","岡崎中央総合公園丸山ルートの入り口付近に村上遺跡（むらかみいせき）があります。村上遺跡は、旧石器時代（きゅうせっきじだい）から縄文時代（じょうもんじだい）にかけての遺跡で、昭和22（1947）年に発見されました。平野部に隣接する地域での縄文時代早期・中期の遺跡は稀（まれ）で、市の指定史跡（していしせき）ともなっています。そして翌年の23年６月12日から18日にかけて、発掘調査団による調査が行われました。その結果、縄文時代早期の押型文土器（おしがたもんどき）をはじめ多くの土器と、竪穴住居跡（たてあなしき）などが発見されました。住居跡は長方形で、中央には炉（ろ）があり、柱の跡も４カ所みられました。また、30歳くらいの女性の骨も発掘されました","","",
06,13,"根石小学校がこども読書で表彰された日だよ","欠町（かけまち）にある市立根石小学校（しりつねいししょうがっこう）。30年以上も前から、火曜日から金曜日の毎朝、各クラスの担任が児童に本の読み聞かせを行っている「読み聞かせ事業の草分け」として全国的にも知られている小学校です。また、根石小のこの「ふれあい読書」の試みは、全国の小学校へも広がり、多くの小学校が行う校内での読み聞かせ事業のモデルとなりました。この根石小学校の読み聞かせ事業に対して、社会貢献支援財団が「こども読書推進賞」の奨励賞を贈ることとなり、その表彰式が根石小学校で行われた日が、平成19（2008）年６月13日のことでした。朝のあわただしい時間帯に、読み聞かせによって落ち着いた雰囲気を作り出す根石小の読み聞かせ事業は、子どもたちの情緒を安定させたり、想像力や集中力を高めたりするのにピッタリのようです。","","",
06,14,"本日、図書館交流プラザの入館者が100万人を突破しました！","康生通（こうせいどおり）にある図書館交流プラザ。愛称（あいしょう）は“りぶら”。市立中央図書館、音楽ホール、岡崎むかし館、内田修ジャズコレクション展示室、市民活動総合支援センターなどがある複合施設です。平成20（2008）年11月１日のオープン以来、多くの市民が利用してきました。その“りぶら”の入館者が100万人に達した日が、オープンから226日目となる平成21年６月14日のことでした。この記念すべき100万人目となったのは、岡崎市井田町にお住まいの、成合（なりあい）さん。図書館で読書を楽しもうとやってきたところを、入口でスタッフから100万人目であることが告げられびっくり。お祝いに駆けつけた柴田市長から「これからも末永く利用してくださいね」と声をかけられ、花束や記念品を受け取りました。オープンから半年あまりでの100万人突破。200万人目はあなたかもしれませんよ。","","",
06,15,"岡崎の市制施行が決定した日だよ","岡崎市が市制を施行（しこう）したのは、大正５（1916）年７月１日のこと。当時、市制施行は、国の内務大臣（ないむだいじん）の告示（こくじ）という行為により決定していました。大正５（1916）年６月15日は、岡崎の市制施行の告示が行われた日です。当時の告示文には「大正５年７月１日から、愛知県額田郡岡崎町（あいちけんぬかたぐんおかざきちょう）を廃止して、その区域に岡崎市を置く」という内容が書かれていました。その後、発展を続けてきた岡崎市。あと少しで、市制100周年を迎えます。これからも、赤ちゃんからお年寄りまで、安心してくらせるまちにしたいですね。","","",
06,16,"岡崎市内電車が廃止された日だよ","大樹寺（だいじゅじ）から福岡（ふくおか）間の名鉄電車線（めいてつでんしゃせん）として親しまれた岡崎市内電車。市民からは「チンチン電車」の愛称で親しまれました。この電車が廃止され、バス輸送へと移り変わった日が、昭和37（1962）年６月16日のことでした。岡崎市内電車は、当初の建設は岡崎馬車鉄道（おかざきばしゃてつどう）として親しまれた岡崎駅～殿橋（とのばし）間でした。その後、大正12（1923）年には殿橋～井田（いだ）まで、昭和２（1927）年には上挙母（うわごろも。今の豊田市）まで延長しまし、市民の足として活躍しました。一方、岡崎駅から南へは、明治44年に西尾（にしお）に至る西尾鉄道が開通。昭和18（1943）年に西尾鉄道は廃止となりましたが、８年後の昭和26（1951）年には岡崎駅～福岡町間が復活しました。岡崎市内線といえば、一般的には大樹寺～福岡町間を指すことが多いようですが、こうした歴史的経緯からでしょうか。","","",
06,17,"本多家が岡崎公園を市へ寄付した日だよ","岡崎市のシンボルともいえる岡崎公園。岡崎城を中心として大手門（おおてもん）や能楽堂（のうがくどう）、茶室（ちゃしつ）などが整備されています。でも、岡崎公園の歴史は？というと、あまり知られていないようです。明治７年、廃藩置県（はいはんちけん）など、中央政府（ちゅうおうせいふ）の政策によって岡崎城は取り壊（こわ）されました。跡地（あとち）は荒れ果て、過去の繁栄（はんえい）など見る影も無いほどでした。それを憂（うれ）えた旧藩士（きゅうはんし）らが保存運動を展開。その結果、県の許可がおり、旧本丸・二の丸あたりが公園として保存されることになったのです。明治13年からは桜の植栽も始まりました。岡崎町の誕生に伴い、明治28年には本多家が県へ公園地を譲って欲しいと申し出ました。そのことが翌年の明治29年に許可され、本多家の手で岡崎公園が維持管理されることとなりました。その後、明治42年、千賀又市（せんがまたいち）岡崎町長が本多家へ公園用地の譲り受けを願い出て、その一部が町の管理となりました。町では、乙川（おとがわ）や伊賀川（いかがわ）の堤防に桜などを植栽し、整備に努めました。そして、大正5年の岡崎市制施行に伴い、公園改造の気運が市民の間で高まり、大正７（1918）年６月７日に本多家から岡崎市へ公園用地の寄付がされました。どうですか？岡崎公園の歴史を少し知っただけで、歴史のロマンを感じませんか？","","",
06,18,"岡崎市国際交流協会が誕生した日だよ","岡崎市国際交流協会（おかざきしこくさいこうりゅうきょうかい）。通称「ＯＩＡ」。岡崎市の国際交流を活発にしようと、民間主導（みんかんしゅどう）で発足した市民団体です。このＯＩＡが設立された日が、昭和60（1985）年６月18日のことでした。当時、岡崎市はスウェーデンのウッデバラ市やアメリカニューポートビーチ市と姉妹都市提携（しまいとしていけい）をし、お互いに訪問し合うなどの交流を進めていました。また、ＯＩＡの設立は、国際交流の動きは活発化し、市民一人ひとりが国際交流を進めようとする機運が高まるきっかけとなりました。現在も、外国語講座（がいこくごこうざ）をはじめ、学生の海外派遣（かいがいはけん）、姉妹友好都市（しまいゆうこうとし）との交流、ボランティアグループ活動の支援など、幅広い活動が地道に進められています。","","",
06,19,"岡崎藩主の本多忠直が藩知事に就任した日だよ","明治２年２月、岡崎藩主（おかざき）となった本多忠直（ほんだただなお）は、その４カ月後、新しい国づくりの一つとして国が行った版籍奉還（はんせきほうかん）により、岡崎藩知事（おかざきはんちじ）に任命されました。その日が、明治２（1869）年６月19日のことでした。あわただしい動きの世の中で、本多忠直は、岡崎藩の改革（かいかく）を進めました。また、藩校允文館（はんこういんぶんかん）・允武館（いんぶかん）を建て、文武（ぶんぶ）を奨励（しょうれい）しました。しかし、明治４年の廃藩置県（はいはんちけん）により岡崎藩知事としての地位をとかれ、東京へ移転することとなります。そのとき、多くの藩士が忠直を慕ってあとを追い、上京したといわれています。多くの人から愛された、忠直の人柄をしのぶことができる言い伝えといえます。","","",
06,20,"奥殿小に思いやりの桜が植えられた日だよ","奥殿町（おくとのちょう）にある市立奥殿小学校（しりつおくとのしょうがっこう）。この小学校の一角に、「思いやりの桜」と書かれた碑（ひ）といっしょに、１本の桜が植えられています。当時、この桜の木を小学校へ寄付したのは、地元在住の尾藤てるさん。尾藤さんは、岐阜県荘川村（ぎふけんしょうかわむら）の御母衣（みほろ）ダムの建設によって沈む運命にあった２本のエドヒガン桜の種からできた苗木を育てていた弟さんの意思を継ぎ、自宅近くの畑で育てていたかたです。また、弟さん同様、この荘川桜（しょうかわざくら）の苗木を全国各地へ送り続けてきました。その桜の苗木が奥殿小学校へ植えられた日が、平成10（1998）年６月20日のことでした。この日、金子一元校長は、120人の全校児童を前に「自分のことよりも、家族のこと、家族のことより多くの人のことを思いやれる人になってください」と桜に込めた願いを話しました。その願いは、今もしっかりと根づいています。","","",
06,21,"臼田のリンゴの木オーナー募集が始まった日だよ","長野県佐久市臼田町（ながのけんさくしうすだちょう）。江戸時代末期の文久3（1863）年、第11代奥殿藩主であった松平乗謨（まつだいらのりかた。のちの大給恒（おぎゅうゆずる））が、奥殿にあった陣屋を信州佐久1万2千石の中心地、田野口（旧臼田町田口）に移し、龍岡藩主（たつおかはんしゅ）となったことが縁で、昭和58年7月1日に岡崎市とゆかりのまち提携（ていけい）をした町です。この臼田町の特産品の一つにリンゴがあります。そこで、蜜のたくさん入ったおいしいリンゴを岡崎市民にも味わってもらおうと企画したのが「リンゴの木オーナー制度」。今も続くこの企画がスタートし、リンゴの木のオーナーの受付を開始した日が、提携の翌年となる昭和59（1984）年６月21日のことでした。そしてなんと、受付初日は、時間前から50人以上の市民が列をつくり、開始30分で定員の100人に達する盛況ぶりでした。あまりの盛況ぶりに、臼田町にかけあって、さらに30人定員を増やす対応も行われました。今も続くこのリンゴ交流。秋の収穫時期が楽しみですね。","","",
06,22,"岡崎市民会館が完成した日だよ","六供町（ろっくちょう）にある岡崎市民会館。市制施行（しせいしこう）50周年記念事業の目玉として建設された文化会館です。この市民会館が完成した日が、昭和42（1967）年6月22日のことでした。中心施設は、市内最大級となる1600人収容の大ホール。現在も、コンサートや各種の催し・式典（しきてん）などが行われています。また、当時は、結婚式場として利用され、多くのカップルが新しい人生のスタートをこの市民会館で迎えました。昭和42年のオープン以降も整備が続けられ、リハーサル棟や駐車場、甲山会館（こうざんかいかん）などが整備されました。現在は、建設から40年以上が経過していることから、新しい文化会館建設にむけた構想や計画が進められています。","","",
06,23,"真宮遺跡の発掘調査が始まった日だよ","真宮町（しんぐうちょう）にある真宮遺跡（しんぐういせき）。昭和48年、区画整理事業（くかくせいりじぎょう）の工事中に見つかった遺跡です。この真宮遺跡で最初に発掘調査を行った日が、昭和49（1974）年６月23日のことでした。その後、調査は何度も行われ、これいままでの調査によって約３千年前の縄文時代（じょうもんじだい）から平安（へいあん）・鎌倉（かまくら）時代にかけての住居跡（じゅきょあと）や出土品（しゅつどひん）が見つかっています。子どもなどを埋葬（まいそう）するかめ棺が30基以上発掘されていることや、長期にわたる遺跡が重なっていることは全国的にもめずらしく、昭和51年に国の指定史跡（していしせき）となりました。現在は住居跡やかめ棺などを再現した公園として整備されています。公園内には、縄文時代の人が食べたといわれているクルミやクリを植えた「縄文の森」もあるんですよ。","","",
06,24,"岡崎市繊維センターの前身、繊維試験場が開所した日だよ","美合町（みあいちょう）にある岡崎市総合検査センター。その中に、岡崎市繊維（せんい）センターがあります。その岡崎市繊維センターの前身である、繊維試験場が開所した日が昭和23（1948）年６月24日のことでした。繊維センターは、もともと昭和15年に伊賀町（いがちょう）に設立された「岡崎市工業指導所（おかざきしこうぎょうしどうじょ）」に起源（きげん）をもちます。その後、岡崎市立繊維試験場、岡崎工業試験所、岡崎市繊維試験所、と名前を変え、昭和62年に朝日町から美合町に移転した際に「岡崎市繊維センター」となりました。今も、「繊維工業都市・岡崎」の技術を支える研究センターとして、大きな役割を果たしています。","","",
06,25,"「ゆかりのまち」の提携地が発表された日だよ","俳優（はいゆう）の滝田栄（たきたさかえ）さんが主演し、話題となったＮＨＫ大河ドラマ「徳川家康（とくがわいえやす）」。ドラマの影響で、全国的な「家康ブーム」が巻き起こりました。また、その影響は全国各地の家康公ゆかりの都市へも広がり、家康公のふるさとである岡崎市も、全国各地から多くの観光客を迎え入れることとなりました。このことをきっかけとして、岡崎市は、家康公や三河武士と関係の深い全国の都市と交渉し、その結果、神奈川県茅ヶ崎市（かながわけんちがさきし）、長野県臼田町（ながのけんうすだちょう。※現在の長野県佐久市）、岐阜県関ケ原町（ぎふけんせきがはらちょう）の３都市と「ゆかりのまち」を提携（ていけい）し、お互いに交流を深め合うこととしました。この「ゆかりまち提携」を岡崎市が発表した日が、昭和58（1984）年６月25日のことでした。茅ヶ崎市は、岡崎市にも陣屋跡（じんやあと）がある大岡越前（おおおかえちぜん）の領地（りょうち）だったところ。臼田町は、奥殿藩主の松平乗謨（のりかた）が国替え（くにがえ）で移り住んだ土地。関ケ原町はもちろん、家康公と石田三成との天下分け目の合戦「関ケ原の戦い」の舞台です。なお、正式な提携調印は６日後の７月１日、市制記念日に行われました。交流は今でも続けられ、茅ヶ崎市は春の家康行列に参加してくれますし、臼田町とはリンゴの木のオーナー募集で、また、関ケ原町からは雪のプレゼントが毎年届いています。","","",
06,26,"ニューポートビーチ市から中学生使節団が到着した日だよ","アメリカ・カリフォルニア州のニューポートビーチ市。昭和59年11月27日に岡崎市と姉妹都市提携（しまいとしていけい）を結んだ都市です。そのニューポートビーチ市から中学生の親善使節団（しんぜんしせつだん）５人が初めて岡崎を訪れた日が、昭和60（1985）年６月26日のことでした。施設団一行は、ホームステイをしながら、岡崎市内の中学生との交流会（こうりゅうかい）などにも参加。７月２日までの滞在を楽しみました。以来、中学生使節団の交流は現在も続けられ、ニューポートビーチ市を訪れた中学生の報告会なども開かれています。","","",
06,27,"岡崎スポーツガーデンがオープンした日だよ","康生通に図書館交流プラザがあります。平成20年11月にオープンした施設ですが、実は、この場所には以前、「岡崎スポーツガーデン」という施設がありました。夏は流水プール、冬はスケート場として、多くの市民に愛された市営のレジャー施設です。名物のジャンボ滑り台がなつかしいと感じるかたも多いはずです。この岡崎スポーツガーデンがオープンした日が、昭和43（1968）年６月27日のことでした。ちなみに、当時の入場料は、大人300円、中高生200円、小学生150円でした。今年もプールのシーズンがやってきました。家族や友達と楽しい思い出を作ろうね。","","",
06,28,"岡崎ものづくり推進協議会が設立された日だよ","「岡崎ものづくり推進協議会」って知ってる？　岡崎商工会議所を中心に、会社・大学・行政が一丸となって、「ものづくりの街　岡崎」の活性化のために活動している団体です。この「岡崎ものづくり推進協議会」の設立総会が行われた日が、平成17年６月28日のことでした。産学官の連携によって、今も、市内の製造業に関する相談窓口を設置したり、研修・研究会・講座などを通して伝統技術や先端技術についての情報交換を行ったりしています。","","",
06,29,"開元の里（かいげんのさと）の入居が始まった日だよ","岡崎市北部、米河内町（よなごうちちょう）の三世代宅地（さんせだいたくち）「開元の里（かいげんのさと）」。高齢化社会への対策として、親・子・孫が一緒に住める宅地を提供しようと、岡崎市が平成４年の秋に造成（ぞうせい）した住宅団地（じゅうたくだんち）です。分譲数（ぶんじょうすう）は76区画で、１坪当たり10万円台という値段が人気を呼び、定員をはるかに上回る467人のかたが申し込みました。この開元の里に初めての家族が入居した日が、平成５（1993）年６月29日のことでした。ちなみに、「開元」という名は、以前、付近の道路工事中に中国からの渡来銭である「開元通宝」がたくさん見つかったことが由来したものです。団地入り口の青木川には、「開元橋」も架かっていますよ。","","",
06,30,"自治体警察を廃止し、岡崎警察署が設置された日だよ","昭和23年、戦後の警察制度（けいさつせいど）の改革に伴い、国家地方警察（こっかちほうけいさつ）である額田地区警察（ぬかたちくけいさつ）と、自治体警察（じちたいけいさつ）の岡崎市警察、福岡（ふくおか）・矢作（やはぎ）・岩津（いわづ）の各町警察が発足しました。これらが統合（とうごう）されて、「愛知県岡崎警察署」となった日が、昭和29（1954）年６月30日のことでした。その後、昭和39年に、市中心部（今の康生町一帯）の再開発によって、警察署は、裁判所などといっしょに現在の明大寺町（みょうだいじちょう）に移転しました。今も、犯罪捜査から交通安全、困りごと相談にいたるまで、市民の安全安心な暮らしを守り続けてくれています。","","",
07,01,"岡崎が「市」になった日（市制を施行した日）だよ","７月１日は、岡崎が「市」となった日。つまり、市制施行（しせいしこう）の日が、大正５（1916）年のきょうのことでした。全国で67番目。愛知県下（あいちけんか）では名古屋市（なごやし）、豊橋市（とよはしし）に続いて３番目の市制施行となりました。当時の人口は、約３万７千人。その後、人口は増え続け、昭和57年に25万人に、平成元年には30万人に、そして、現在は37万人を超えています。あと数年で市制100周年。子どもからお年寄りまで、安心して暮らせるよう、ふるさと岡崎市をいつまでも大切にしたいものですね。","","",
07,02,"ねんりんピックの実行委員会を立ち上げた日だよ","皆さんは「ねんりんピック」って知ってますか？ 人生のねんりんを重ね、豊かな知識（ちしき）と経験（けいけん）を持つ、はつらつとした高齢者を中心としたスポーツ・文化の祭典、それが「全国福祉祭（ぜんこくふくしさい）・ねんりんピック」です。そのねんりんピックが、愛知県（あいちけん）で開催されることとなり、岡崎市では、なぎなた競技（きょうぎ）が行われました。そのなぎなた競技の実行委員会（じっこういいんかい）が設立総会（せつりつそうかい）を開いた日が、平成９（１９９７）年７月２日のことでした。競技は11月１日と２日に岡崎中央総合公園（おかざきちゅうおうそうごうこうえん）の武道館（ぶどうかん）で行われました。ちなみに、2009年のねんりんピックは、北海道札幌市（ほっかいどうさっぽろし）で開かれる予定です。","","",
07,03,"矢作川の洪水で、日名・八町村に大きな被害がでた日だよ","７月初めのこの時期は、大雨による被害（ひがい）の記録（きろく）が多く残っています。1770年７月３日は、矢作川（やはぎがわ）の洪水（こうずい）で、日名（ひな）・八町村（はっちょうむら）に大きな被害がでた日と記録されています。他にも、大正11（1922）年７月２日には、菅生川（すごうがわ）と早川（はやかわ）の堤防（ていぼう）が決壊（けっかい）。昭和７（1932）年７月１日・２日には、矢作川流域（やはぎがわりゅういき）の河川が増水し、堤防や土砂災害（どしゃさいがい）などで大きな被害が出たことなどが記録されています。今も昔も、梅雨（つゆ）の終わりごろは、豪雨（ごうう）に対する注意が必要なようです。","","",
07,04,"伊賀川で初めての３校合同清掃が行われた日だよ","市の中心部を流れる伊賀川（いがかわ）。桜並木（さくらなみき）が有名な一級河川で、市民による水環境（みずかんきょう）の保護活動（ほごかつどう）が盛んです。この伊賀川で、地元の城北（じょうほく）中学校、連尺（れんじゃく）小学校、広幡（ひろはた）小学校の３校が、初めて合同による伊賀川の清掃活動（せいそうかつどう）を行った日が、平成18（2006）年７月４日のことでした。この日は、地元の「伊賀川を美しくする会」の会員も参加。約１時間の作業で軽トラック４台分のごみが集まりました。大切なふるさとの自然を守ろうとするこの活動は、いまも続いています。","","",
07,05,"康生通にショッピングセンター「シビコ」がオープンした日だよ","市の中心市街地（ちゅうしんしがいち）のシンボルの一つとして、長く市民に親しまれてきたショッピングセンター「シビコ」。このシビコがオープンした日が、昭和52（1977）年７月５日のことでした。当時の売り場面積は、西三河最大級（にしみかわさいだいきゅう）の２万２千平方メートル。新天地（しんてんち）ビル、たつきビル、岡崎相互（おかざきそうご）ビル、中央（ちゅうおう）ビルの４つのビルが共同通路（きょうどうつうろ）などでつながった複合（ふくごう）ビルとしてオープンしました。店内には、エレベーターの中から店内を見渡せるシースルーエレベーターを設置したり、身障者用（しんしょうしゃよう）のトレイやエレベーターを設置したりするなど、画期的（かっきてき）な設備も話題となりました。ちなみに、オープン当日は、当時のテレビの人気者「電線マンショー」が行われました。","","",
07,06,"岡崎市美術博物館がオープンした日だよ","高隆寺町（こうりゅうじちょう）の岡崎中央総合公園（おかざきちゅうおうそうごうこうえん）内にある美術博物館（びじゅつはくぶつかん）。ガラスで覆（おお）われたおしゃれな建物といえばわかるかたも多いはず。心を語るミュージアム「マインドスケープ・ミュージアム」として、年間を通して市内外から多くのかたが訪れています。この美術博物館がオープンした日が、平成８（1996）年７月６日のことでした。現在、美術博物館では７月12日まで「ピサロ展」を開催中です。また、７月18日からは「おかざきの考古学（こうこがく）」を開催します。入館は午前10時～午後６時。休館日は月曜日です。詳しくは、美術博物館　電話0564-28-5000へお問い合わせください。","","",
07,07,"松平元康が「家康」と改名した日だよだよ","江戸幕府（えどばくふ）の初代将軍（しょだいしょうぐん）で、岡崎が生んだヒーローといえば、もちろん徳川家康（とくがわいえやす）公です。その家康公が、名前をそれまでの「元康（もとやす）」から「家康（いえやす）」にかえた日が、永録６（1563）年７月７日と考えられています。もともと生まれたときの名は竹千代（たけちよ）。その後、元信（もとのぶ）、元康（もとやす）、家康（いえやす）と改名しました。家康と改名したこの年の秋、家康にとっては人生の三大危機（さんだいきき）の一つである、西三河一向一揆（にしみかわいっこういっき）が始まりました。しかし、この危機（きき）を乗り越えることで、家康公は天下統一へ、大きな一歩を踏み出しました。","","",
07,08,"市内の坂道に愛称を記した標柱を設置した日だよ","丘陵（きゅうりょう）の上に発達してきた岡崎市。起伏（きふく）があって、丘と坂の多い地形（ちけい）が特徴（とくちょう）です。そこで、坂道（さかみち）をより親しみやすくしようと、市が市内の坂道（さかみち）の愛称（あいしょう）を募集（ぼしゅう）することになりました。そして、応募（おうぼ）の中から10箇所を選定し、愛称を刻んだミカゲ石の標柱（ひょうちゅう）を現地へ設置した日が、昭和58年７月８日のことでした。例えば、明大寺町向山（みょうだしちょうむかいやま）の「努力坂（どりょくざか）」。竜海中学校（りゅうかいちゅうがっこう）や岡崎高校（おかざきこうこう）などへつながるあの坂です。中町２丁目から４丁目にまたがるのは「みかえり坂」。このあたりに花街（はなまち）があった頃、別れを惜しみつつ振り返りながら帰る姿が見られたことに由来する坂です。その他にも、地名からとった六地蔵町（ろくじぞうちょう）の「六地蔵坂（ろくじぞうざか）」や六供浄水場（ろっくじょうすいじょう）に向かう伊賀町（いがちょう）の「伊賀浄水坂（いがじょうすいざか）」。明大寺町の竜海院（りゅうかいいん）の住職（じゅうしょく）の説教を聞きに行くために上った坂で、住職の名からとった「法丈坂（ほうじょうざか）」など。坂の名前を言えば、そのまわりの様子が自然に浮びあがり、ロマンチックな気持ちになります。","","",
07,09,"奥殿陣屋で100万人達成感謝デーを開催した日だよ","奥殿町（おくとのちょう）にある奥殿陣屋（おくとのじんや）。旧奥殿藩の陣屋跡を市が観光地（かんこうち）として整備した施設です。休憩所（きゅうけいじょ）として利用できる書院（しょいん）をはじめ、奥殿藩の歴史を紹介した資料展示室（しりょうてんじしつ）や三河花火資料館（みかわはなびしりょうかん）、四季の花々が楽しめる花園苑（はなぞのえん）、四季の味覚が楽しめる金鳳亭（きんぽうてい）などが人気の施設です。この奥殿陣屋の来場者が、オープン10周年を迎えた平成７（1995）年に100万人に達し、その記念感謝デーが開かれた日が、７月９日のことでした。感謝デー当日は、三角クジの抽選会（ちゅうせんかい）や、ショウブの苗（なえ）の配布（はいふ）、フリーマーケットなどが行われ、にぎやかな一日となりました。","","",
07,10,"「開元の里」の分譲予約の受付が始まった日だよ","「味噌汁（みそしる）の冷めない距離（きょり）で親・子・孫の三世代同居を」をキャッチフレーズとして進められた「三世代宅地供給事業（さんせだいたくちきょうきゅうじぎょう）」。長寿社会（ちょうじゅしゃかい）への対応や、地域の活性化を目指して、三世代が同居できる広い敷地（しきち）を低価格（ていかかく）で提供（ていきょう）しようというのが狙いです。その第１号として当時、米河内町（よなごうちちょう）で進められていた「開元の里（かいげんのさと）」の分譲予約申込（ぶんじょうよやくもうしこみ）が始まった日、それが平成４（1992）年のきょう、７月10日のことでした。１坪当たり10万円台という値段が人気を呼び、最終的には申込は467人、６倍を超える競争率となりました。","","",
07,11,"第１回岡崎五万石コンクール全国大会を開催した日だよ","皆さんは「正調岡崎五万石（せいちょうおかざきごまんごく）」ってご存知ですか？　岡崎の民謡（みんよう）として全国に知られる名曲です。「五万石でも　岡崎様は　お城下まで　舟が着く」という歌詞には、家康公生誕の地である岡崎の栄華（えいが）が唄われ、上品でゆったりとした曲調（きょくちょう）が特徴（とくちょう）です。ただし、この曲が流行（りゅうこう）したのは岡崎でなく、東京だという説が有力です。いうなれば、岡崎へは“逆輸入（ぎゃくゆにゅう）”。岡崎を懐（なつ）かしむ都の人々が唄った曲なのでしょうか。この「正調岡崎五万石」をご当地（とうち）民謡として全国にＰＲしようと、家康公生誕450年を記念して、岡崎市で唄の全国コンクールを市民会館（しみんかいかん）で初めて開催した日が、平成４（1992）年７月11日のことでした。コンクールは、初日に予選会（よせんかい）、二日目に決勝戦（けっしょうせん）を行い、東京、大阪、秋田など、全国各地から160人が参加しました。二日目の決勝戦に残ったのは50人。優勝したのは、岡崎市針崎町（はりさきちょう）在住の高木三奈子さん。賞状・トロフィーのほか、副賞の軽自動車を手にしました。その後、コンクールは第10回を最後に幕（まく）を閉じましたが、今も保存団体（ほぞんだんたい）などによって正調岡崎五万石の講習会（こうしゅうかい）などが開かれています。","","",
07,12,"チョキちゃんこども１１０番の店がスタートした日だよ","岡崎市では、子どもたちの安全を守る市民や地域の活動が盛んです。これは、岡崎市民の防犯意識（ぼうはんいしき）が高いことを現しています。また、子どもたちが安心して暮らせる社会を目指すことは、お年寄りや女性など、犯罪（はんざい）の被害（ひがい）にあいやすい人にとってもとてもありがたいことです。平成17（2005）年７月12日は、岡崎市内の理容組合（りようくみあい。とこやさんのことです）が、子どもたちのために「チョキちゃんこども１１０番の店」をスタートさせた日です。「チョキちゃんこども１１０番の店」とは、子どもたちが登下校（とうげこう）の途中で不審者（ふしんしゃ）に後をつけられたり、犯罪に巻き込まれそうになったときに、お店に飛び込み助けを求めることができるというもの。理容店の入口には、そのことを示す「チョキちゃんマーク」が張られました。現在も、市内200店を超える床屋（とこや）さんが、子どもたちの安全に協力してくれています。","","",
07,13,"岡崎中央総合公園起工式を行った日だよ","高隆寺町（こうりゅうじちょう）にある岡崎中央総合公園（おかざきちゅうおうそうごうこうえん）。野球場（やきゅうじょう）や体育館（たいいくかん）、テニスコートなどがあるスポーツ施設を中心とした公園です。この岡崎中央総合公園の起工式（きこうしき。工事が始まることを祝う日です）が行われた日が、昭和61（1986）年７月13日のことでした。この起工式、実は市のごみ処理施設である中央クリーンセンターの起工式も兼ねたものでした。実際には、クリーンセンターはすでに造成（ぞうせい）に入っていましたが、中央総合公園は、この起工式の後、樹木（じゅもく）の伐採（ばっさい）、調整池（ちょうせいち）の設置などの工事にとりかかり、本格的（ほんかくてき）な工事は翌年からとなりました。そして３年後の平成元（1989）年10月、公園の施設第１号として総合体育館（そうごうたいいくかん）の建設が始まりました。ちなみに、完成は総合体育館よりも市民球場のほうが早く、平成３（1991）年５月のオープンでした。","","",
07,14,"岡崎藩が岡崎県になった日だよ","明治政府（めいじせいふ）が行った廃藩置県（はいはんちけん）により、岡崎藩（おかざきはん）が岡崎県（おかざきけん）となった日、それが明治４年７月14日のことでした。岡崎県の県庁は、岡崎城におかれ、県知事（けんちじ）は岡崎藩の最後の藩主（はんしゅ）である本多忠直（ただなお）がつとめました。岡崎県は額田郡（ぬかたぐん）、碧海郡（へっかいぐん）、幡豆郡（はずぐん）の19町198村でした。当時の人口（じんこう）は５万３９４３人と記録されています。しかし、その４カ月後の11月15日、三河の各県は統合され、岡崎県は額田県の一部となりました。","","",
07,15,"桑谷山荘がオープンした日だよ","三河湾国定公園（みかわわんこくていこうえん）にある市民休養施設「桑谷山荘（くわがいさんそう）」。四季の料理、展望風呂（てんぼうぶろ）、アジサイなどが人気の施設です。この桑谷山荘が、市営の国民宿舎（こくみんしゅくしゃ）としてオープンした日が、昭和45（1970）年７月15日のことでした。その後、平成18年１月には、市民休養施設（しみんきゅうようしせつ）としてリニューアルオープンし、岡崎市民は格安の１泊４４１０円から利用できるようになり、市外のかたでも１泊６３００円から利用できるようになりました。また、季節料理や各種のランチなど日帰りプランも充実しています。ちなみに、毎月６日、１６日、２６日は「風呂の日」で、入浴料（にゅうよくりょう）が半額になります。詳しくは、桑谷山荘　電話0564-48-2855 へお問い合わせください。","","",
07,16,"南公園の市民プールがオープンした日だよ","若松町（わかまつちょう）にある南公園（みなみこうえん）。遊園地（ゆうえんち）・交通広場（こうつうひろば）・テニスコート・プール・梅林（ばいりん）などが人気の公園です。この南公園で、市民プールが完成し、利用できるようになった日が、昭和47（1972）年７月16日のことでした。当時の市政だよりには、「南公園に25メートル、８コースのプールが完成しました。噴水（ふんすい）や滑り台付きの子ども用プールもあります。当日は、無料開放（むりょうかいほう）します。なお、午後５時30分からプールサイドでハワイアンバンドの演奏がありますので、ぜひ、ご来場ください」と書かれています。ハワイアンバンドの演奏なんて・・・いいなぁ。現在、南公園のプールには、改装（かいそう）の計画があります。新しいプールも楽しみです。","","",
07,17,"八帖交差点に歩道橋が完成した日だよ","国道１号と国道248号が交わる八帖交差点（はっちょうこうさてん）。ユニークな形の歩道橋（ほどうきょう）があることでも知られています。この交差点の歩道橋が完成し、開通式（かいつうしき）が行われた日が、平成元（1989）年７月17日のことでした。この八帖歩道橋は、道路の拡幅（かくふく）などを行う「国道１号環境整備事業」の一環としてつくられたものです。近くに岡崎公園などがあることから、地域の象徴的（しょうちょうてき）なものにしようといろいろな工夫がされています。例えば、幅２．１メートルの通路が上から見るとラグビーボールを斜めに２つ重ねた形をしているのは、岡崎城の別名が「竜ケ城（たつがじょう）」であることから、竜が絡（から）み合う様子をイメージしたそうです。そのほか、踊り場の高欄（こうらん）には、徳川四天王（とくがわしてんのう）の家紋（かもん）のプレートがはめ込まれてあったり、歩道は特産のみかげ石を使ったりと、岡崎らしさが演出されています。","","",
07,18,"今日と明日、おかざき農遊館で「石垣市の観光と物産展」を開催します","沖縄県石垣市（おきなわけんいしがきし）。岡崎市と親善都市提携（しんぜんとしていけい）を結んでいる都市です。親善都市提携のいきさつは、太平洋戦争当時、石垣市の旧大浜飛行場（きゅうおおはまひこうじょう）に駐屯（ちゅうとん）していた岡崎出身の海軍将兵たちが、戦後「八重桜会（やえざくらかい）」を結成したことによります。昭和39年1月「戦争中お世話になったお礼に」と大浜小学校（おおはましょうがっこう）へ童話集などを贈呈しました。その後、八重桜会の仲立ちで岡崎市の奥殿小学校（おくとのしょうがっこう）と石垣市の大浜小学校、平真小学校、明石小学校が姉妹校になり、児童たちの純真な交流をきっかけとして、昭和44年2月に両市の親善都市提携が実現しました。実は、今日と明日、東阿知和町（にしあちわちょう）のおかざき農遊館で、石垣市との親善都市提携40周年を記念して「石垣市の観光と物産展」を行います。会場には、パインアップル・マンゴー・塩ちんすこう・サーターアンダキー・ビンテージ泡盛（あわもり。おさけのことです）など、石垣市の香りのする特産品がずらりと並びます。ちょっとのぞいてみませんか？","","",
07,19,"水道通水70周年記念式典を開催した日だよ","みんなが毎日使う水道（すいどう）。岡崎市で水道が始まったのは昭和８（1933）年７月19日のことです。それから70年後の平成15（2003）年７月19日に、岡崎市は水道通水７０周年の記念式典（きねんしきてん）を行いました。式典が行われたのは、市役所福祉会館。関係者350人が出席し、式典のあと、タレントの柳生博（やぎゅうひろし）さんが「水と森」をテーマに講演（こうえん）を行いました。また、市民から募集した水に関する標語（ひょうご）の最優秀賞（さいゆうしゅうしょう）には、山綱町（やまつな）の菱沼直一さんの「中核市、届いた水は宝もの」が選ばれました。ちなみに、水道のマスコット「スイットくん」のデザインは、このとき誕生した「ゆるキャラ」で、大西町（おおにしちょう）の稲垣香奈さんのデザインが採用されました。","","",
07,20,"岡崎に空襲があった日だよ","岡崎が最初に空襲（くうしゅう）を受けたのは、昭和20（1945）年１月５日のことでした。午前５時20分頃、洞町（ほらまち）に焼夷弾（しょういだん）が投下され、８戸250坪が焼失（しょうしつ）しました。次いで５月14日、同じく洞町に投下。しかし、最も大規模（だいきぼ）な爆撃（ばくげき）を受けたのは、７月20日未明のことでした。当時、岡崎には名古屋の大工場の下請け工場が多数ありました。アメリカ空軍司令官（くうぐんしれいちょうかん）・ルメーの報告書（ほうこくしょ）によると、空襲すれば、この地方だけでなく、日本全体にダメージを与えられるというものでした。７月20日は、深夜０時40分から２時30分にかけて、Ｂ29戦闘機、約120機が焼夷弾を投下しました。爆弾は850トン余り。市の中心街（ちゅうしんがい）は燃え続け、朝10時頃にようやく鎮火（ちんか）しました。岡崎空襲の被害は資料によって多少異なりますが、死者は200人以上、住居約７千戸が全焼したと考えられています。昭和20年６月末の戸数は２万弱でしたので、単純に計算すると、３分の１の人々が住まいを奪われた、まさに大惨事（だいさんじ）となりました。","","",
07,21,"自動車文庫の名前が「あおい号」になった日だよ","図書館（としょかん）から遠く離れた地域に住んでいるかたにも、たくさん本を読んでもらおうと、昭和50（1975）年に自動車文庫（じどうしゃぶんこ）がスタートしました。当初、その車は「みどり号」と呼ばれていました。しかし、昭和58（1983）年の７月21日からは、ＮＨＫの大河ドラマの影響で沸き起こった家康ブームにちなみ「あおい号」と名前を変え、よそおいも新たに再スタートをきりました。２台の「あおい号」は現在も活躍中で、市内の指定会場を毎月２回ずつ回っています。小説（しょうせつ）や実用書（じつようしょ）など大人向けの本だけでなく、子ども用の絵本（えほん）や図鑑（ずかん）まで揃（そろ）っているのが人気の秘密です。巡回場所や時間などは、市政だよりの毎月15日号に掲載しています。ちなみにきょうは、午前中に大雨川小学校（おおあめかわしょうがっこう）と鳥川小学校（とっかわしょうがっこう）へ、午後は宮崎小学校（みやざきしょうがっこう）と千万町小学校（ぜまんじょうしょうがっこう）へ巡回します。ご近所のかたは、一度のぞいてみてはいかがですか。","","",
07,22,"岩津地域商店街の発展を考える会が初会合を開いた日だよ","身近(みぢか)な問題（もんだい）を市民自ら考えてもらおうと、平成３年に市が提案した「まちづくり研究会（けんきゅうかい）」。その研究会の第１弾となった「岩津地域商店街の発展を考える会」の初会合（はつかいごう）が開かれた日が、平成３（1991）年７月22日のことでした。会合には岩津発展会（いわづはってんかい）の役員（やくいん）、青年部（せいねんぶ）、消費者（しょうひしゃ）、生産者（せいさんしゃ）の代表20人が出席。「多くの文化遺産（ぶんかいさん）を活用しては」「人を呼べるような催しを」など、活発な意見交換（いけんこうかん）が行われました。その後、回も重ね、平成５年の夏には、「岩津とおりゃんせ祭り」を開催。岩津天神太鼓（いわづてんじんだいこ）や盆踊り、ゲーム大会、朝市など、大変なにぎわいとなりました。","","",
07,23,"道路の愛称募集に1400件もの応募があった日だよ","昭和59年、岡崎市は、地域（ちいき）の道路（どうろ）を地域の人たちにもっと親しんでもらおうと、道路の愛称（あいしょう）を募集しました。その愛称募集の締め切り日が、昭和59（1984）年７月23日のことでした。応募総数は、なんと1400件あまり。当初の予想をはるかに上回るものでした。岡崎市が道路の愛称を募集したのは、１年前の昭和58年に建設省（けんせつしょう）から「道路に愛称をつける運動」のモデル都市（とし）に指定（してい）されたことがきっかけでした。募集は、すでに愛称が定着していた「伝馬通り（てんまどおり）」「モダン通り」「平針街道（ひらばりかいどう）」などをのぞく道路で、歴史的な由来（ゆらい）や沿道に有名な施設があるなど愛称をつけやすい32路線（ろせん）を対象に行いました。選定の結果、１カ月後の８月30日に道路の愛称が決定しました。「電車通り（でんしゃどおり）」「竜美丘（たつみがおか）ポプラ通り」「八丁蔵通り（はっちょうくらどおり）」「会議所通り（かいぎしょどおり）」「竹千代通り（たけちよどおり）」など、よく耳にする愛称は、この時に選ばれたものだなんですよ。","","",
07,24,"庄司田公園がオープンした日だよ","庄司田公園（しょうじだこうえん）は、かつて庄司田池（しょうじだいけ）、庄司田湿原（しょうじだしつげん）と呼ばれていました。しかし、柱土地区画整理事業にともない埋め立てられることとなり、公園として生まれ変わったというわけです。その庄司田公園が完成し、開園式を行った日が、昭和52（1977）年７月24日のことでした。埋め立てたとはいえ、自然環境（しぜんかんきょう）の回復（かいふく）に配慮（はいりょ）した設計が行われ、湿原後の斜面（しゃめん）を生かした散歩道（さんぽみち）や芝生広場（しばふひろば）のほか、クロマツ、ソヨゴ、カシなどが植えられました。今も、地域市民の憩いの場として親しまれています。","","",
07,25,"琴光喜関が大関に昇進した日だよ","岡崎市出身の力士（りきし）といえば、もちろん琴光喜関（ことみつきぜき）。新香山中学校（しんかやまちゅうがっこう）の出身で、アマチュア時代は、27個のタイトルに輝き、平成11（1999）年３月場所でデビューしました。デビュー当時のしこ名は、琴田宮（ことたみや）。その後、平成11年11月場所に新十両（しんじゅうりょう）、平成12年５月場所に新入幕（しんにゅうまく）を果たし、平成13年９月場所で幕内在位（まくうちざいい）7場所というスピードで幕内初優勝（まくうちはつゆうしょう）を飾りました。そし、平成19年５月場所での好成績（こうせいせき）が認められ、７月25日に大関（おおぜき）に昇進しました。今年は結婚もしました！　ふるさとの星としてさらなる期待がかかります。がんばれ！大関 琴光喜関。","","",
07,26,"岡崎鳳来教育林「シャクナゲの里」がオープンした日だよ","皆さんは、岡崎鳳来教育林「シャクナゲの里」ってご存知ですか？　シャクナゲの里は、岡崎市が土地を取得し、スギやヒノキなどを植林して整備した森です。天竜奥三河国定公園の高峰明神山と名勝乳岩峡の中間にあり、標高は約700メートル。岡崎市が行っている「おいでん施設めぐり」でもおなじみの自然散策スポットです。このシャクナゲの里を整備し、管理小屋などの完成を祝い、キャンプ場として「開所式」を開いた日が、昭和57（1982）年７月26日のことでした。シャクナゲの里が利用できるのは、４月の第３土曜日から10月末まで。テントでの宿泊利用は、５月１日から９月末までです。利用申込や問い合わせは、市役所林務課（電話０５６４－８２－３１０２）へ。","","",
07,27,"名鉄東岡崎駅前に明治村と同じガス灯が設置された日だよ","名鉄東岡崎駅前（めいてつひがしおかざきえきまえ）にともるガス灯をご存知ですか？　平成２年４月、名鉄東岡崎駅前の明大寺商店街振興組合は、商店街一帯を「ガス灯のともる街」にしようと、駅前通りに12基のイギリス製のガス灯を設置しました。そして、それから３カ月後の７月27日、犬山市にある観光施設「博物館明治村（はくぶつかんめいじむら）」にあるものと同じ型のガス灯型水銀灯を新たに１基設置し、点灯式を行いました。この水銀灯は、明治時代に神戸にあったガス灯を基本にデザインされたものです。明治村のオープン当初から建てはじめ、明治村内には当時80基以上が設置されていました。明治村以外にこのタイプのガス灯が建てられたのは、岡崎市が初めのこととなりました。ガス灯の設置に必要な資金約100万円は、岡崎市民へのプレゼントとして、明治村と岡崎市を引き合わせた名鉄が負担してくれました。","","",
07,28,"岡崎公園が「日本の都市公園１００選」に選ばれた日だよ","「日本の都市公園100選」ってご存知ですか？　財団法人 日本公園緑地協会が平成元年に全国の都市公園（としこうえん）の中から「日本を代表する都市公園」として選定したものです。この都市公園100選に、岡崎公園が選ばれた日が、平成元（1989）年７月28日のことでした。選定委員は、写真家の浅井慎平さん、劇作家（げきさっか）の如月小春さんら７人。県内では岡崎公園のほか、名古屋市の東山公園（ひがしやまこうえん）、大高緑地（おおだかりょくち）、名城公園（めいじょうこうえん）、春日井市の落合公園（おちあいこうえん）が選ばれました。「日常生活に密着し、親しまれ、誇りとされる都市公園」。選定項目にピッタリの岡崎公園は、今も昔も岡崎のシンボルです。","","",
07,29,"愛産大三河高校が甲子園出場を決めた日だよ","夏といえば高校野球（こうこうやきゅう）、そして甲子園（こうしえん）のシーズンですよね。今日、７月29日は、地元岡崎の愛知産業大学三河高校（あいちさんぎょうだいがくみかわこうこう）が、平成８（1996）年の県大会決勝で、優勝候補の愛知高校に３－０で勝利し、甲子園初出場を決めた日です。三河地域からの甲子園出場は、中日ドラゴンズで活躍した青山投手がいた豊川市（とよかわし）の国府（こう）高校以来21年ぶりの快挙となり、優勝の瞬間、岡崎市内は歓声で沸きかえりました。エースとしてマウンドに立ったのは神野投手。得意のスライダーとシュートで三振の山を築く快投を見せ、打っても２安打の大活躍。優勝の立役者となりました。残念ながら甲子園での勝利はかないませんでしたが、メンバー全員が三河出身者の「三河野武士野球」を全国にアピールしました。","","",
07,30,"市民球場で初めての公式ナイターが行われた日だよ","高隆寺町（こうりゅうじちょう）の岡崎中央総合公園（おかざきちゅうおうそうごうこうえん）にある市民球場。スタンド・電光掲示板・ナイター設備などがある野球場です。この市民球場で、プロ野球ウエスタンリーグ公式戦「中日ドラゴンズVS広島カープ」のナイター試合が行われた日が、平成３（1991）年７月30日のことでした。市民球場初の公式戦ナイターが夏休み中に行われるということで、スタンドには１万２千人余りの野球ファンがつめかけました。ちなみに、プロ野球ウエスタンリーグの公式戦が地方球場でナイターを行われたのも、この日が初めてだったということです。","","",
07,31,"都市対抗野球で三菱自動車岡崎が準優勝に輝いた日だよ","社会人野球（しゃかいじんやきゅう）の殿堂（でんどう）「都市対抗野球大会（としたいこうやきゅうたいかい）」。毎年夏に東京ドームで開催される社会人野球の全国大会です。平成13（2001）年７月31日は、第72回大会に出場した三菱自動車岡崎（みつびしじとうしゃおかざき）チームが初の準優勝に輝いた日です。決勝で浜松市（はままつし）の河合楽器（かわいがっき）に３－６で敗れたものの、岡崎市のチームとしては過去最高の成績を納めました。特に目立ったのが決勝までの５試合で41点をたたき出した強力打線（きょうりょくだせん）。そして、今年８月21日から開催される第80回大会でも、三菱自動車岡崎は岡崎市の代表として東京ドームに登場します。がんばれ！三菱自動車岡崎！","","",
08,01,"ごみの市内全域収集がスタートした日だよ","みんなの家のごみを集めてくれる「ごみ収集（しゅうしゅう）」。可燃（かねん）ごみ・紙製容器（かみせいようき）類・ペットボトル・プラごみ・不燃（ふねん）ごみ…など、各家庭で分別されたごみは、町内のごみステーションに集められ、市のごみ収集車などで収集します。この「ごみ収集」を市内全域で行うようになった日が、昭和48(1973)年８月１日のことでした。当時の収集ごみの分別は、「燃えるごみ」と「燃えないごみ」の２種類。ごみ袋も現在のような「市指定ごみ袋」ではなく、市販のポリ袋などが使用されていました。あれから35年以上が経過した今では、分別の細分化やリサイクルの推進などによるごみ減量への取り組みが盛んに行われています。平成21年３月１日から始まったレジ袋の有料化も、環境への取り組みの一つだよ。","","",
08,02,"三菱自動車岡崎の野球部がパレードを行った日だよ","平成13年に東京ドームで行われた第72回都市対抗野球（としたいこうやきゅう）の全国大会で準優勝（じゅんゆうしょう）した三菱自動車岡崎（みつびしじとうしゃおかざき）。その活躍をたたえ、大活躍のナインを市民にお披露目しようと、夏恒例の「岡崎観光夏まつり」のオープニングで準優勝パレードが行われることになりました。そして、このパレードが行われた日が、平成13（2001）年８月２日のことでした。パレードには、堀井監督や野波主将をはじめ35人の選手が参加し、伝馬（てんま）通り約１キロを３千人の市民が見守りました。沿道からは「よくやった」「次は優勝だ！」の声があがっていました。そして、今年。第80回都市対抗野球で東海地区の代表として三菱自動車岡崎は８回目の出場を果たしました。１回戦は８月21日（金）。みんなで岡崎市の代表を応援しようね。","","",
08,03,"河合中学校で火事。校舎が焼失してしまいました","茅原沢町（ちはらざわちょう）にある岡崎市立河合（かわい）中学校は、昭和22(1947)年、秦梨（はだなし）小学校を仮校舎（かりこうしゃ）に、額田郡（ぬかたぐん）河合村立河合中学校として開校（かいこう）しました。当時、村は財政難で、校舎建設が遅れ、現在の場所（男川と乙川の合流地域）に校舎ができたのは、昭和25(1950)年のことでした。その後、昭和30(1955)年に河合村と岡崎市が合併（がっぺい）したことで、岡崎市立河合中学校となりました。その年の８月３日に、校舎が火事に見舞われました。学校にとって一大事となりましたが、幸い、４カ月後の12月には校舎の建て替えが完了し、生徒たちの学校生活も元通りとなりました。その後の同校の活躍ぶりはよくご存知ですよね。ゲンジボタルの人工飼育・放流を行うなど、自然環境との共生をテーマとした教育が全国に知られている、あの「河合中学校」ですよ。","","",
08,04,"天皇陛下が市体育館で全国高校総体女子バレーを観戦した日だよ","昭和58(1983)年の夏、全国高校総体（ぜんこくこうこうそうたい）女子バレーボール競技が、岡崎市を舞台に行われました。地元からは女子バレーボールの強豪校として全国に知られる岡崎女子高等学校（現在の岡崎学園）が出場しました。この大会が六名本町（むつなしんまち）の市体育館で行われたときに、現在の天皇・皇后両陛下（てんのう・こうごうりょうへいか　※当時は皇太子殿下ご夫妻でした）が、観戦（かんせん）のために岡崎をご訪問になった日が、昭和58(1983)年８月４日のことでした。沿道（えんどう）に並んだ大勢の市民が日の丸の小旗（こばた）を振って歓迎（かんげい）する中、午前10時頃、体育館にお着きになり、さっそく試合を観戦。繰り広げられる熱戦に目を見張られ、元気なプレーに盛んな拍手を送られていました。その後、控え室に戻られるとき、岡崎女子高校の選手たちにも気軽に言葉をかけられました。","","",
08,05,"移動図書館みどり号がスタートした日だよ","図書館（としょかん）から遠く離れた地域に住んでいるかたも、もっと本を読んでもらおうと、市立図書館が自動車文庫（じどうしゃぶんこ）をスタートさせた日が昭和50(1975)年のきょう、８月５日のことでした。名前は「みどり号」。マイクロバスを改造して本棚を取り付け、1,500冊あまりの本を積んで、市周辺部の小学校、老人憩いの家、公民館など、１日に３～４カ所を巡回することとなりました。その後、昭和58(1983)年には、ＮＨＫ大河ドラマの影響で沸き起こった家康ブームにちなみ、「あおい号」と名前を変え、今に至っています。現在、あおい号は２台。１台に積めるのは、何と2,300冊あまり。小説や実用書など大人向けの本だけでなく子ども用の絵本や図鑑まで揃っているのが人気の秘密です。巡回場所や時間などは、市政だよりの毎月15日号にも掲載しています。ちなみに、明日６日の午前10時10分～11時は、広幡小学校（ひろはたしょうがっこう）と矢作北小学校（やはぎきたしょうがっこう）へ、午後１時30分～２時20分は、六ツ美中部小学校（むつみちゅうぶしょうがっこう）と本宿小学校（もとじゅくしょうがっこう）におじゃまします。ご近所のかたは、一度のぞいてみてはいかがですか。","","",
08,06,"「葵博」で使われた茶店が奥殿陣屋へ引っ越した日だよ","皆さんは「葵博（あおいはく）岡崎87」をご存知ですか？　岡崎市が市制施行（しせいしこう）70周年を記念して開催した博覧会（はくらんかい）です。キャラクター「ピーコ」が懐かしいですよね。当時、葵博・五万石城下町会場には、21件の茶店（ちゃみせ）が建っていました。葵博終了後「せっかくの建物だから」と、再利用の検討がされ、以前から茶店建設を検討していた奥殿町（おくとのちょう）の観光施設　奥殿陣屋（おくとのじんや）が、再利用先となりました。そして、この建物の引っ越しが完了した日が、昭和62(1987)年の８月６日のことでした。奥殿陣屋へ移転されたのは「大手門（おおてもん）」と「茶店」。「大手門」は施設入り口に、「茶店」は、うどん・ぜんざい・五平もちなどが味わえる、あの「売店」といえば、皆さんピンと来ますよね。","","",
08,07,"「心の電話おかざき」がスタートした日だよ","小・中学生の様々な悩みを聞いて一緒に考えの糸口を見つけたい。こんなテーマで始まった電話相談「心の電話おかざき」。この「心の電話おかざき」がスタートした日が、昭和56(1981)年の８月７日のことでした。オナヤミと読める電話番号は、２２－０７８３。日曜日・祝日・年末年始を除く、午後１時から９時まで、専門の相談員が小・中学生とその保護者の話し相手となり、いろいろな悩みを同じ目線で聞いてくれます。顔も名前も知られずに、本音の相談ができる電話の特性を利用した「心の電話おかざき」。悩みを即座（そくざ）に解決（かいけつ）することは難しいかもしれませんが、友達のいない現代っ子、孤立感の強い保護者にとっては、悩みを打ちあけ、一緒に考える相手がいることだけでも救いになるのではないでしょうか。２２－０７８３。一人で悩まず、とにかく話してみませんか。","","",
08,08,"岡崎市で、そろばんの全国大会が開かれた日だよ","みんなは「そろばん」って知ってる？　指で玉をはじきながら計算する道具で、昔から「読み・書き・そろばん」といわれるくらい、学問の基本とされてきたものだよ。この「そろばん」の日本一を決める「第46回全日本珠算選手権大会」が東明大寺町（ひがしみょうだいじちょう）の竜美丘会館（たつみがおかかいかん）で開かれた日が、平成14(2002)年８月８日のことでした。８月８日の「パチパチ」の日にちなんで開かれたこの大会には、全国から2000人が参加し、計算の腕前（うでまえ）を競いました。また、参加者の中には４人のブラジル人も含まれ話題となりました。見事、日本一に輝いたのは北海道の男性。1500点満点中、1490点という高得点で優勝。間違えたのは１問のみというはなれわざを披露しました。右脳のトーニングに役立つといわれる「そろばん」。みんなもチャレンジしてみませんか？","","",
08,09,"乙川サマーページェントを開催した日だよ","平成４年、岡崎市は、徳川家康公生誕（とくがわいえやすこうせいたん）450年を記念し、年間を通じて様々なイベントを企画・開催しました。その中の一つとして、乙川河畔（おとがわかはん）での野外コンサート「サマーページェント」を行った日が、平成４(1992)年８月９日のことでした。コンサートに登場したのは、450年祭のテーマミュージック「家康の四季」を作曲した宮下富実夫さん。ステージでは、「家康の四季」や、長野オリンピックのために作った曲など、10曲を得意のシンセサイザーで演奏しました。殿橋下流（とのばしかりゅう）の河川敷（かせんじき）に作られた舞台背後には巨大スクリーンが設けられ、夜空にはレーザー光線が飛び交いました。ちなみに、客席となったのは、花火大会用に設置された「さじき」で、１万人の観客が詰めかけました。","","",
08,10,"呼和浩特市と友好都市提携を結んだ日だよ","昭和60(1985)年３月、来日中のチャン・チーション呼和浩特市長（ふふほとしちょう）が岡崎市を訪問しました。さらに、その年の11月、アジアロバ２頭が岡崎市へ寄贈（きぞう）されたことをきっかけに、両市の交流がスタートしました。その後、チィアツァイ呼和浩特市長が岡崎市を訪れ、友好都市提携（ゆうこうとしていけい）の要望を受けたことから、市民代表による日中友好交流提携委員会（にっちゅうゆうこうこうりゅうていけいいいんかい）が設置されました。そして、昭和62(1987)年のきょう８月10日、岡崎市の使節団が呼和浩特市を訪問し、人民政府会議室（じんみんせいふかいぎしつ）で友好都市提携の調印式（ちょういんしき）が行われました。呼和浩特市は、中華人民共和国（ちゅうかじんみんきょうわこく）の内蒙古自治区（うちもうこじちく）の首府（しゅふ）で、政治・経済・文化の中心地です。人口は200万人あまり。毛織物工業のほか、国の重点開発地区として新しい経済政策のもとに、新興工業都市（しんこうこうぎょうとし）として、いま、目覚しい発展を遂げ、市街地には高層ビルが立ち並ぶほどの発展を見せています。","","",
08,11,"岡崎市美術館が開館した日だよ","昭和46(1971)年、明大寺町（みょうだいじちょう）に岡崎市立図書館がオープンしました。それから遅れること１年後の昭和47(1972)年の８月11日、そのすぐ隣に、岡崎市美術館がオープンしました。オープン以来、様々な企画展（きかくてん）や所蔵品展（しょぞうひんてん）を開催し、市民ギャラリーとしての役割も果たしてきました。さらに、平成20(2008)年11月に図書館が康生通（こうせいどおり）の「図書館交流ブラザ・りぶら」へ移転してからは、旧図書館のスペースを美術館の一部として利用することとなりました。今年度からは、このスペースを利用して、展覧会や美術教室など、これまで以上に市民の幅広い利用もできるようになりました。ちょうど今、美術館では、９月から始まる美術教室の受講生を募集中です。水彩画や油彩画などが学べます。申込は今月20日までです。詳しくは、美術館Tel0564-51-4280へ。","","",
08,12,"酒井広親の石宝塔が建立された日だよ","松平初代の子どもで、酒井家の祖先でもある酒井広親。その広親の墓、石宝塔が建てられたのが、長禄３(1459)年のきょう８月12日のことでした。場所は、今の岩津小学校のとなり。松平親氏（信光）の墓が信光明寺観音堂（しんこうみょうじかんのんどう）のすぐ近くにあるのに対し、広親の墓は信光明寺からかなり離れています。当時の寺領、寺の領土が、いかに広かったか、こんなところからも想像できますね。この石宝塔、市内で最も古い墓塔、墓の塔の一つといわれ、岡崎市の文化財に指定されています。","","",
08,13,"三河地震で落ちた矢作橋の架け替えが完了した日だよ","矢作橋（やはぎばし）について、町史編集委員会発行による「矢作町の歴史」には、『伝説によれば、飛鳥時代（あすかじだい）に百済（くだら）の帰化人が架けたという。平家物語（へいけものがたり）によれば、源平両軍（げんぺいりょうぐん）が橋を挟んで合戦したというから、平安時代（へいあんじだい）に橋らしい橋ができたのでしょう。本格的な橋は西郷が城を築いたときのものになる』と記されています。また、岡崎市史によれば、初代の矢作橋は1602年、慶長７年に完成。数えて15代目の橋が、昭和26(1951)年のきょう８月13日に完成し、渡り初めが行われました。14代目の橋は、昭和20年１月に発生した三河地震で八帖側（はっちょうがわ）が落下してしまいました。直ちに岡崎市内の大工が総動員で修理したという記録も残っています。しかし、修理の甲斐もなく、昭和24年に完全に橋が落ち、15代目の橋の建設に着手したというわけです。そして、現在、さらに新しい橋の建設が着々と進められています。","","",
08,14,"岡崎公園で米騒動による暴動が起こった日だよ","大正７(1918)年の７月から９月にかけて、日本全国で米騒動（こめそうどう）が発生しました。当時、第１次世界大戦によって景気が良くなった反面、米などの値段は急激に高騰（こうとう）しました。民衆の生活は、騒動（そうどう）が起きるほど緊迫した状況が続いていました。このことは、岡崎も例外ではありませんでした。額田郡福岡町（ぬかたぐんふくおかちょう）では、８月13日に町民300人あまりが町長宅や米屋を襲撃（しゅうげき）しました。こうした情勢に対し、岡崎市では14日に、県会議員らが協議し、17日から市内５カ所で米を安い値段で売ることを決定しました。しかし、この日の夜８時頃、岡崎公園に千人あまりの群衆（ぐんしゅう）が集まり気勢を上げ、公園内の電灯を壊したり、米屋に石を投げたりしました。そこで、市は予定を早め15日から米の安売りを行うこととしたため、群衆は午後10時には解散しました。ところが、翌日の15日にも３千人ほどが岡崎公園に集合。８人もの逮捕者（たいほしゃ）を出す、騒動が起こってしまいました。","","",
08,15,"戦災孤児施設跡に記念碑が建てられた日だよ","上衣文（かみそぶみ）町にある渭信寺（いしんじ）。以前、このお寺には太平洋戦争で両親を亡くしたり、住む家を失ったりした子どもたちの施設「名古屋市立本宿郊外学園」がありました。学園があったのは昭和21年～41年の20年間。多いときには約150人の小中学生がいっしょに生活しながら施設内の学校に通い、約400人がこの学園を巣立っていきました。この渭信寺で、卒業生らが記念碑（きねんひ）を建立し、除幕式（じょまくしき）を行った日が、平成９（1997）年８月15日のことでした。記念碑の高さは2.5メートル。２枚の石板に屋根が付き、その中に学園で使われていた鐘（かね）がつるされています。悲しい戦争に巻き込まれながらも、強く生きた孤児（こじ）たちの「生きたあかし」がそこにあります。","","",
08,16,"奥殿陣屋で全国縦断リレー茶会を開催した日だよ","奥殿町（おくとのちょう）にある奥殿陣屋（おくとのじんや）。明治時代に茶道を近代化し、一般市民に広めたことで知られる裏千家（うらせんけ）第11代玄々斎宗室（げんげんさいそうしつ）の生誕地として裏千家とかかわりの深い施設です。この奥殿陣屋で、北は北海道、南は沖縄県まで、全国を縦断するリレー茶会が開かれた日が、平成15（2003）年８月17日のことでした。リレーに欠かせないバトンの代わりに引き継がれたのは、茶会に使用する「掛け軸」「茶しゃく」「茶わん」の３点セット。この地方では、四日市→岡崎→名古屋と受け継がれました。会場となった奥殿陣屋の書院ては、普段から抹茶を味わうことができますよ。","","",
08,17,"矢作川に架かる美矢井橋が完成した日だよ","県道安城・幸田線、下佐々木町（しもささきちょう）と上青野町（かみあおのちょう）を結ぶ「美矢井橋（みやいばし）」。この辺りに橋が架けられたのは明治18年の青野橋（あおのばし）が最初で、当時は人の通行しかできない不安定なもので、別名“こんにゃく橋”と呼ばれていました。美矢井橋という名前になったのは、大正３年の架け替えのときで、六ツ美（むつみ）の美、矢作（やはぎ）の矢、桜井（さくらい）の井をとって、「美矢井橋」と名づけられました。昭和24(1949)年にも架け替えましたが、木製の橋は通過自動車の増加、大型化には絶えられず、昭和34(1959)年には新しい橋の建設に着手。そして、昭和40(1965)年のきょう８月17日に、現在の美矢井橋が完成しました。","","",
08,18,"岡崎額田地区広域市町村圏協議会が発足した日だよ","岡崎市・幸田町（こうたちょう）・額田町（ぬかたちょう）が一体となって、公共サービスを進めていくために組織した広域行政機構「岡崎額田地区広域市町村圏協議会」。この協議会が発足した日が、昭和47(1972)年の８月18日のことでした。当時、市民の生活圏（せいかつけん）は確実に拡大し、市町村の区域を超えた社会生活圏が形成されつつありました。公共施設の充実はもちろん、道路の整備やゴミ問題、福祉、保健、生涯教育などを、広域ネットワークで考えていく必要性や重要性は増すばかりです。岡崎市と額田町が合併した現在も、そのニーズに応えるべく、様々な検討・計画が進められています。","","",
08,19,"本日から「アーティストの森事業」のプレイベントを行います","みんなは「アーティストの森事業」って知ってる？　アーティストの森事業とは、「水とみどりの森の駅」を舞台に繰り広げる「芸術（アート）」をキーワードにした新しい事業です。様々な分野の芸術に興味を持つ人の関心を森林や水資源へも向けさせて、より多くの人が自然環境に興味を持ったり、かかわったりすることをねらいとしています。本格的な事業の開始は平成22年度からとなりますが、そのプレイベント、木村崇人展「星がすむ部屋」を本日８月19日（水）から９月23日（祝）まで行います。会場は、樫山町にある森の総合駅（額田支所のとなりです）。ピンホール（小さい穴）を使って、星の形を作る体験型イベントです。開催時間は、午前８時30分～午後５時15分。親子で楽しむことができますので、ぜひ、お出かけください。","","",
08,20,"三世代宅地「開元の里」に申し込みが殺到しました","高齢化社会（こうれいかしゃかい）を目の前にして、親・子・孫の三世代が一緒に住める宅地をとの願いを込めて、岡崎市が進めた三世代宅地供給事業（さんせだいたくちきょうきゅうじぎょう）。その第１弾が、米河内町（よなごうちちょう）の「開元の里（かいげんのさと）」です。この「開元の里」の予約申込の締め切り日が、平成４(1992)年８月20日のことでした。予約の総数は467件。その競争率は、何と6.14倍の超高倍率となりました。分譲区画数（ぶんじょうくかくすう）は76区画で、１区画が330平方メートル～491平方メートルと広く、しかも坪当たりの平均価格は18万５千円と破格の安さが人気の要因だったようです。締め切り後、10月の公開抽選（こうかいちゅうせん）を経て、最初の入居者は翌年の平成５年６月29日のことでした。今では、もうすっかり一つの街ができあがっていますよね。","","",
08,21,"中国フフホト市へファクス機を寄贈した日だよ","フフホト市。岡崎市と友好都市提携（ゆうこうとしていけい）を結んでいる中国の都市です。そのフフホト市との友好都市提携が５周年を迎え、フフホト市を訪れた岡崎市の使節団が、フフホト市人民政府（じんみんせいふ）を表敬訪問（ひょうけいほうもん）した際にファクス１台を贈った日が、平成４(1992)年８月21日のことでした。さっそく、フフホト市長からのファクスによるメッセージが岡崎市に届きました。メッセージには「使節団を歓迎している。ファクス機は両国の密接な連絡と友情、交流を促進し、予想以上の効果を発揮するでしょう。お礼申し上げます」と書かれていました。一方、岡崎市からも、「友好都市提携５周年と日中国交回復20周年を祝うとともに、両国の友好が今後益々発展するように祈ります」とファクスを使いメッセージが送られました。","","",
08,22,"岡崎市消防職員が全国消防救助技術大会で日本一に輝いた日だよ","災害や事故の現場に直行し、市民の命や財産を守り続ける消防。その最前線で活躍する消防士たちは、毎日厳しい訓練に耐え、消化活動や救助活動に必要な技術を身に付けていきます。全国消防救助技術大会は、高い技術を身につけた消防士が全国各地から集まり、その技を競い、日本の消防技術の向上を目指して毎年行われている消防救助技術の全国大会です。この全国消防救助技術大会で岡崎市の消防士　酒井亮治さんが日本一に輝いた日が、平成９（1997）年８月26日のことでした。酒井消防士が出場したのは、「個人・はしごの部」。各地の予選を勝ち抜いた38人が出場する中、命綱（いのちづな）を体に結び、高さ約15メートルの「はじご」を14秒５の速さで登り切り、見事、優勝しました。ちなみに、今年の全国大会には、酒井消防士の後輩消防士ら14人が全国大会に出場し、岡崎市消防の技術とチームワークを披露しました。","","",
08,23,"大門交番に来客用のテレビ電話が設置された日だよ","毎日、まちの安全を守り続ける交番。交番で働いている「おまわりさん」のもとには、地域の人々がいろいろな相談や問い合わせに訪れます。でも、「おまわりさん」がパトロール中の間は交番が留守になってしまい、相談や問い合わせができません。こんなときのために、愛知県警は、交番を訪れた人を自動的に感知して、管内の本署と直接連絡できるテレビ電話システムを開発しました。このシステムが岡崎市内に初めて登場した日が、平成６（1994）年８月23日のことでした。テレビ電話が設置されたのは、大樹寺（だいじゅじ）１丁目にある大門交番（だいもんこうばん）。国道248号沿いで比較的パトロールの回数が多いために市内１番手となりました。ちなみに、設置から15年が経過した現在は、このシステムは撤去されています。代わりに、おまわりさんが留守のときには、交番の電話を使用すれば本署へ直接連絡することができるようになりました。もう一度いいますよ。おまわりさんが留守のときでも、交番の電話を使って岡崎警察署へ連絡できるからね。","","",
08,24,"市が本多政長の甲冑を購入することを表明した日だよ","「戦国武将（せんごくぶしょう）ブーム」って知ってる？　若い世代の女性を中心に、熱心な歴史ファンが全国の城や歴史資料館などを訪れていることがテレビや新聞などで紹介されているよね。岡崎市にも、徳川家康公を中心に戦国武将に関する資料や伝説などが数多く残っているよね。その中心的存在が、岡崎城と三河武士のやかた家康館です。両施設には、様々な歴史資料が保管されていますが、その中の一つ、「本多政長（ほんだまさなが）の甲冑（かっちゅう）」があります。実は、この甲冑を購入することを岡崎市が発表した日が、平成４(1992)年８月24日のことでした。本多政長は、徳川四天王のひとり本多忠勝（ほんだただかつ）の子孫です。また、政長の子孫が岡崎藩主を務めるなど岡崎ゆかりの人物です。甲冑の名前は「紫糸素懸威縫延二枚胴具足（むらさきいと すがけおどしぬい のべにまいどうぐそく）」。胴の高さは35.9センチ、胴回りは119センチ。兜（かぶと）には忠勝の具足（ぐそく）と同じシカの角があるのと、大きな数珠が胴に巻いてあるのが特徴です。現在も、企画展など、特別な場合に限り展示されています。一度、目にしてみたいものですね。","","",
08,25,"岡崎市防災フェスティバルを開催した日だよ","2,300人あまりの死者を出した三河地震から50年。そして、その年の１月に発生した阪神大震災。「防災フェスティバル」は、これらの悲劇を思い起こし、防災についてもう一度考えてもらおうと、平成７(1995)年８月25日に開かれました。会場となった松坂屋岡崎店には、三河地震と阪神大震災のパネルが展示されたほか、人工呼吸体験、住宅耐震相談などのコーナーが設けられました。中でも人気を集めたのは、防災食コーナー。アメリカ航空宇宙局・ＮＡＳＡが開発した25年保存が可能な缶詰も紹介されました。岡崎市でも数年前から備蓄していたもので、中身は牛肉入り野菜シチュー。試食した人は、「意外とおいしい。自宅でも防災食の備蓄も考えなくては」などと話していました。","","",
08,26,"福祉の村に「のぞみの家」が完成した日だよ","福祉の村にある精神薄弱者授産（せいしんはくじゃくしゃじゅさん）センター「のぞみの家」。この「のぞみの家」が完成し、完成式を行った日が、平成３(1991)年８月26日のことでした。のぞみの家は定員50人。家電製品の組み立てや袋詰め、自動車の内装部品の張り付けが主な仕事です。作業所のほかに、食堂、性洋室、相談室なども整備されています。授産施設は昭和55年オープンの「希望の家」に次いで２つ目。希望の家が定員30人と小規模だったことから、精神薄弱者や家族にとっては、まさに待望久しい施設となりました。","","",
08,27,"地震体験車「マグマ号」がお目見えした日だよ","防災訓練（ぼうさいくんれん）や防災イベントなどでおなじみの起震車（きしんしゃ）「マグマ号」。自動車の荷台に設けられた部屋の中に入り、大地震（だいじしん）を擬似体験（ぎじたいけん）できるユニークな自動車です。この「マグマ号」を岡崎市が初めて購入し、市役所前で試乗会（しじょうかい）を行った日が、昭和56年８月27日のことでした。当時、愛知県内には県が２台、名古屋市が１台所有していたため、岡崎市は県内４台目の購入となりました。購入価格は１３００万円。震度２～７の地震を起こすことができ、従来の水平移動に上下移動が加わった新型の起震車でした。いつ起きてもおかしくない東海地震。これからも「マグマ号」の出番が増えそうですね。","","",
08,28,"環境にやさしい電気自動車がお目見えした日だよ","限りある資源（しげん）を大切にし、地球環境（ちきゅうかんきょう）にやさしい自動車の開発（かいはつ）が進んでいます。「ハイブリッドカー」なんて言葉もよく聞くよね。このハイブリッドカーと並び、最近、注目を集めているのが「電気自動車」です。岡崎市では、今年度、三菱（みつびし）自動車製の電気自動車（アイミーブ）１台を購入しました。その納車式が、本日８月28日に市役所西庁舎前で行われます。購入した電気自動車は大人４人乗りの軽自動車。１回の充電で150キロ以上走行できるのが特徴です。赤と白のツートンカラーですので、よく目立ちます。ひょっとすると、自宅近くでみかけるかもしれませんね。","","",
08,29,"平成20年８月末豪雨が岡崎市をおそった日だよ","平成20年８月29日深夜から未明にかけて岡崎市をおそった豪雨（ごうう）。ゲリラ雷雨（らいう）とも言われたこの豪雨は、後日、国が「平成20年８月末豪雨」と名付けました。岡崎市では、１時間の降雨量が146.5ミリを超え、気象庁の観測史上（かんそくしじょう）最高の記録となりました。２人の尊い命が奪われたほか、家屋（かおく）の倒壊（とうかい）や浸水（しんすい）など3396棟、河川被害（かせんひがい）130カ所、道路被害（どうろひがい）265カ所、農地被害（のうちひがい）26,823ヘクタールなど、甚大な被害に見舞われました。被害を受けて、岡崎市は国や県に抜本的な水害対策を要望し、この結果、その第１歩として、５年間で主要河川の緊急的な改修を行う事業に国の補助金が認められました","","",
08,30,"新しい防災訓練「地域防災訓練」を行った日だよ","本日、８月30日、市内７カ所で「地域防災訓練（ちいきぼうさいくんれん）」が行われます。従来、岡崎市では毎年９月１日に乙川河川敷（おとがわかせんじき）で大規模（だいきぼ）な訓練「岡崎市総合防災訓練」を行ってきました。しかし、平成20年８月末に岡崎市をおそった豪雨（ごうう）の教訓（きょうくん）から、被災地住民の行動や避難所（ひなんじょ）の設置・運営に重点を置いた訓練が必要と考え、平成21年度から新しいスタイルの訓練「地域防災訓練」を行うこととなりました。訓練では、住民の避難訓練（ひなんくんれん）をはじめ、避難所の設置・運営の訓練、被害状況を災害対策本部（さいがいたいさくほんぶ）へ伝えたりする情報伝達訓練（じょうほうでんたつくんれん）などが行われます。各地域に住む市職員の中から任命された「地域防災連絡員（ちいきぼうさいれんらくいん）」も訓練に参加します。皆さんも、いざという時のために、避難所や避難ルートの確認をしておこうね。","","",
08,31,"岡崎公園のリニアモーターカーの運転を終了した日だよ","昭和62（1987）年、岡崎市が市制施行70周年を記念して開催した「葵博」。この葵博の目玉として、岡崎公園に設置したのが48人乗りのリニアモーターカー「ＨＳＳＴ」。国道１号沿いに設置した線路を片道45秒で走行しました。磁気で１センチ浮上し、リニアモーターで進む車両は「未来の乗り物」として一躍脚光を浴びました。博覧会後も運転は続きましたが、利用者の減少などから、平成２年８月31日をもって運転を終了しました。150万人以上を乗せたこのリニアモーターカーは、現在、南公園の交通広場で展示されています。ちなみに、岡崎市に導入されたリニアモーターカーは、日本航空と住友電光が共同開発した国内３号機で、筑波で1985年に開かれた国際科学技術博覧会、1986年にカナダのバンクーバーで開かれた国際交通博覧会で使われたものだよ。","","",
09,01,"市民課窓口などで、申請者の本人確認が始まりました","市役所や支所では、証明書（しょうめいしょ）の申請の際に申請者（しんせいしゃ）の本人確認（ほんにんかくにん）を行っています。これは、他人へのなりすましや、不正な手段での申請を防止するためのものです。この本人確認を開始した日が、平成18（2006）年９月１日のことでした。対象となるのは、住民票の写し・戸籍（こせき）に関する各種証明・印鑑登録（いんかんとうろく）証明・身元（みもと）証明などで、申請時には運転免許証・健康保険証・パスポート・住民基本台帳カードなどの提示をお願いしています。引き続き、市民の皆さんのご協力をお願いします。","","",
09,02,"下水道散策路「はやかわ」が、いきいき下水道賞を受賞した日だよ","日名南（ひなみなみ）町と末広（すえひろ）町の間にある下水道散策路（げすいどうさんさくろ）「はやかわ」。長さ170メートルの「憩いの広場」、180メートルの「わんぱくの広場」など、計560メートルにも及ぶ散策路です。散策路には、ベンチや遊具などが配置されているほか、八帖南（はっちょうみなみ）町にある八帖下水処理場で処理した水を「せせらぎ」として流しています。この下水道散策路「はやかわ」が、建設省（けんせつしょう）から「いきいき下水道賞」を受賞した日が、平成６年９月２日のことでした。今も、子どもからお年寄りまで気軽に楽しむことのできる地域の憩いの場となっています。","","",
09,03,"「龍城橋」の架け替え工事が完了した日だよ","国道１号の交通公害対策として建設省（けんせつしょう）が進めていた「国道１号岡崎龍城（たつき）通り環境整備事業」。事業の中で最も重要な工事といわれたのが、伊賀川（いががわ）に架かる「龍城橋（たつきばし）」の架け替え工事でした。この「龍城橋」の架け替え工事が完了し、渡り初め式を行った日が、昭和63（1988）年９月３日のことでした。完成した橋には、広い植樹帯（しょくじゅたい）や側道（そくどう）が設けられ、沿道（えんどう）の騒音（そうおん）を緩和しています。また、岡崎公園にもマッチしたデザインで、景観（けいかん）にも配慮され、今も多くの人や車が利用しています。","","",
09,04,"「おかざき農遊館」の名称が決定した日だよ","生産者（せいさんしゃ）と消費者（しょうひしゃ）との交流施設「おかざき農遊館（のうゆうかん）」。東阿知和（ひがしあちわ）町にある、この施設は、「生産者の顔が見える」をキャッチフレーズに、新鮮（しんせん）でお値打ちな地元の農林産物（のうりんさんぶつ）を市民の皆さんに提供し続けています。当初は「岡崎市農業バイオセンター市民ふれあいゾーン」として、施設の構想を進めていましたが、平成７（1995）年９月４日に「おかざき農遊館」の名称が決定しました。「農遊館」という名称には、農家で生産された農林産物を展示即売（てんじそくばい）しながら、消費者が「ふれて」「遊んで」「買い物」し、楽しく過ごすことのできる施設という意味が込められています。平成18年４月からは、施設の運営を「あいち三河農業協同組合」が行っています。","","",
09,05,"「全国訪問おはなし隊」が、図書館交流プラザにやってきます！","本日、９月５日（土）午前10時30分、図書館交流プラザ（りぶら）に「本と遊ぼう全国訪問おはなし隊」がやってきます。「全国訪問おはなし隊」は、たくさんの本を乗せたキャラバンカーが全国を訪問する事業で、講談社が創立90周年を記念して行っています。キャラバンカーの本の閲覧は午前10時30分～11時。おはなし会は、11時5分～11時35分です。問い合わせは、中央図書館　電話0564-23-3167へ。みんなで、りぶらストリート広場に行ってみよう！。","","",
09,06,"中央クリーンセンターで、不燃ごみを砕く設備が復旧した日だよ","平成19年４月、中央クリーンセンター内のリサイクルプラザで、不燃ごみを砕く設備が爆発する事故が起きました。爆発は、ごみの中に「ガスが残ったままのガスボンベ」が混ざっていたことが原因と考えられました。この事故で、施設は故障し、しばらくは仮の設備でごみ処理を行っていましたが、その復旧作業が終わり、同年９月６日から本格的に業務を再開しました。カセットコンロやスプレー缶、ライターなどは発火の危険性があります。ごみとして出すときは、中身を空にすることを忘れずに行ってくださいね。最後まで使い切ることは物を大切にするという意味でも大切なことだよね。","","",
09,07,"市内の中心部で、シルバーロードが完成した日だよ","みんなは「シルバーロード」って知ってる？　シルバーロードとは、お年寄りを交通事故から守るために、ゲートボール場の周りなど、お年寄りがよく利用する道路をシルバーロードとして指定したものです。このシルバーロードを市内中心部に初めて設置した日が、昭和62（1987）年９月６日のことでした。当時、設置されたのは、梅園・根石・男川・三島・竜美丘・連尺・広幡・井田・愛宕・大樹寺の計11学区。道路には、「シルバーロード・お年寄りに注意」と書かれた標識も設置されています。ちなみに、岡崎市のこの試みは愛知県内で初の試みとなりました。","","",
09,08,"岡崎電気軌道が開通した日だよ","岡崎電気軌道は、大正時代の岡崎の市内鉄道です。「市内電車」といえば、ピンとくるかたも多いはずです。その前身は、岡崎の街の交通機関として活躍してきた「馬車鉄道」。殿橋から井田、そして大樹寺へ。昭和37年に廃止されるまで、市民の足として活躍しました。この岡崎電気軌道が、殿橋～井田間の２．５キロメートルで開通した日が、大正12（1923）年９月８日のことでした。","","",
09,09,"西部学校給食センターが完成した日だよ","宇頭南町にある西部学校給食センター。昭和46年に完成した北部学校給食センター、昭和49年に完成した東部学校給食センターについで、市内３番目となる西部学校給食センターが完成した日が、昭和53（1978）年９月９日のことでした。現在、西部学校給食センターが担当しているのは、梅園小・六名小・矢作東小・矢作北小・矢作西小・矢作南小・城南小・北野小・城北中・矢作中・矢作北中の１１校。そして、梅園・広幡・矢作の３カ所の幼稚園です。ちなみに、今日の献立は、ご飯・すまし汁・照り焼きチキン・紫イモのスイートポテト・牛乳だよ。ぼくも食べたい！","","",
09,10,"清掃センターで、市民ガラス工芸講座がスタートした日だよ","高隆寺町（こうりゅうじちょう）の中央クリーンセンターにあるガラス工房。ゴミとして捨てられた廃ガラスを使ったガラス工芸を体験できる施設として人気があります。市政だよりにも、吹きガラスなどの講座募集が掲載されています。このガラス工房、実は、もともと八帖町（はっちょうちょう）の清掃センター（今の八帖クリーンセンター）でスタートしました。そして、その清掃センターで初めてガラス講座が行われた日が、昭和58（1983）年９月10日のことでした。ごみ焼却場の余熱（よねつ）を使用し、材料には不燃ごみとして集められた廃ガラスを材料するという、全国初の試みが新聞などで話題となりました。現在、八帖クリーンセンターではガラス講座は行われていませんが、その精神は中央クリーンセンターに受け継がれています。","","",
09,11,"郵政大臣が市内の中学校でＶＯＤ授業を見学した日だよ","平成８(1996）年９月11日、当日の郵政大臣（ゆうせいだいじん）が岡崎市を訪れ、新香山（しんかやま）中学校などでＶＯＤ（ビデオ・オン・デマンド）授業を見学しました。当日、流行語としても知られた「マルチメディア」。情報技術を使った産業や教育の推進が国をあげて進められている時代でした。当時、岡崎市では、マルチメディアの実用化に向けた「大規模双方向ＣＡＴＶ（フルネットワーク）に関する研究開発」の実験が行われていました。大臣が見守る中、生徒たちは、パソコンを前に、映像を見ながら理科の授業を受けていました。","","",
09,12,"呼和浩特（フフホト）市長が岡崎市を訪問した日だよ","中国内蒙古自治区・呼和浩特（フフホト）市。岡崎市と友好都市提携（ゆうこうとしていけい）を結んでいる都市です。フフホト市との友好都市提携は、昭和62（1987）年８月10日のことでした。それから１年後の昭和63（1987）年９月12日、フフホト市のカ・サイ市長ら関係者５人が岡崎市を訪問しました。また、同じ時期に岡崎市を訪問したフフホト市の蒙古族学校少年少女歌舞団が市民会館で華麗な歌や踊りを披露しました。両市の交流は今も続いています。","","",
09,13,"図書館交流プラザで防災フェスタinおかざきを開催します","本日、午前10時から午後４時まで、康生通（こうせいどおり）の図書館交流プラザやその周辺で、「防災フェスタinおかざき」を開催します。地震・雷・ゲリラ豪雨・台風など、身近な災害に目を向け、日頃の備えなどについて学ぶことができるイベントです。シビコ西の広場には、午前11時と午後２時に、子どもたちに大人気の「レスキューフォースＲ１」もやってきます。災害への備え、災害時の行動など、ご家族で楽しく防災に親しんでみませんか？","","",
09,14,"台風17号で市内に被害が相次いだ日だよ","９月といえば台風シーズン。毎年、台風の猛威が日本列島を襲います。平成３（1991）年９月14日は、台風17号で市内に被害が相次いだ日です。この台風の影響で、14日の午前中は、１時間に50ミリ近くの強い雨が降り、六名（むつな）地区を中心に13戸に浸水被害をもたらしました。また、羽根（はね）町のＪＲ高架下など４カ所で道路が水につかり、伊賀川（いががわ）の愛宕（あたご）橋上流の２カ所で川の水があふれる被害がでました。ちなみに、５日後の19日には、台風18号にも見舞われました。皆さんも、豪雨や台風には十分に気をつけてくださいね。","","",
09,15,"岡崎石製品工場公園団地が完成し、操業を開始した日だよ","周囲に住宅が少なく、市街地に近いという理由から、小呂（おろ）・箱柳（はこやなぎ）・稲熊（いなぐま）にまたがる一帯に石工業を集めた岡崎石製品工場公園団地。通称「石の公園団地」。この団地が完成し、操業を始めた日が、昭和51（1976）年９月15日のことでした。岡崎市は、茨城県桜川市真壁町（まかべまち）、香川県高松市庵治町（あじちょう）と並んで、全国石の三大産地の一つに数えられる石の産地で、昔から石工業が盛んなまちです。良質のみかげ石を使った墓石（ぼせき）、灯ろう、彫刻（ちょうこく）などの石製品は、伝統に培われた品質と技術の高さで日本一を誇り、「石都岡崎（せきとおかざき）」と称されています。毎年10月には、乙川殿橋下の河川敷で「岡崎ストーンフェア」を開催しています。今年は、10月17日（土）と18日（日）ですよ。","","",
09,16,"岡崎中央総合公園のテニスコートにクラブハウス完成した日だよ","高隆寺町にある岡崎中央総合公園。野球場や体育館などがあるスポーツ公園です。この公園のテニスコートに、クラブハウスが完成したことを市が発表した日が、平成６（1994）年９月16日のことでした。岡崎中央総合公園のテニスコートは、一般コート16面、センターコート１面、練習用コート２面を完備しています。それぞれに夜間照明施設も整備されています。スポーツの秋です、みんなもテニスで楽しんでみませんか？","","",
09,17,"スウェーデン王国のウッデバラ市と姉妹都市提携をした日だよ","スウェーデン王国ウッデバラ市。岡崎市と姉妹都市提携（しまいとしていけい）を結んでいる都市です。そのウッデバラ市と姉妹都市提携を結んだ日が、昭和43（1968）年９月17日のことでした。当時、岡崎市は、政治的中立国で世界有数の福祉国家として知られるスウェーデン王国との都市交流を切望していました。ちょうどその頃、駐日スウェーデン大使から、ウッデバラ市は岡崎市と同じ花崗岩の上に築かれた街であることを知らされます。そのことがきっかけとなって、友好都市としての交流が始まりました。提携から40年以上が経過した現在も、両市の交流は続いています。","","",
09,18,"人口25万人目の赤ちゃんに認定証をプレゼントした日だよ","昭和53（1978）年９月18日は、人口25万人目となった赤ちゃんに、市役所から認定証と記念品が贈られた日です。認定証を受け取ったのは、市内連尺通りに住むご夫婦でした。このご夫婦に赤ちゃんが誕生したのは、８月４日のこと。４日後の８月８日に出生届を提出したところ、25万人目の岡崎市民となりました。これとあわせて、前後の二人にも、記念品が贈られました。あれから30年。平成21年９月１日現在の市の人口は、男性190,059人、女性186,434人、合計376,493人です。38万人まであと少しですね。","","",
09,19,"市役所が籠田町から現在の十王町へ移転した日だよ","大正５（1916）年７月１日の市制施行と同時に、岡崎町役場（当時の住所は、岡崎市大字籠田103番の２）が市役所となりました。その後、昭和15（1940）年に現在の十王（じゅうおう）町へ移転したといわけです。当時の市役所は、正面玄関が国道１号線側にありました。建物は、木造２階建て、中央に塔屋があり、上層は展望室、下層には防空本部が置かれていました。その後、昭和33年に北館（現在は取り壊されています）が、昭和46年に本館（現在の西庁舎）が建設されました。ちなみに、一番新しい庁舎は、平成19年に完成した東庁舎です。","","",
09,20,"本日、図書館交流プラザで「りぶら演劇」を開催します。","本日、午後４時から、図書館交流プラザ・りぶらホール（康生通）で、「りぶら演劇ワークショップ舞台公演」を開催します。この日のために、アクター部門、舞台づくり部門に分かれて、総勢５０人の市民が岡崎市出身の俳優　楠見彰太郎さんらの指導のもと、８月から稽古を重ねてきました。開場は３時30分。入場は無料です。問い合わせは、図書館交流ブラザ（電話0564-23-3100）へ。","","",
09,21,"「はやかわ」が国の「甦る水100選」に選ばれた日だよ","八帖（はっちょう）下水処理場で浄化処理された水を使い、市民の憩いの場として市が整備した下水道散策路「はやかわ」。散策路一帯には、ベンチ・遊具・ウオーキングコースなどが設けられ、地元市民に親しまれています。この「はやかわ」が、「近代下水道制度１００年記念事業」として建設省が募集した「甦（よみがえる）る水１００選」に選ばれたと発表された日が、平成12年９月21日のことでした。","","",
09,22,"岡崎の救助犬２匹が救助活動のために台湾へ出発しました","平成11年、台湾中部で大地震が発生し、現地は甚大な被害に見舞われました。事態を受けて、３年前から市内で活動を続けていたＮＰＯ団体「愛知災害救助犬協会」は、救助犬２匹と隊員３名を現地へ派遣することを決定しました。そして、彼らが台湾に出発した日が、平成11（1999）年９月22日のことでした。派遣された救助犬は、４歳の雄と２歳の雌。いずれもゴールデンレトリバーで、同協会発足後、初の本格的な救助活動への参加となりました。出発に先立ち協会のトーマス理事長は「一刻でも早く救助にあたれば、その分だけ生存率も高くなる。私は救助犬の活躍を信じている」と話しました。","","",
09,23,"額田郡男川村大字欠を岡崎町に編入した日だよ","明治22年の町制施行により岡崎町が誕生し、その後、大正５年の市制施行による岡崎市誕生までの間、岡崎町は周辺の村や町などとの合併を経験することになります。そのうち、額田郡男川村大字欠（ぬかたぐん　おとがわむら　おおあざかけ）との合併は、岡崎町としては初の合併（編入合併）となりました。額田郡男川村大字欠は、現在の欠（かけ）町や元欠（もとかけ）町のあたりになります。この歴史的な合併が行われた日が、明治35（1902）年９月23日のことでした。編入した面積は、1.45平方キロ。合併により岡崎町の総面積は、5.52平方キロとなりました。その後、三島村（みしまむら）、稲熊（いなぐま）、小呂（おろ）、そして広幡（ひろはた）町との合併を経て、大正５年７月１日に岡崎市が誕生したというわけです。","","",
09,24,"暴風雨による被害で、大平橋と御用橋が流出しました","新編岡崎市史によれば、大正７（1918）９月24日、岡崎市を襲った暴風雨による被害で、大平（おおひら）橋と御用（ごよう）橋が流出したと記録されています。このほかにも、９月下旬は暴風雨による被害の記録が多く残っています。中でも、昭和34（1959）年９月26日の伊勢湾台風のことを鮮明に記憶しているかたも多いのでないでしょうか。豪雨やゲリラ雷雨には十分に注意しましょうね。","","",
09,25,"竜谷小に完成したビオトープに助成金が贈られました","市立竜谷小学校の校舎南側にカワバタモロコなどが観察できるビオトープがあります。このビオトープは、平成14年に学校創立100周年を記念してつくられたものです。この自然保護活動を支援しようと、岡崎中央ライオンズクラブが助成金25万円を小学校へ贈った日が、平成14（2002）年９月25日のことでした。この日、学校を訪れたライオンズクラブの会員は、子どもたちといっしょに、できたばかりのビオトープにカワバタモロコ100匹を放流しました。昔は学区にたくさんいたという、カワバタモロコ、クロメダカ、水草のアサザなど、ビオトープには大切なふるさとの自然が育まれています。","","",
09,26,"伊勢湾台風で大きな被害に見舞われました","今から50年前の昭和34（1959）年9月26日、伊勢湾台風（いせわんたいふう）は午後６時に和歌山県の潮岬（しおのみさき）に上陸しました。この時の中心気圧は、929.5ミリバール。風速30メートルを超える暴風圏（ぼうふうけん）が半径300キロメートルにも及ぶ大型台風で、27日朝にかけてこの地方に大きな被害をもたらしました。岡崎市では死者22人、重軽傷者102人、家屋の全壊946戸。午後９時ごろ、市内では風速34メートル、雨量も増え、全市で停電しました。市は、死亡者・重傷者・家屋全壊者に見舞金を贈るとともに、仮設住宅378戸を建設し、被災者のための相談案内所などを設置して対応しました。","","",
09,27,"学校給食に「ご飯（米飯）」が登場した日だよ","市内の小中学校で米飯給食が始まったのは、昭和53（1978）年９月のこと。その初日となった日が、９月27日でした。米飯給食初日は中学校だけでしたが、翌日は小学校にも「ご飯」が登場しました。当時のアンケートでは、半数以上の子どもたちが「ご飯のほうが良い」と答え、米飯給食は好スタートを切りました。そして、スタート当初は月２回だった米飯給食も、今ではすっかり主食の主役となりました。ちなみに、初日のメニューは、ご飯のほかに、イカのみそ煮、トンカツ、デザートのワインゼリー、牛乳でした。なんだか、お腹がすいてきましたね。","","",
09,28,"わんPark整備工事の無事を祈る安全祈願祭を行いました","岡崎市が進める自然共生事業「水とみどりの森の駅事業」。すでに、おかざき自然体験の森、くらがり渓谷、おおだの森などか森の駅に指定されています。「わんPark」は、平成22年10月にオープン予定の新しい森の駅。現在、市内淡渕町で建設が進められています。この、「わんPark」の着工前に、工事の安全祈願祭を行った日が、平成19（2007）年9月28日のことでした。わんぱくハウス、わんぱく原っぱ、昆虫の森、冒険の森、実りの森、どろんこプール、星空ひろばなど、楽しみな施設がいっぱいです。あと１年でオープン。楽しみだね。","","",
09,29,"福祉まつりに「手話喫茶」が登場しました","障がい者と健常者がいっしょにつくり、楽しむ「ふれあい岡崎　福祉まつり」。ボランティアコーナー、発表、展示、模擬店などでにぎわう毎年恒例の福祉イベントです。昭和60（1985）年９月29日、この日、福祉の村内の体育館で、この年の「福祉まつり」を開催しました。その会場で登場したのが、ウエートレスが手話で応対する「手話喫茶」。ねらいどおり、多くの一般市民が気軽に、しかも楽しく手話を体験することができ、会場で話題となりました。今でも、福祉まつりは毎年９月下旬の日曜日に行われています。","","",
09,30,"総合体育館（岡崎中央総合公園）の建設工事が完了した日だよ","高隆寺（こうりゅうじ）町にある岡崎中央総合公園。体育館・武道館・野球場・テニスコートなど、スポーツ施設を中心とした広域公園です。この岡崎中央総合公園の総合体育館の建設工事が完了した日が、平成３（1991）年９月29日のことでした。建設費用は約74億円で、体育館と武道館を中心に、剣道や柔道の稽古場、トレーニングルームなど、市内で最も充実した屋内スポーツ施設が誕生しました。また、平成６年には、愛知国体（わかしゃち国体）の会場としても利用され、バスケットや空手の試合が行われました。スポーツの秋です。みんなも、中総のトレーニングルームでさわやかな汗を流してみませんか。","","",
10,01,"町制施行で岡崎町が誕生した日だよ","明治22（1889）年10月１日、この日、愛知県は大規模な町村合併を伴う「町村制（ちょうそんせい）」を施行し、「岡崎町」が誕生しました。この町制施行（ちょうせいしこう）によって、例えば、岡崎康生町（おかざきこうせいちょう）は岡崎町大字康生へ、菅生村（すごうむら）は岡崎町大字菅生へと地名を変更しました。当時の岡崎町の総面積は4.07平方キロメートル。現在が、387.24平方キロメートルですので、面積的には100分の１程度だったというわけです。ちなみに、岡崎町と広幡町（ひろはたちょう）の合併が行われたのも、同じ10月１日（大正３年）のことでした。","","",
10,02,"中国の呼和浩特市から農業研修生がやってきました","中国・呼和浩特（フフホト）市。昭和62年８月に岡崎市と友好都市提携（ゆうこうとしていけい）を結んでいる中国内蒙古自治区（ちゅうごくうちもうこじちく）の都市です。そのフフホト市から、４人の農業研修生（のうぎょうけんしゅうせい）が岡崎市にやってきた日が、平成元（1989）年10月２日のことでした。農業研修生の受け入れは、提携（ていけい）の翌年（昭和63年）に、フフホト市の当時の市長が岡崎市を訪れたときに、フフホト市の農業発展に役立てばと、両市で約束した交流事業の一つでした。研修期間は半年間で、岡崎市で栽培（さいばい）が盛んなナス・イチゴ・ブドウの栽培農家や養鶏業者宅などでホームステイを行い、農業技術を習得しました。","","",
10,03,"国道１号本宿地区拡幅工事の完成式典を行った日だよ","市内を東西に走る国道１号。この国道１号の本宿（もとじゅく）地区で、４車線化するための道路拡幅工事が完成し、完成式典を開催した日が、平成６（1994）年10月３日のことでした。完成した区間は、岡崎市と音羽（おとわ）町との境から名鉄本宿駅を経て東海中学校前まで。以前は、２車線で渋滞が慢性化（まんせいか）していた区間です。工事は昭和63年度、名鉄名古屋本線と本宿駅の高架化からスタート。次いで、平成２年度から国道そのものの工事にかかり、地下道の建設や電線の地中化も行いました。工事完成により、市内を走る国道１号はすべて４車線となりました。","","",
10,04,"中央クリーンセンターに、リサイクルプラザが完成した日だよ","高隆寺町（こうりゅうじちょう）にある中央クリーンセンターの一角に、ごみの減量・資源化の拠点施設として建てられた「リサイクルプラザ」があります。このリサイクルプラザの完成式を行った日が、平成７（1995）年10月４日のことでした。磁石（じしゃく）を使って空き缶を鉄とアルミに自動選別する「自選機」の導入や、粗大ごみや不燃ごみをいったん細かく砕き、鉄やアルミを回収しながら少しでも燃やしたり、埋めたりするごみの量を減らす取り組みが話題となりました。ちなみに、オープンから５日後の10月９日からは、全市一斉に空き缶・空き瓶の分別収集がスタートしています。また、リサイクルプラザでは、毎月第４日曜日を「リサイクルの日」として定め、粗大ごみとして出された家具や自転車の再生販売、廃ガラスを利用したガラス工房の体験などを行っています。もちろん今月も、第４日曜日に開催します。ぜひ、一度おでかけください。","","",
10,05,"ＣＡＴＶ網を使ったテレビ会議を開催しました","平成２年10月、岡崎市が国（郵政省）のテレトピアモデル都市の指定を受けたことを機に、情報化を市民にアピールしようと企画された「テレトピアおかざき・情報フェア」。この情報フェアで、ケーブルテレビ（ＣＡＴＶ）網を使ったテレビ会議「中学生情報化サミット」を開催した日が、平成３（1991）年10月５日のことでした。この企画は、「ＣＡＴＶを活用した中学生の交流を」という生徒市議会での提案を実現したもので、市民会館と城北中学校では、約700人の中学生がＣＡＴＶの双方向機能を使った全国初のテレビ会議を体験し、21世紀への夢や希望を楽しく話し合いました。この他、情報フェアでは、販売経理・地図情報・スタンプカードといった街角・家庭・公共・ビジネスの各分野の最新システムを、実演を交え分かりやすく紹介したコーナーも設けられ、大勢の市民でにぎわいました。","","",
10,06,"ハクビシンのはく製が奥殿陣屋に展示された日だよ","ジャコウネコ科の珍獣・ハクビシン。普段は山林部に生息する動物で、見たことがない、というかたも多いはずです。実は、奥殿町の奥殿陣屋には、このハクビシンの「はく製」が展示してあります。そして、このはく製を展示し始めた日が、昭和62（1987）年10月６日のことでした。展示されたハクビシンは、体調55センチ、尾の長さ40センチ。陣屋近くの道で車にはねられ、死んでいるのを近所の人が見つけ陣屋に預けたというわけです。ハクビシンは、頭は黒く、体は灰茶色。ハクビシンを漢字で書くと「白鼻心」。その字の通り、鼻から後頭部にかけて白い帯があります。現在も、奥殿陣屋内の書院入口付近に展示されています。","","",
10,07,"電子文書の安全性を確認する実験が岡崎市で始まった日だよ","重要な各種取引（かくしゅとりひき）や行政手続きをオンラインで安心してできるかどうかを調べる「電子認証技術（でんしにんしょうぎじゅつ）の応用実験（おうようじっけん）」。郵政省（ゆうせいしょう）が主体となって行われたこの実験が岡崎市で始まった日が、平成８（1996）年10月７日のことでした。電子認証とは、電子化された文書をオンラインでやりとりする際、本人自らが送ったものかどうか、または、途中で書き換えられていないかなどをコンピューターで確認し、文書の内容や受け付け、送達時間などを第三者にも証明できる仕組みのことです。全国初となるこの実験は、半年間にわたり行われ、電子認証を使った商取引や公的サービス、郵便サービスへの応用が試されました。今では、その技術の精度は高まり、私たちの生活のまわりで幅広く活用されています。","","",
10,08,"大門小に創立30周年を記念したビオトープが完成しました","大門（だいもん）４丁目にある大門小学校。児童数約800人の市立小学校です。この大門小学校で創立30周年を記念して、校庭にビオトープ「ビオ・だいもん」が完成した日が、平成17（2005）年10月９日のことでした。学校敷地の東南角に造られたビオトープは、広さ1100平方メートル。全長67メートルの水路に四つの池があり、メダカ・カワバタモロコ・タニシ・ゲンゴロウなどが生息しています。ビオトープの他にも、30周年の記念として、記念モニュメントや時計塔なども設置されました。ちなみに「ずっと大好き　大門小」というテーマソングも、このときに作られた学校のテーマソングです。","","",
10,09,"羽根町の岡崎常設競馬場で第１回岡崎競馬を開催した日だよ","昭和６（1931）年10月９日は、羽根町（はねちょう）に岡崎常設競馬場（おかざきじょうせつけいばじょう）が完成し、第１回岡崎競馬を開催した日です。広さ43,000坪、観覧所116坪、建物1,597坪、そして1200メートルの馬場を備えていました。もともと、競馬場は、名古屋市・一宮市・豊橋市の県下３カ所にありましたが、農林省（のうりんしょう）はこれを２カ所にする方針を打ち出しました。そこで、激しい誘致合戦の末、尾張部は名古屋市、三河部は岡崎市に決定しました。９日からの３日間は、馬場開きが盛大に行われたということです。数少ない娯楽の場として親しまれ、四季に応じた景観の美しさから東海随一の競馬場ともいわれていました。しかし、競輪や競艇の台頭、名古屋競馬場、中京競馬場の設立で売り上げが減少し、昭和28年10月に廃止されました。","","",
10,10,"南公園遊園地にエアファイターが登場した日だよ","若松町（わかまちちょう）にある南公園。遊園地や交通広場などがあり、子どもたちに大人気の公園です。この南公園の観覧車近くに、以前、エアフィターという乗り物（遊具）があったのを覚えていますか？　中心から放射線状に伸びた８本のアームの先に飛行機型の乗り物が取り付けてある乗り物といえば、わかるかたも多いのでは。このエアファイターが南公園に完成し、運転を開始した日が、昭和56（1981）年10月10日のことでした。完成を記念して、オープン初日を無料開放としたこともあり、昼ごろにはすでに札止め。午後４時までに、なんと2400人が初乗りを楽しみました。その後、エアファイターは約25年間活躍し、利用者に愛されてきましたが、老朽化により平成17（2005）年８月31日をもって、その姿を消すことになります。現在は、エアファイターの後を継いだ新型遊具「リスコプター」が子どもたちを楽しませてくれています。","","",
10,11,"本日、岡崎中央総合公園で第56回市民体育祭を開催します","市内の小学校区が七つのブロックに分かれ、リレーや玉入れなど８競技を競い合う第56回市民体育祭が、本日、午前９時から岡崎中央総合公園球技場で開催されます。子どもから大人まで、真剣な表情で各競技にのぞみ、トラック周辺には、各学区のテントから大声援が飛び交います。この市民体育祭、第１回が行われたのは、昭和29年６月６日のこと。当時は、「リレーカーニバル」と呼ばれ、岡崎公園グラウンドで行われました。ちなみに、第１回の種目は、小学生300メートルリレー、中学生800メートルリレー、25歳までが出場できる青年の部リレー（800・400・1000メートル）、一般の部リレー（200・800メートル）、綱引き、玉入れでした。また、アトラクションとして婦人会による五万石踊りも披露されました。そして、今日が56回目。学区の威信をかけた熱い戦いに、ご声援をお願いします。","","",
10,12,"高齢者能力活用協会が設立された日だよ","みんなは、「岡崎市シルバー人材センター」って知ってる？　お年寄りに働く場を提供し、高齢者の社会参加を推進している団体です。シルバー人材センターの会員となったお年寄りたちは、公園の清掃や、庭木の手入れ、自転車置き場の管理、手紙の宛名書きなど、自分の能力・体調などに応じて様々な分野で活躍しています。このシルバー人材センターの前進である「高齢者能力活用協会」が設立された日が、昭和54（1979）年10月12日のことでした。その後、昭和56年１月23日に、シルバー人材センターという名称に変わり、今年、設立30周年を迎えます。会員数は、設立当時の300人から大幅に増え、千人を超えました。長寿社会が進むにつれ、人生経験豊富なお年寄りたちの知恵や技に、益々注目が集まりそうですね。","","",
10,13,"市民球場でハリウッド映画の撮影を行った日だよ","俳優の高倉健さん、トム・セレックさんなど、日米実力派スターが共演したことで話題を呼んだハリウッド映画「ミスターベースボール」。この映画の撮影を岡崎中央総合公園の市民球場で行った日が、平成３（1991）年10月13日のことでした。この映画は、元大リーガーが中日ドラゴンズに入団するという設定で、習慣などの違いを乗り越えて大活躍するというストーリー。市民球場のロケでは、中日ドラゴンズが広島カープと対戦するという場面を撮影しました。スタンドには、観客役のエキストラとして一般公募で選ばれた市民ら約3000人が参加しました。大きな歓声で撮影を盛り上げたり、撮影風景を珍しそうに覗き込んだりしてしました。","","",
10,14,"千賀又市氏が初代岡崎市長に就任した日だよ","千賀又市（せんがまたいち）氏は明治２年生まれ。明治28年に岡崎町学務委員となり町政に携わることとなります。その後、明治41年に、第９代の岡崎町長となりました。また、鶴堂（かくどう）と称し、漢詩や書をこよなく愛した文人でもありました。その後、岡崎の市政認可に尽力し、大正５（1916）年７月１日の市制施行の３カ月後の10月14日、初代市長に選ばれました。選ばれたといっても、この時期の市長は今のような公選（市民が選挙で選ぶこと）ではありませんでした。まず、市議会が候補者３人を選び、この中から内務大臣が任命するという方法をとっていました。ちなみに、第１候補者は千賀又市氏、第２は千賀千太郎（せんがせんたろう）氏、第３が深田三太夫（ふかださんだゆう）氏でした。任命後、千賀市長は新生岡崎市の基礎固めに奔走しました。しかし、２年後の大正７年７月12日、執務中にたおれ、その日のうちに死去。享年50歳の若すぎる生涯に幕を閉じました。","","",
10,15,"六ツ美町が岡崎市に合併した日だよ","昭和37（1962）年10月15日は、六ツ美町が岡崎市に編入合併した日です。当時、六ツ美町の面積は約17平方キロメートル。合併後の岡崎市の総面積は約227平方キロメートル。面積的には、平成18年１月に額田町と合併する前の広さとなりました。ちなみに、六ツ美村が六ツ美町になった日（町制施行）は、昭和33（1958）年の、同じく10月15日のことでした。","","",
10,16,"大阪冬の陣に出陣中の家康が岡崎に泊まった日だよ","慶長19（1614）年におきた「大阪冬の陣」。1603年に江戸幕府を開いた徳川家康が、豊臣家を滅ぼすために挑んだ戦です。その途中、家康が岡崎に立ち寄り、宿をとったといわれる日が、慶長19（1614）年10月16日のことでした。宿泊した場所は定かではありませんが、当時の岡崎城主が本多家・本多康重（やすしげ）であったことから、岡崎城ではないかと推測されています。","","",
10,17,"交通安全小・中学生ブラスバンドパレードを開催した日だよ","平成４（1992）年は、家康公生誕450年を記念した様々なイベントが行われました。この中で、約3,700人の小中学生による交通安全パレードが行われた日が、10月17日のことでした。パレードは康生通西を出発。約２時間かけて中心街を練り歩きました。鼓笛隊がアニメ主題歌や歌謡曲を演奏する中、バトントワリングや大きな旗を操るパフォーマンスが沿道につめかけた大勢の市民を魅了しました。ちなみに、この年の徳川家康公生誕450年祭は、３月の「花の岡崎お城まつり」から始まり、12月26日の「ファイナルフェスティバル」まで、10カ月に渡り繰り広げられました。市民球場で開催した冬の花火大会を覚えているかたも多いのではないでしょうか。観客数は延べ200万人。まさに市をあげての一大イベントとなりました。","","",
10,18,"コンビニに高齢者交通安全ステーションが誕生した日だよ","交通事故のない社会は、みんなの願いです。特に、この時期は、昼間の時間帯が短くなるので、見通しの悪い時間帯が長く、１年中で最も事故の多い時期です。中でも、高齢者を巻き込んだ事故防止が最大の課題です。そんな中、高齢者を交通事故から守ろうと、岡崎警察署が県内初の取り組みとして行った対策が、市内のコンビニエンスストアに設置した「高齢者交通安全ステーション」。このステーションを、広幡・根石・羽根の各学区にある計10カ所のコンビニエンスストアに設置した日が、平成19（2007）年10月18日のことでした。ステーションの役割は、買い物に訪れた高齢者に、交通事故防止を呼びかけるチラシや反射材を配布したり、交通安全の声かけをしたりすることで、高齢者の事故防止に一役買ってもらおうというもの。お店の入口には、ステーションの看板も取り付けられました。現在は「高齢者交通安全協力店」と名称がかわり、コンビニだけでなく、高齢者が立ち寄りそうなお店やお寺にも協力を呼びかけています。みんなも、交通安全を心がけようね。","","",
10,19,"市内29店舗でペットボトルの回収が始まった日だよ","ペットボトルのリサイクルを進めようと、岡崎市内のスーパーで回収を始めた日が、平成10（1998）年10月19日のことでした。回収の対象となったのは、ふたやラベルをはがした透明な飲料用ペットボトル。市では、これらの手順を記した看板やチラシを作り、協力を呼びかけました。その結果、開始から半年間で12トンものペットボトルを回収しました。ペットボトルは細かく砕き、化学繊維に加工され、カーペットやワイシャツなどに生まれ変わる大切な資源です。“もったいない”の精神で、これからもペットボトルのリサイクルにご協力ください。","","",
10,20,"田中吉政が岡崎城主になった日だよ","豊臣家の重臣・田中吉政（たなかよしまさ）が岡崎城主となった日が、天正18（1590）年10月20日のことでした。吉政は、この後、関ケ原の戦いまでの10年間、岡崎を治めることになります。吉政は、この10年間で城郭の修復、矢作橋の建設、二十七曲がりの形成、武士と農民そして商人と農民の分離、太閤検地の実施と寺社領の整理など、豊臣政権の政策を次々と実施し、それまでとは異なる街づくりを進めました。その結果、岡崎の城下町は、軍事的な性格だけでなく、政治の中心、経済活動の中心としての機能をも兼ね備えた城下町へと、その姿を変えていったわけです。現在の岡崎の中心部の原型を作り上げたのは、皮肉にも、徳川方の家臣でなく、豊臣方の田中吉政だったというわけだよ。歴史のロマンを感じますね。","","",
10,21,"昭和天皇が戦災復興視察のため岡崎を訪れました","昭和21（1946）年10月21日は、昭和天皇が戦後間もない岡崎の街を視察に訪れた日です。この日の午後３時６分、岡崎駅に到着した天皇陛下は、愛知県追伸農場（現在の美合町にある愛知県立農業大学校）を視察され、その後、籠田町にあった岡崎郵便局の屋上から岡崎市内を展望されました。岡崎市戦災復興誌によれば、「仮設住宅などで夏の暑さをしのぐことはできましたか？」「冬の準備はできていますか？」などと、当時の菅野経三郎（かんのけいざぶろう）市長に、やさしく尋ねられたということです。","","",
10,22,"第１回「リサイクルの日」を開催した日だよ","高隆寺町の中央クリーンセンターの一角に、平成７年10月に完成した“リサイクルプラザ”があります。この施設は、燃えないゴミや粗大ゴミの処理、空き缶や空きビンの資源化などを行いながら、ゴミの減量を進めています。また、毎月第４日曜日を「リサイクルの日」として定め、施設を開放しています。この「リサイクルの日」を初めて開催した日が、平成７（1995）年10月22日のことでした。今では、施設見学だけでなく、ガラス工房の無料体験、粗大ゴミを再生した家具や自転車の抽選販売なども行われ、市民のリサイクル意識の向上に役立てられています。","","",
10,23,"天神橋架け替え工事が完了した日だよ","岩津町と豊田市を東西で結ぶ天神橋。この天神橋の架け替え工事が完了し、開通式を行った日が、昭和53年（1978）年10月23日のことでした。開通式は、地元の市民ら約160人が参加して行われ、６年がかりで完成した新しい橋の完成を祝いました。現在も矢作川に架かるこの橋は、幅12.5メートル、うち両側の2.5メートルが歩道となっています。「ヤジロベエ工法」により建設されたこの橋は、他の橋と比較して、橋脚の数が少ないのが特徴です。","","",
10,24,"わかしゃち国体の炬火が岡崎に到着した日だよ","平成６年、第49回国民体育大会が地元愛知県で開催されました。通称、わかしゃち国体。この国体の炬火（きょか。オリンピックでいう“聖火”のことだよ）が、額田町から岡崎市へ引き継がれた日が、平成６年（1994）10月24日のことでした。この日、炬火は午後３時半過ぎに額田町から到着。地元小中学生ら500人が迎える中、生平小学校へ到着しました。その後、岡崎中央総合公園を経て、市民1000人余りが待つ、岡崎市役所へと向かいました。午後５時前、市役所に到着。炬火は市役所のロビーで一夜を過ごしました。そして、翌25日に市街地をリレーし、安城市に引き継がれたというわけです。","","",
10,25,"新十両に昇進した琴光喜関の番付表が発表された日だよ","みんなもよく知っている「岡崎の星」といえば、大相撲で大活躍中の大関　琴光喜関だよね。学生時代には、アマチュア横綱など27個のタイトルを獲得した琴光喜関。平成11年の春場所に、幕下付け出しで大相撲デビューを果たしました。そして、入門からわずか４場所目というスピードで十両に昇進することになります。入門当初、琴田宮と名乗っていた「しこ名」は、この十両昇進のときに現在の琴光喜へと改められました。そして、新十両「琴光喜」の名が掲載された番付表（平成11年11月開催の九州場所の番付表）が日本相撲協会から発表された日が、平成11（1999）年10月25日のことでした。当時、師匠の佐渡ケ嶽親方は、新しい「しこ名」の由来について、「大いに光り、お客さんに喜んでもらえる関取になってほしいとの願いを込めた」と話しています。その後、琴光喜関は、その願いのとおり光輝き、岡崎市民を幾度も楽しませてくれています。","","",
10,26,"「げんきまつり・秋」を初めて開催した日だよ","若宮町にある岡崎げんき館。保健所を核として、プールやトレーニングスタジオなどを併設した施設で、平成20年３月１日にオープンしました。この岡崎げんき館で、初めての「げんきまつり・秋」を開催した日が、その年の10月26日のことでした。前年まで、松坂屋６階のコミュニティサテライトオフィスで開催していた「健康おかざきフェスティバル」を、げんき館のオープンをきっかけに「げんきまつり・秋」としてリニューアルしたというわけです。まつり当日は、目と歯の相談コーナー、メタボリック相談、健康クイズラリー、健康に関する講演会などが行われ、健康に関心のある大勢の市民でにぎわいました。","","",
10,27,"ＪＲ岡崎駅の自由通路と橋上駅が完成した日だよ","岡崎駅西区画整理事業の一環として行ったＪＲ岡崎駅のリニューアル。この事業で、古くなった駅施設の改築とともに、駅東西の交流を活発化させるために自由通路が建設されました。この自由通路や橋上駅が完成した日が、平成２（1990）年10月27日のことでした。自由通路の長さは81メートルで、天窓から自然光を取り入れるなど、明るくて快適なプロムナードが誕生しました。橋の上にできた新しい駅舎も、同じく窓が多く明るい造りなっているのは、皆さんもご存知のとおりです。駅周辺の活性化、そして、近代的なデザイン。まさに、ＪＲ岡崎駅が市の南の玄関口にふさわしい施設として、生まれ変わった日といえます。","","",
10,28,"岡崎城二の丸能楽堂が完成した日だよ","岡崎公園に全国でも珍しい市立の野外能楽堂「岡崎城二の丸能楽堂」があります。古風な能舞台に現代的な階段状の野外観客席、そして、一部に屋根を付いていることなどが特徴の施設です。この能楽堂が完成し、落成式を行った日が、平成元（1989）年10月28日のことでした。落成式当日、舞台では観世栄夫（ひでお）さんらが薪能「翁（おきな）」を上演し、施設の完成を華やかな舞台で祝いました。今も“藤まつり”のメーンイベントとして毎年、この能楽堂で薪能（たきぎのう）が行われています。","","",
10,29,"市立図書館に図書検索用のデータベースが完成した日だよ","秋といえば読書。この図書館を訪れるかたも多いはずです。ところで、図書館には、お目当ての本を探すことのできる端末機があることをご存知ですか？　この蔵書検索端末を岡崎市が初めて導入した日が、平成８（1996）年10月29日のことでした。設置した端末機は、書名などを入力すれば、書籍の有無をはじめ、貸し出し中かどうかも一目で分かるというものでした。検索方法は書名、著者名、件名のほか、書名の一部しか分からない場合でも検索できるという優れものです。当時、市立図書館の蔵書数は32万冊を超えていたことから、手間をかけることなく検索できるこの端末は、利用者だけでなく、図書館の職員にとっても待ちに待ったシステムというわけです。現在も、図書館交流プラザなどに同様の端末機がありますが、各家庭のパソコンからインターネット上で検索できるなど、時代とともにより便利なサービスも登場しています。","","",
10,30,"市内でわかしゃち国体の競技がスタートした日だよ","平成６（1994）年、愛知県を舞台として、第49回国民体育大会愛知大会、通称・わかしゃち国体が開催されました。総合開会式は、10月29日に名古屋市の瑞穂公園陸上競技場で行われました。そして、その翌日となる10月30日～11月３日までの５日間、岡崎市内でバスケットボール・空手道・アーチェリーの３つの競技が行われました。期間中、会場となった岡崎中央総合公園と市体育館には、あわせて16万人もの人が訪れました。ちなみに、愛知県で最初に開かれた昭和25（1950）年の第５回国民体育大会では、岡崎市はバレーボールの会場となり、岡崎公園グラウンドや県立岡崎高校の体育館などが試合会場となりました。","","",
10,31,"岡崎中央総合公園総合体育館の建設が始まった日だよ","高隆寺町にある岡崎中央総合公園。総合体育館、野球場、テニスコート、弓道場などのスポーツ施設が集まる広域公園です。この岡崎中央総合公園の施設の中で、核となる施設が、皆さんよくご存知の総合体育館です。ピラミッド型の体育館棟と武道館棟、さらに錬成道場、エントランス棟の４棟を一体化した近代的な建物は、まさに公園の顔ですよね。この総合体育館の工事に着手した日が、平成元（1989）年10月31日のことでした。完成したのは、２年後。市民球場に次いで２番目となる平成３年９月30日のことでした。平成６年に開催された「わかしゃち国体」では、バスケットボールと空手道の会場となったことは、記憶に新しいですよね。","","",
11,01,"図書館交流プラザがオープンした日だよ","康生通にある図書館交流プラザ。愛称「りぶら」。中央図書館、市民活動支援センター、音楽ホール、岡崎むかし館、内田修ジャズコレクション展示室など、市民の文化・生涯学習の拠点施設としてオープンした日が、平成20（2008）年11月１日のことでした。平成21年６月には入館者100万人を達成しています。さらに、開館１年で入館者は約150万人を超え、開館前の予想を上回る盛況ぶりです。文化の秋、読書の秋、そして“りぶらの秋”。皆さんも、りぶらへ“ぶらり”立ち寄ってみませんか？","","",
11,02,"岡崎市に初めて高規格救急車が導入された日だよ","事故現場や急病患者のもとへいち早く駆けつけ、患者を病院まで運ぶ救急車。中でも、救急救命士による応急処置が可能な高規格救急車の活躍の場が増えています。平成５（1993）年11月２日、岡崎市は初めてこの高規格救急車を導入しました。心電図を見ながら電気ショックをかけられる「デフィブリータ」や心臓マッサージと人工呼吸が同時にできる「自動心肺蘇生器（じどうしんぱいそせいき）」などの最新機器を装備。自動車電話やファクスで医師の指示を受けながら、的確な医療措置ができるよう、通信設備も兼ね備えています。みんなの命を守るために、今日も活躍しています。","","",
11,03,"三河武士のやかた家康館がオープンした日だよ","岡崎城天守閣の北側に“やかた風”の建物「三河武士のやかた家康館」がオープンした日が、昭和57（1982）年のきょう、11月３日のことでした。徳川300年の泰平の礎（いしづえ）となった英傑・徳川家康。その人間像と天下統一への苦難の道を、家康とともに歩んだ三河武士たちの生きざまといっしょに文献や絵画、武具、そして立体映像、ＣＧなど紹介しようという歴史ミュージアムです。オープン当日は、翌年（昭和58年）のＮＨＫ大河ドラマ「徳川家康」に主演する、俳優の滝田栄さん、竹下景子さんも来館し、開館を祝う催しが華やかに開かれました。会場外では、午後からの一般開放を待つ大勢の人でずらり長い列。中には「明日にしよう」とあきらめる人の姿も見られました。その後、平成18年３月21日には、展示改装が行われリニューアルオープンしています。","","",
11,04,"中央カルチャーホームがオープンした日だよ","市中心部の生涯学習施設として、明大寺本町の岡崎センタービル内に「中央カルチャーホーム」が設置された日が、昭和61（1986）年11月４日のことでした。すでに市内６カ所の市民センターでは、いろいろな講座が行われてきましたが、市の中心部にも文化活動の場を、という要望に応えての設置となりました。結果は、予想を上回る人気。抽選で受講者を決める講座も出たほどでした。しかし、駐車場が無いことや、部屋数が少なかったことなどから、利用者のニーズに対応できなくなり、平成３（1991）年４月21日、六名小学校のとなり、勤労青少年ホームの中に「中央市民センター」として生まれ変わることになりました。","","",
11,05,"「第１回岡崎まつり」を開催した日だよ","“おいでんみんなで、歩いて楽しもう”をスローガンに「第１回岡崎まつり」が開かれた日が、昭和53（1973）年11月４日・５日のことでした。会場となったのは、乙川河川敷や岡崎公園、そして歩行者天国となった伝馬通りでした。「岡崎まつり」といっても、ピンと来ない方もいるとは思いますが、現在の「秋の市民まつり」の前身といえば、イメージしやすいですよね。イベントの中身も多彩なものでした。五万石登城（とじょう）行列に鼓笛隊パレード。五万石おどり大行進、みこし行列、産業まつり、緑化まつりなどなど。また、現在は、おかざき世界子ども美術博物館（岡町）で行われている“造形おかざきっ子展”も、乙川河川敷で開催され、人気を集めていました。その後、昭和57年に名称を「岡崎まつり」から「秋の市民まつり」に変更し、現在に至っているというわけです。","","",
11,06,"養殖の「イズミダイ」が桑谷山荘の料理に登場した日だよ","昭和50年代。八帖クリーンセンターでは、ごみ焼却の余熱を利用して「イズミダイ」の養殖事業が本格化していました。養殖技術は次第に向上し、年間を通じて供給できるようになったことから、市営国民宿舎の桑谷山荘へ出荷し、さしみの船盛りとして味わってもらうこととなりました。この「イズミダイ」が初めて料理に登場した日が、昭和57（1982）年11月６日のことでした。「イズミダイ」は南米原産のテラピアで、鯛に似た淡白な味とのこと。皆さんも一度、お試しになってみてはいかがですか。","","",
11,07,"岡崎城前に山岡荘八の文学碑が建立された日だよ","徳川家康の人物像を広く紹介した作家・山岡荘八さんの文学碑が、家康没後360年にちなんで岡崎城前にお目見えした日が、昭和51（1976）年11月７日のことでした。家康作家で知られる山岡さんは、中日新聞などに大河小説「徳川家康」を連載。家康の合理性、現実性などを世間に改めて評価させるのに大きな役目を果たしたといえます。みかげ石製の屏風形をした碑には、山岡さんが詠んだ句も刻まれています。除幕式であいさつに立った山岡さんは、「夢のよう。好意に甘え過ぎたみたいで、申し訳ないようなうれしさ」と、喜びを語りました。","","",
11,08,"六ツ美南部小学校に宇宙飛行士の毛利さんがやってきた日だよ","平成20（2008）年11月８日、創立100周年を迎えた市立六ツ美小学校に、宇宙飛行士の毛利衛（もうりまもる）さんが講演に訪れました。講演会を企画したのは、ＰＴＡや同窓会などからなる100周年事業実行委員会。講演に訪れた毛利さんは、約800人の児童や約300人の地域住民を前に「宇宙からの贈りもの」をテーマに語りかけました。この中で毛利さんは「私は２回にわたり宇宙へ行きましたが、スペースシャトルから地球を見ることで、地球のことがもっとわかるようになりました。皆さんも、岡崎のことを考えるために、外国旅行などにたくさん出かけてください」と話し、子どもたちに自分のふるさとを大切にする気持ちを伝えていました。近い将来、岡崎からも宇宙飛行士が誕生してほしいですね。","","",
11,09,"広島県福山市と親善都市提携を結んだ日だよ","岡崎市と福山市との親善都市提携のいきさつは、岡崎市の市議会議員が福山市へ行政視察に訪れたときに、福山市議会議長から「市制施行日が同じであること」「面積や人口がほぼ等しいこと」「家康公と福山城主水野勝成公がいとこであること」「戦災復興都市であること」「自然を保護し、緑を守り明るいまちづくりをめざしていること」など、類似点が多いことを理由に提携話がもちあがったことがきっかけです。そして、昭和46（1971）年のきょう、11月９日、使節団が福山市を訪問し、調印式を行いました。福山市は広島県下２番目の人口を擁する瀬戸内海中央部の商工業都市で、1998年４月に中核市に移行しています。現在でも、井田小学校と福山市の鞆小学校との姉妹校提携をはじめ、各種団体による交流の輪が広がっています。東公園のゾウのふじ子、そして奥殿陣屋バラ園の苗なども、福山市から贈られたものです。","","",
11,10,"「岡崎市戦災復興誌」が発刊された日だよ","岡崎市戦災復興誌は、岡崎市の戦災と復興の顛末を広い範囲にわたって記述したものです。昭和24年、全国の戦災復興モデル都市に岡崎市が指定されたことが、編纂を始めるきっかけでした。そして、昭和29（1954）年のきょう、11月10日に発刊されたというわけです。その中身には、岡崎市の復興計画はもちろん、市政、教育、経済、文化などについて記され、ページ数は1209ページにも及びました。中央図書館で閲覧できますので、興味のあるかたは一度、ご覧になってみてはいかがでしょうか。","","",
11,11,"甲山会館が設立された日だよ","皆さんは、甲山会館をご存知ですか？　市民会館のとなりにある、音楽会や講演会でよく使われるあの建物と言えば分かりますよね。もともとは、昭和５年に建設された岡崎高等女学校講堂が甲山会館の前身でした。第２時世界大戦中、空襲によって焼失してしまいましたが、昭和38(1963)年11月11日に復旧され、甲山会館として生まれ変わったというわけです。その後、昭和62年には、市政70周年記念事業の一環として、市民会館の整備、リハーサル棟、立体駐車場の新築とともに、甲山会館も改築され、現在に至っています。","","",
11,12,"国道248号の葵大橋が完成した日だよ","市の北部、仁木町（にっきちょう）・細川町から豊田市街地へ向かう国道248号の矢作川に架かる橋、それが葵大橋です。この葵大橋が完成した日が、昭和49（1974）年11月12日のことでした。開通当時は上下２車線でしたが、今は４車線になっていますよね。橋の上から岡崎方面、やや東を望むと村積山が目に入ってきます。現在、矢作川の少し上流に、新しい道路や橋（岡崎豊田線）の建設計画が進められています。","","",
11,13,"名誉市民・木村資生さんが亡くなられた日です","岡崎市の名誉市民で遺伝学の分野で世界的に知られた木村資生（きむらもとお）博士。平成６（1994）年11月13日、静岡県三島市の病院でお亡くなりになりました。享年70歳でした。木村博士は、大正13年に菅生町で生まれ、投（なぐり）尋常小学校（今の根石小学校）、旧制岡崎中学校（今の岡崎高等学校）で学びました。京都大学卒業後、国立遺伝学研究所に入所。そして昭和51年には文化勲章受章、平成４年には進化論分野での最高の栄誉とされる「ダーウィン・メダル」を日本人として初めて受章しました。同年12月、その受章を記念して母校でもある根石小学校と岡崎高等学校で講演するとともに、両校に多数の図書も寄贈されています。","","",
11,14,"「第１回ストーンフェア」を開催した日だよ","岡崎市の石材業は400年以上の歴史を持っています。しかし、近頃は他産地や輸入品に押され気味。そこで、伝統の技を知ってもらうとともに、新製品も展示して需要拡大と業界の活性化を図ろうと「第１回ストーンフェア」を開催した日が、平成４（1992）年11月13～15日の三日間でした。市内の石材業者が共同で行っている、この“石の祭典”には、毎年大勢の市民が訪れます。伝統的な灯篭はもちろん、彫刻やテーブル、ペン立てなど、持ち帰りができる小物から本格的な石製品まで、乙川河川敷は“石”で埋まります。まさに石の都・岡崎を盛大にＰＲするお祭りですよね。現在も、10月の土日曜日・二日間を利用して開催されていますよ。","","",
11,15,"本日、秋の南公園まつりを開催します！","若松町にある南公園。交通広場や遊園地のある家族連れに大人気の公園です。今日は、この南公園で、毎年恒例の秋の南公園まつりを開催します。予定では前日の14日（土）に開催する予定でしたが、お天気が悪かったことから今日に延期となりました。時間は、午前10時～午後3時。苗木の無料配布、自然体験プログラム、緑化推進みどりの案内所、わくわく発見ウオークラリー、こども映画会、ＳＬ・ＨＳＳＴの開放、鉄道コーナーなど、楽しいイベントがいっぱいです。みんなも、南公園に出かけてみよう！","","",
11,16,"名誉市民 土屋光春さんが亡くなられた日だよ","明治、大正時代の軍人、後に陸軍大将にまでなった土屋光春さん。病に倒れ７２歳の生涯を閉じたのが大正９（1920）年11月16日のことでした。土屋光春さんは、康生の生まれ。最後の岡崎藩主、岡崎藩知事である本多忠直に仕え、藩から選抜されて、明治政府が建てた兵学寮へ。そこで、フランス式の軍事教育を受け、後に日清戦争、日露戦争などにも参加しました。そして明治43年、数々の戦功により、陸軍大将となりました。兵役を退いてからは、あるさとの岡崎に帰り、明大寺町向山で暮らしました。三河郷友会会長として活躍するかたわら、遺族を訪問したり、講演会で講演をしたりしていました。その後、昭和39年、岡崎市名誉市民に推挙されました。","","",
11,17,"梅園幼稚園の園舎が現在の地に完成した日だよ","市立３幼稚園で最も古い歴史を誇る梅園幼稚園。もとは、明治33（1900）年に私立岡崎幼稚園として亀井町に創設されました。その後、大正２（1913）年に寄贈されて、岡崎町立幼稚園となり、大正５（1916）年の市制施行に伴い岡崎市立幼稚園と名前を変更しました。園舎は戦争で燃えてしまいましたが、昭和29（1954）年11月17日に、現在の梅園町に新しい園舎が完成しました。なお、岡崎市立梅園幼稚園という名前になったのは、その８年後、昭和37年のことでした。","","",
11,18,"ユニチカ岡崎工場で大きな火災が発生しました","岡崎市消防本部ができた昭和23年以来、建物の焼失面積では最大の規模となったユニチカ岡崎工場の大火災。ご記憶のかたも多いのではないでしょうか。火災が起きたのは平成４（1992）年11月18日。午後９時ごろ、日名北町のユニチカ岡崎工場から出火しました。倉庫約２万平方メートルが焼け、炎はときどき数１０メートル、煙は２００メートルまでも達しました。消防車54台と消防隊員300人あまりが出動し、社員や地元住民も駆けつけ消火にあたりました。不幸中の幸いでしょうか、一人の死亡者も出さずに済みました。この時期は、空気が乾燥しています。火の元には十分注意してくださいね。","","",
11,19,"第５回全国生涯学習フェスティバルを岡崎で開催した日だよ","「全国生涯学習フェスティバル」は、生涯学習を体験する機会を増やし、学習活動を活発にすることを目的に、平成元年に千葉県で始まりました。その第５回大会が、平成５（1993）年11月19日から、愛知県で開催されました。岡崎市や名古屋市を会場に、５日間に渡って各種イベントが行われました。コンサートあり、スポーツ大会あり、市内大学の合同講座あり、映画・演劇鑑賞会ありと、このフェスティバルがめざす、“生涯学習との出会いの場”が数多く提供されました。このイベントをきっかけに、初めの一歩を踏み出したかたも多かったのではないでしょうか。","","",
11,20,"美術博物館の入場者が10万人に達した日だよ","平成８年７月に岡崎中央総合公園内にオープンした「岡崎市美術博物館」。その入場者数が10万人を突破した日が、１年５カ月後の平成９（1997）年11月20日のことでした。10万人目となったのは、一宮市から訪れた瀬古明さん。「ほんとうに嬉しいです。」と驚いていました。美術博物館のコンセプトは４つ。①家康の生きた時代、②東の心・西の心、③バロック、そして④マインドスケープ。明日、11月21日（土）からは、新たな企画展「臨済禅と武家の心　三河の禅林」が始まります。開館時間は午前10時～午後５時。入館料は大人600円、小中学生300円です。","","",
11,21,"ヒルトップ・ジャズ・フェスティバルを開催した日だよ","『岡崎にジャズの灯を！』と、トッププレーヤーを招き、「ヒルトップ・ジャズ・フェスティバル」を開催した日が平成５（1993）年11月21日のことでした。その年の１月、市内で外科医をしていた“ドクタージャズ”こと内田修さんが、４０年以上に渡って集めたジャズレコード約15000枚を岡崎市に寄付したのをきっかけに、市内の若手経営者らが中心となって“ジャズでまちおこしを”と企画したものです。会場となった岡崎中央総合公園総合体育館につめかけたジャズファンは４千人。渡辺香津美さんや大西順子さんらの演奏を熱心に聞き入っていました。","","",
11,22,"市職員が考案した交通安全日めくりを作成しました","この時期は、年末にかけてお酒を飲む機会も多く、交通事故の危険性が高い時期です。平成11年11月22日、岡崎市は、職員が手づくりで作成した「年間の交通安全標語」と「日めくり交通安全標語」を作成しました。交通標語は職員から募集したもので、３７６点の応募があり、「出発前　職場でかけあう　交通安全」「急ぐほど　危険が増える　通勤路」「だいじょうぶ　そのスピードで　あのカーブ」など数十点が採用されました。皆さんも、交通ルールを守り、悲しい事故に巻き込まれないよう、十分注意して過ごしてくださいね。","","",
11,23,"第１回こどもまつりを開催した日だよ","ゴールデンウイークの恒例行事といえば、乙川河川敷一帯で開催される「こどもまつり」です。その第１回が開かれた日が、昭和49（1974）年の11月23日のことでした。『太陽を 緑を 遊びを子どもたちに』をテーマに、秋の行楽シーズンの最後を飾って開催されました。会場では、ステージショー、フラフープ、トランポリンなどの軽スポーツを始め、相撲大会、ものを作って遊ぶコーナーが設置され、家族連れなどでにぎわいました。春の恒例行事は、実は秋のイベントだったんですね。","","",
11,24,"生田（しょうだ）ボタル保存会が誕生した日だよ","山綱川や竜泉寺川の流域は、以前、ゲンジボタルの生息地として知られ、昭和10年に天然記念物の指定を受けました。地名にちなんで生田ボタルと呼ばれ、市民に親しまれていましたが、農薬などの影響で昭和30年代には、ほぼ絶滅してしまいました。その後、美合小学校で“ふるさとの川にホタルの光を取り戻そう”と、昭和52年にホタルクラブをつくって人工養殖を開始しました。成虫が産んだ卵をふ化させ、エサのカワニナを与えて幼虫を育てる試みに挑戦してきました。そして、昭和60（1985）年、約30年ぶりに生田ボタルが復活。地元の人々もその美しさに感激し、11月24日に「生田ホタル保存会」が結成されました。今も人工増殖に側面から協力するとともに、川の清掃奉仕やパトロールなどを行うなど、地域ぐるみの保存活動を続けています。","","",
11,25,"新田義貞らの官軍と足利軍が矢作川で戦った日だよ","戦（いくさ）が起きたのは、1335（建武２）年11月25日。後醍醐天皇率いる建武政権の誕生（建武の親政）直後の出来事でした。新政権に反旗をひるがえしたのは足利尊氏。この戦を境に、南北朝内乱の時代に突入することになります。そして、３年後の1338年に、足利尊氏は征夷大将軍にまで上り詰めています。ところで、この戦いと、似通っているのが1811年の治承（じしょう）の合戦です。いわゆる源平合戦、平氏と源氏が矢作川で戦ったものですが、建武の合戦と同じく、官軍と反逆軍が矢作川を挟んでにらみ合ったのです。身近な矢作川が、二度も東西両軍の激突の舞台となっているのはとても興味深いですね。","","",
11,26,"三世代宅地の第１号「開元の里」が完成した日だよ","「味噌汁の冷めない距離で親・子・孫の三世代同居」をキャッチフレーズに進められた「三世代宅地供給事業」。長寿社会への対応や、地域の活性化を目指して、親・子・孫の三世代が同居できる広い敷地を低価格で提供するのが狙いです。その第１号が米河内町（よなごうち）町で進められた「開元の里（かいげんのさと）」です。その開元の里で、宅地整備が終了し、完工式を行った日が、平成４（1992）年11月28日のことでした。現在は80区画余りの宅地に家々が立ち並び、自然に囲まれた住宅街が形成され、地域の顔となっています。","","",
11,27,"ニューポートビーチ市と姉妹都市提携をした日だよ","岡崎市と姉妹都市提携を結んでいるアメリカ・ニューポートビーチ市。ロサンゼルスの南80キロにある西海岸近くの都市です。姉妹都市提携以前から、両市はロータリークラブや中学校で親交があり、交流を深めていました。そして昭和59（1984）年４月、ニューポートビーチ市長が、姉妹都市提携の希望を伝えるために岡崎市を訪問。同年11月27日、岡崎市長を団長とする使節団がニューポートビーチ市を訪れ、現地市役所で調印式が行われました。現在も、中高校生の相互訪問や両市使節団の訪問など、交流の輪は着実に広がっています。","","",
11,28,"中央クリーンセンターで火入れ式を行った日だよ","八帖クリーンセンター（八帖町）のゴミ処理能力が限界になってきていることから建設を進めていた中央クリーンセンター（高隆寺町）。この中央クリーンセンターが完成し、焼却炉で火入れ式を行った日が、昭和63（1988）年11月28日のことでした。１日あたり240トンのゴミを処理できる能力が話題となりましたが、それ以外にも、余熱利用、コンピューター集中制御、周囲の緑にマッチした建物など、リサイクル・環境・景観などの側面にも注目が集まりました。また、施設が稼働した平成元年４月以降は、小学生の社会見学コースとしても人気を得ることに。家に帰った子どもが「お弁当はクリーンセンターで食べました」と聞いた保護者がビックリしたほどです。まさに、ごみ焼却場のイメージを変えた施設といえますよね。","","",
11,29,"市が「水とみどりの森の駅」の整備計画を発表した日だよ","平成18年１月１日に額田町と合併した岡崎市。この合併を機に、額田町を中心とした自然環境保全育成事業「水とみどりの森の駅事業」が進められることとなりました。平成17年11月29日は、岡崎市が「水とみどりの森の駅事業」の計画を発表した日です。計画によれば、「おかざき自然体験の森」「茅葺の里」「おおだの森」「くらがり渓谷」の４箇所を先行して森の駅に指定し、さらに育成地区として数箇所を指定するというものでした。また、新たな森の駅として「わんパーク」の整備も計画されました。合併後、計画は着実に実を結び、各森の駅では、市民が参加できる様々な催しや体験講座などが行われています。そして、平成22年秋には、待望の「わんパーク」がオープンする予定ですよ。","","",
11,30,"木村資生博士がダーウィン・メダルを受賞した日だよ","ダーウィン・メダルとは、進化論の父・ダーウィンの業績を記念して、英国王位協会が100以上前に設けた権威ある賞です。このメダルを日本人で初めて受賞したかたが、菅生（すごう）町出身の木村資生（きむらもとお）博士です。そして、その受賞日が、平成４（1992）年11月30日のことでした。受賞理由は、木村博士が提唱した、運のいいものが生き残るという生物進化の新しい理論「分子進化の中立説」。実は、この理論、昭和43年の発表時には国際的論争を巻き起こしました。しかし、遺伝学の進歩に伴い、今ではダーウィンの進化論と同様に、生物学の基本的な考え方として認められています。京都大学農学部助手、国立遺伝学研究所教授などを歴任した木村博士ですが、ご本人の言葉を借りれば、投（なぐり）小学校（根石小学校の前身）４年生のときまでは、「全く惨めで情けない時代だった」そうです。転機は５年生のとき。担任の今泉健一先生が、木村博士の疑問に熱心に答えてくれたことだといいます。その後、旧制岡崎中学（現岡崎高校）時代には、日曜日ごとに、十数キロも離れた桑谷山や須淵町へ、おにぎりを持って植物の採集に出かけたそうです。平成６年11月13日、70歳の誕生日にその研究生活の幕を閉じました。朝日町にある「せきれいホール」の敷地内には、博士の銅像がありますよ。","","",
12,01,"岡崎市内線が福岡町まで延長された日だよ","昭和18年に営業を休止した岡崎駅と西尾駅を結ぶ西尾鉄道。その一部区間、岡崎駅から福岡町までの２．５キロが復活した日が、昭和26（1951）年12月１日のことでした。岡崎駅前で市内線と連絡していたので、市内線の一部とされることが多いようですね。この路線の復活は、沿線の福岡・六ツ美地区住民の強い願いによるもので、総工費の一部も住民みずから負担したということです。途中の停留所は、柱・東若松・西若松の３カ所でした。しかし、11年後の昭和37年、バスを含めた自動車交通が普及したことを受け、廃止となりました。","","",
12,02,"名鉄美合駅の全面改築工事が完了した日だよ","美合駅は、愛知電気鉄道（現在の名鉄）が、豊橋方面へ延長されるときに設置された駅です。当時、駅周辺は松林や桑畑が広がっていましたが、昭和８年、日清紡績の工場ができると、綿花などの貨物輸送が盛んになり、利用者も増えてきました。夏には駅前の広場で生田ホタル音頭を踊ったり、夜店が出たりしたこともあったそうです。開業当時の木造平屋建ての駅舎は、昭和61（1986）年に鉄筋構造の橋上駅舎に改築、駐車場やバスの発着場も整備され、今の姿となりました。12月２日は、その工事が完了した日というわけです。昭和62（1987）年に開催した「葵博」では、最寄り駅として大変な賑わいをみせたことを覚えている人も多いでしょうね。","","",
12,03,"わかしゃち国体「シャッチー」の人形が市役所に登場した日だよ","平成６(1994)年に開催された第49回国民体育大会愛知大会・わかしゃち国体。その開催を２年後に控えた平成４（1992）年12月３日、国体ＰＲのためにマスコット「シャッチー」の等身大の人形が市役所に設置されました。高さは１メートル38センチ、台座を含めると２メートルにもなりました。台座部分には、開催日までの日数が掲示してありました。ちなみに、「シャッチー」という名前は、全国からの応募54,746点の中から決まったものです。該当作品は767点。中には、当時、緑丘小学校に通う４年生・石原由紀さんも含まれていました。「シャッチー」の名付け親となった石原さんは、「ネッシーとかイッシーとか、恐竜のような名前が可愛いなと思って考えました。初めは『シャッチ』だったけど、お母さんと相談して『チー』と伸ばすようにしました」と話していました。","","",
12,04,"市立図書館が六供町に移転した日だよ","戦前、岡崎市立図書館は岡崎公園の中にあり、西三河の代表的な図書館として知られていました。しかし、第二次世界大戦の空襲で、蔵書ともども焼けてしまいました。その後、いったんは康生町の元青年学校校舎へ移転することに。そして、昭和37（1962）年12月４日、六供町の元岡崎商業高校校舎、現在の市民会館のあたりに場所を移しました。その後も、康生通元岡崎警察署建物など、古い施設跡へと移転を繰り返しました。その後、昭和46（1971）年に明大寺町に新築の図書館が建設され、さらに、平成20（2008）年11月１日に現在の図書館交流プラザのオープンによって、再び、康生地区に帰ってきたというわけです。","","",
12,05,"岡崎文化協会が再発足した日だよ","地域文化の育成、向上をめざして活動を続ける岡崎文化協会。その文化協会が再出発を期し、88団体の加盟より設立総会を開いた日が、昭和50（1975）年12月５日のことでした。もともと文化協会は、戦後の一時期に地元の高校教師や商店主らが立ち上げたものです。しかし、大衆娯楽の普及と趣味の多様化、活動のマンネリ化もあって、昭和30年代前半から20年近く休止状態となっていました。再発足の翌年となる、昭和51（1976）年には加盟団体が100団体を超え、市民芸能祭、民謡祭などが開催され、市民の関心を集めました。そして、昭和53（1978）年からは、機関誌「藤華（とうか）」、現在の「岡崎文化」を発行、加盟団体の紹介はもちろん、毎号岡崎の文化を物語る特集記事を掲載し、市民に岡崎の文化の歴史や現状を紹介し続けています。","","",
12,06,"旧美保橋の親柱を生かした記念碑が設置された日だよ","小美（おい）町と保母（ほぼ）町の間を流れる乙川（おとがわ）に架かる「美保橋（みほばし）」。現在の橋は、平成６年に完成したものですが、もともと美保橋は、昭和３年に額田郡美合村が岡崎市と合併した際に、「つり橋」として建設されたもので、50年以上の間、地域の人々に親しまれてきました。そこで、地域では、新しい橋の建設を機に、橋の歴史を後世に伝えるために記念碑の設置を計画することとなりました。そして、平成６（1994）年12月６日、旧美保橋の親柱を生かした記念碑が新しい橋のすぐ近くに設置されました。設置された記念碑は、旧橋の御影石の親柱２本が用いられ、中央には黒御影石の碑が建てられています。つり橋の写真も施され、橋の歴史が刻まれています。","","",
12,07,"東南海地震が発生しました","太平洋戦争末期の昭和19（1944）年12月７日、午後１時36分に「東南海地震」は起こりました。震源地は熊野灘沖で、マグニチュードは8.0。戦争中だったため、詳しい被害状況はあまり発表されませんでしたが、津波や余震も広範囲に渡り、死亡者・行方不明者は1200人以上を数えたとのことです。岡崎市域（資料にあるのは当時の岡崎市、矢作町、六ツ美村、岩津町）では、死者９人、負傷者29人。しかし、日清紡針崎工場で女工16人が外壁の下敷きになって死亡したという目撃談などもあり、実際の被害はもっと大きなものであったと予想されています。","","",
12,08,"福山市からインド象の「ふじ子」が岡崎にやってきた日だよ","東公園一の人気者、ゾウの「ふじ子」は、親善都市である広島県福山市から贈られたものです。オリに入れられ、ヤギやヒツジなどと一緒に、大型トラックで福山市を出発。国道２号線から中国、名神、東名高速道路を経て約600キロの道のりを14時間かけて、ようやく東公園に到着した日が、昭和57（1982）年12月８日のことでした。長旅の疲れと見慣れない環境に、ふじ子は少々興奮気味。好物のリンゴやパンを与え、機嫌をとりながら１時間かけてようやく象舎に入りました。ちなみに、来園者がふじ子にエサを与えることができる特製のベルトコンベアーは、当時の市長のアイデアですよ。","","",
12,09,"北野廃寺を史跡公園にするための工事が始まった日だよ","７世紀の中頃に建てられ、三河地方最古の寺院跡といわれる「北野廃寺跡」。その北野廃寺を史跡公園として保存しようという工事が、昭和51（1976）年12月９日のことでした。北野廃寺跡は、昭和４年に国の史跡指定を受けました。南大門（なんだいもん）・中門（ちゅうもん）・塔（とう）・金堂（こんどう）・講堂（こうどう）・僧坊が一直線上に並ぶ“四天王寺式の伽藍”としては、日本で一番東に位置しています。また、塔は法隆寺五重の塔に近い大きさ、規模は同じ時代の近畿地方の寺院と肩をならべるほどと推定されています。工事は、これら金堂や塔の跡を、みかげ石などで示して、一目で寺院跡と分かるようにしようというものでした。このほか、芝生や砂利を敷きつめたり、休憩所などを設けたりして、市民の憩いの場としての整備が行われました。","","",
12,10,"ウッデバラ市から訪問団がやってきました。","スウエーデン・ウッデバラ市は北海に面した静かな町です。そして、同じカコウ岩の上に町があることから、昭和43年に岡崎市と姉妹都市提携を結んだ都市です。提携から20年が経過した昭和63年12月10日には、市長にあたるレンナット・ユーハンソン行政府議会議長を団長とした使節団が岡崎を訪問しています。一行は、５日間の滞在中、市役所はもちろん、三菱自動車岡崎工場、マキタ電気、岡崎国立共同研究機構（現在の自然科学共同機構）などを見学しました。また、ユーハンソン議長は、開会中の岡崎市議会にも出席。海外からのお客様として初めてスピーチを行いました。スピーチでは、「皆さんに歓迎され、ウッデバラ市と岡崎市が友人同士であることを改めて確認しました」「おかざき世界子ども美術博物館の素晴らしさに強く感銘しました」「岡崎市の発展ぶりには驚かされますね」と述べ、最後に「いつかまた、皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。さよなら」と日本語であいさつしました。現在、両市の交流は40年以上が経過しています。","","",
12,11,"現在の日名橋が完成した日だよ","矢作川に架かる日名橋（ひなばし）。舳越（へごし）と日名（ひな）を結ぶこの橋が初めてできたのは、昭和16（1941）年のことでした。それまでは「日名の渡し」といわれ、舳越と日名の間は渡し舟を使っていました。最初の橋は、豊田市桝塚から国道１号に至る飛行場ができたのをきっかけに、軍事上の必要性もあり橋が作られたとされています。しかし、昭和34年の伊勢湾台風によって流されてしまいます。そして、２代目の橋、すなわち現在の橋が昭和38（1963）年12月11日に完成したというわけです。","","",
12,12,"第３代市長に小野庄造氏が就任しました","第３代の岡崎市長である小野庄造（おのしょうぞう）氏は、明治10年、伊賀町に生まれました。その後、陸軍に入り、ドイツへ留学するなど、航空機の研究に専念し、陸軍の航空技術向上に多くの功績を残しました。退役後は岡崎に帰り、市会議員をつとめた後、昭和５（1930）年12月12日に、市長に就任しました。在任中は市民の願いであった上水道の整備に努力したと伝えられています。","","",
12,13,"りぶらで、石の彫刻「水の道」の除幕式を行った日だよ","図書館交流プラザの敷地内に、姉妹都市スウェーデン・ウッデバラ市から贈られた石の彫刻「水の道」があります。この彫刻は、岡崎市とウッデバラ市の姉妹都市締結40周年を記念して、ウッデバラ市から贈られたものです。この「水の道」の除幕式を行った日が、平成20年12月13日のことでした。彫刻に使われているのは、ウッデバラ産の赤い花こう岩。高さ１メートル、縦3.5メートル、幅50センチの岩を二等分し、片方の岩はウッデバラ市内の幼稚園に設置されました。彫刻の中央には、細長いせせらぎが施され、子どもたちが水遊びを楽しむこともできます。除幕式には、ウッデバラからラルフ・スティーン議長を始めとする訪問団も参加し、さらになる友好を誓いました。","","",
12,14,"市長と市議会議員が国道１号沿いの民家に宿泊した日だよ","昭和52（1977）年12月14日夜から15日朝にかけて、当時の市長や市議会議員12人が、騒音や振動に悩む国道１号線沿いの民家３軒に宿泊しました。これは、「公害は体験者でなければ分からない」という市民の訴えにこたえたもの。午後10時、市民との話し合いの最中も、「ゴーッ」「ドドドー」という大型トラックの音に話が途切れ、その度に、声も大きくなりました。そして、午後11時をまわり、布団に入るも、音や振動は明け方まで続き、眠れぬ一夜を過ごしました。その後も市民の努力は続き、２年後の昭和54年、建設省愛知国道工事事務所が、八帖町から康生町までの810メートルをモデル区間として、環境改善に向けた事業がスタートしました。以来13年という歳月をかけて、平成４年、今の「竜城通り」が完成したというわけです。","","",
12,15,"岡崎中央総合公園で総合体育館が完成した日だよ","高隆寺町にある岡崎中央総合公園。野球場や体育館などのスポーツ施設が集まる公園です。この岡崎中央総合公園で、最初に建設に着手した施設が総合体育館でした。工事を始めたのは、平成元年10月31日。完成は、市民球場に次いで２番目となりましたが、ピラミッド型の体育館棟と武道館棟、それに錬成道場、エントランス棟の４棟を一体化した近代的な建物は、まさにスポーツゾーンの中心施設といえます。この総合体育館が完成し、完成記念式典を行った日が、平成３（1991）年12月15日のことでした。当日は、完成を記念して、体育館ではバスケットボール日本リーグ「いすず自動車―三菱電機」の試合が、武道館棟では愛知県空手道連盟の組み手や型の披露が行われました。","","",
12,16,"西大平藩主・大岡忠相が亡くなった日です","「大岡裁き」で知られる大岡越前忠相（おおおかえちぜんただすけ）が晩年、旗本から大名に昇進し、初代西大平藩藩主となったことを皆さんはご存知ですか？　西大平藩の領地は、今の大平地区を始め、額田（ぬかた）、宝飯（ほい）、渥美（あつみ）の辺り。忠相自身は江戸常勤だったことから、家臣達がこちらに居るだけでしたが、忠相が藩主として建てた陣屋（小さな城のようなもの）の跡地は、今も男川（おとがわ）小学校の西隣にあります。現在は、大岡家が建てた神社と、明治以降に大岡家ゆかりの方が住んだ屋敷に通じていたという門が残っているだけですが、観光用に門や築地塀などが建設され、陣屋跡の雰囲気がただよっています。忠相は、西大平藩主となった３年後の、宝暦（ほうれき）元（1751）年12月16日に75歳でこの世を去ることになりますが、あの大岡越前忠相が、岡崎に陣屋を建てていたなんて、ビックリですよね。","","",
12,17,"北野廃寺が国の史跡指定を受けた日だよ","７世紀中頃に建てられ、三河地方最古の寺院跡といわれている「北野廃寺跡」。その北野廃寺が国の指定史跡となった日が、昭和４（1929）年12月17日のことでした。大正８年、岡崎市の名誉市民で、後に奈良国立博物館の館長となった石田茂作氏が寺院跡であることをつきとめました。その後、昭和39年と52年の調査で、南大門（なんだいもん）・中門（ちゅうもん）・塔（とう）・金堂（こんどう）・講堂（こうどう）・僧坊が、一直線上に並ぶ“四天王寺式の伽藍”であったことが確認されました。その他、塔は法隆寺五重の塔に近い大きさ、規模は同じ時代の近畿地方の寺院と肩をならべるほどであったことも判明しました。また、北野廃寺以外では、正倉院にしかない磬形垂飾（けいがたすいしょく）と呼ばれる仏殿の装飾品も出土しています。昭和51年12月からは、北野廃寺を史跡公園として保存する工事が始まり、金堂や塔の跡を、みかげ石などで示して、一目で寺院跡と分かるようにしたり、芝生や砂利を敷きつめたり、休憩所を設けたりと、市民の憩いの場として整備されました。","","",
12,18,"挙母線（大樹寺～上挙母）が開通した日だよ","大正13年、岡崎電気鉄道が、大樹寺から岩津・岩脇を経て細川町の門立（もだち）に至る間で市内線の運行をスタートしました。その後、昭和４（1929）年12月18日、新たに上挙母から岩脇の間が開通。これにより、上挙母から岡崎市街を経て岡崎駅、さらに西尾に至る南北の鉄道が完成したというわけです。昭和41年頃には１日の乗降客が１万６千人を越える時期もありました。しかし、自家用車の普及と岡多線開通による利用客の減少を見越し、挙母線は昭和48年３月をもって廃止となりました。今でも、鴨田町には線路跡が歩行者専用道路として、また、細川町には岩脇駅のホームがそれぞれ残っており、わずかですが「挙母線」の名残をとどめています。","","",
12,19,"岡崎～多治見間に日本初の省営バス路線が登場した日だよ","鉄道省経営の日本最初のバスが、昭和の初め、岡崎～多治見間を走っていたのことを知っていましたか？　当時、岡多線を含む82路線が候補としてあがっていました。しかし、①岡崎・挙母・瀬戸・多治見などの市や町が適当に点在しており、自動車経営に適している　②運輸量が多く将来有望で、道路も一部は悪いが改良すれば運営するのに適当な箇所である　③沿線住民の希望も多い、などの理由から岡多線が１番となりました。この日本初の省営バス路線が岡崎に登場し、開通式を行った日が、昭和５（1930）年12月19日のことでした。開通したのは、岡崎～多治見間65.8キロ。バス７台、トラック10台でスタートしました。岡多線の開業は、沿線住民にとって待望久しいものでしたが、この地方の交通企業に大きな痛手を与えたことはいうまでもありません。しかし、省営自動車岡多線の道のりも、赤字を出したり、ガソリン節約の国策によって運行回数を減らされたりと、必ずしも平坦なものではありませんでした。","","",
12,20,"昭和34年の再建以来初となる岡崎城の改修が完了した日だよ","岡崎市のシンボル岡崎城。徳川家康公生誕の城として、古くから天下に名だたる名城といわれてきました。実は、岡崎城は、明治初期に政府の命により、一度、取り壊されています。現在の岡崎城は、再建を望む市民の声に応えて、昭和34年に再建されたものです。この岡崎城で、再建以来初となる大規模な改修工事が行われ、その工事が完了した日が、平成７（1995）年12月20日のことでした。工事によって、瓦は取り替えられ、城壁も真っ白によみがえり、再びその雄姿を現しました。唯一無二のふるさとの宝。いつまでも大切にしていきたいものですね。","","",
12,21,"市の木を「ミカワクロマツ」と定めた日だよ","岡崎市の木を「ミカワクロマツ」と制定した日、それが昭和46（1971）年12月21日のことでした。「市の木」の選定は、選定委員会が選んだ、クロガネモチ・ミカワクロマツ・ケヤキ・イチョウ・クスノキ・キョウチクトウのうちから一種類を、応募用紙に記載して投函する市民公募の形で行われました。応募総数は1968枚。そのうち、1064枚となる半数以上が、ミカワクロマツという結果となりました。古くから三河地方には、盆栽、庭木として優れた形態の黒松が多く、ミカワクロマツはこれらを称賛してつけられた名前です。典型的なものは、幹が樹高に比べて太く、根元から徐々に細くなり、樹皮が厚く、亀の甲のような深い裂け目を生じます。また、昔から縁起のよい樹木とされています。現存する代表的なものには市指定文化財にも選ばれている、土呂陣屋の松（福岡小学校内）をあげることができます。ちなみに、市の花「フジ」は昭和45年、市の鳥「ハクセキレイ」は昭和50年に、それぞれ制定されています。","","",
12,22,"市内の４つの農協が合併した日だよ","農業者の共同組合組織として知られている“農協”。岡崎市には、岡崎と幸田を区域とし、ＪＡあいち三河の名で知られる「あいち三河農業共同組合」があります。現在は、市内に一つの農協ですが、以前は４つの団体（東部・葵・六ツ美・矢作）がありました。この４農協が合併した日が、平成２（1990）年４月１日。その合併に向けた準備として、契約書への調印を行った日が、平成元（1989）年12月22日だったというわけです。農協の合併は、県の農協組織整備審議会が答申した合併構想の一環で、平成元年４月には幡豆郡で一色町農協が誕生、10月には宝飯豊川、11月には吉良町で、ぞれぞれの農協が合併のための契約書に調印しています。合併後の名称は「岡崎市農協」と決まり、その後、「ＪＡあいち三河」となりました。","","",
12,23,"第５代岡崎市長に菅野経三郎氏が就任した日だよ","第５代岡崎市長　管野経三郎氏は明治10年、連尺町で生まれました。東京の呉服商で修行した後、故郷に戻り連尺町で呉服店を開業し、岡崎市商業界の重鎮的存在となっていきました。大正９年には市議会議員当選。以降、この地方の土木事業などに貢献し、日名橋、明代橋、龍城（たつき）橋などの建設に尽力しました。そして昭和10年12月23日に、第５代岡崎市長に就任すると、今度は工場誘致などの産業振興にも力を注ぎ、岡崎郵便局・浄水場・愛知電鉄の建設などを進めました。また、戦時中、並びに戦後の混乱期に市政を担当、市街地整理の戦災復興事業にも努めました。","","",
12,24,"ＪＲ岡崎駅西広場にモニュメントが完成した日だよ","羽根町、ＪＲ岡崎駅の西広場に、みかげ石のモニュメント「大地と空間」が完成し、除幕式を行った日が、平成３（1991）年12月24日のことでした。このモニュメントは、平成２年の秋、駅に東西を結ぶ自由通路と橋上駅舎が完成し、これにあわせて行われた駅西広場の整備を記念して設置されました。高さ1.5メートルの台座の上に立つモニュメントの高さは7.3メートル。幅は6.4メートルあります。２本の石の柱の間に直径1.8メートルの黒みかげ石のリングをはめ込んだデザインは一般公募によるものです。大きい石の柱が岡崎市、小さいほうが市南部地域を、リングは太陽を表し、全体で発展する岡崎市を表現しています。","","",
12,25,"東海愛知新聞の前身、東海新聞が創刊した日だよ","南明大寺町にある東海愛知新聞社。皆さんよくご存知の、岡崎の地方日刊紙です。その前身の一つである「東海新聞」が創刊された日が、昭和20（1945）年12月25日のことでした。当時の社屋は元能見町にあり、政治経済一般ニュースを内容とする日刊紙としてスタートしました。その後、昭和27年に創刊した日刊紙「愛知新聞」（当時の社屋は康生町）と昭和52年に対等合併し、現在の「東海愛知新聞」が誕生したというわけです。毎日、紙面のトップを飾るのは、ふるさと岡崎を中心とした三河地域のニュースです。全国紙の地方版とは一味違ったローカル紙ならでは魅力や発見がいっぱいです。","","",
12,26,"徳川家康公が生まれた日だよ","岡崎の偉人といえば、もちろん、徳川家康公です。その家康公が生まれた日が、天文11（1542）年12月26日です。松平広忠（ひろただ）の長男として岡崎城内で誕生。その後の波瀾万丈の人生は、皆さんもよくご存知ですよね。岡崎公園には今でも、産湯を汲んだとされる井戸や、家康公のえな（胎児〈たいばん〉）を埋めた塚・えな塚（えなづか）が残っています。ちなみに、家康公の命日は、元和２（1616）年４月17日。享年75（満73歳）でその生涯を閉じました。","","",
12,27,"米山寮を支援する会が発足した日だよ","洞町にある社会福祉法人「米山寮（よねやまりょう）」。児童養護施設や盲児施設を併せて持つ、子どものための福祉施設です。米山寮の歴史は古く、施設建設のきっかけは、昭和23年までさかのぼります。施設の創設者である米山起努子さんは、昭和23年に来日したヘレン・ケラーの講演会での話に感銘を受け、視覚や聴覚に障がいのある子どもたちが過ごす場所として、昭和25年に私財を投じて明大寺町で米山寮を開設しました。その後、社会福祉法人となり、昭和38年には新しい施設の建設も行いました。それから、30余年、活動を続ける中で施設は老朽化し、さらに新しい施設の建設が望まれるようになりました。しかし、福祉法人が直接寄付の呼び掛けを行うことができないため、施設建設のバックアップ組織として、平成12年12月27日、米山寮を支援する「子どもと障害者の幸せを願う会」が発足したというわけです。そして、平成17年10月、待望の新しい施設が現在の洞町に完成したというわけです。施設完成までには、「願う会」の他にも、多くの団体・個人のあたたかい協力がありました。現在は、児童養護施設「プティ ヴィラージュ」、盲児施設「米山寮」、乳児院「ひよこハウス」の３施設で、約80人の子どもたちが元気よく過ごしています。","","",
12,28,"岡崎市民病院が開院し、旧病院から入院患者を移送しましただよ","構想から10年、新しい市民病院が高隆寺町に開院した日が、平成10（1998）年12月28日のことでした。開院に伴い、この日は、若宮町の旧病院から入院患者242人の移送を行いました。移送は午前８時15分に開始。医師や看護婦、職員など約650人が手分けして、患者を救急車に乗せ、新しい病室に運びました。救命救急センターの重症患者は救急車２台を９往復させるなどして移送。一般患者はベッドや車椅子のまま救急車で、また、歩ける人はバスで移動し、午後１時過ぎ、無事終了したというわけです。一般外来の受付は、年が明けた平成11年１月４日からスタートしました。平成21年９月には、地域医療支援病院に指定されるなど、西三河の中核病院としてさらなる期待が高まっています。","","",
12,29,"家康が姓を「徳川」に改め、三河守になった日だよ","1560年の桶狭間合戦の後、岡崎城に入った家康は自立をはかり、西三河南部を制圧しました。また、信長と同盟を結び、今川氏との絶縁を天下に宣言しました。さらに、主従をも分裂させるほどの一向一揆も鎮圧し、家臣との関係を強固にした家康は、東三河も制圧して三河一国の大名となりました。そして、永禄９（1566）年12月29日、朝廷の許しである、勅許を得て「徳川」と姓を改め、従五位下三河守に叙任されました。ちなみに、元康から家康に改名したのは、1563年の７月頃といわれています。","","",
12,30,"本日はお休みします","皆さん、よいお年を。","","",
12,31,"本日、今年最後の朝市「二七市」が行われます","籠田公園のすぐ近くで開催される朝市「二七市」。皆さんも、よくご存知ですよね。その名の通り、二と七のつく日（２日、７日、12日、17日、22日、27日の月６回）に開催される歴史ある朝市です。朝市の時間は、午前中の朝の９時ごろ～正午ごろまで。この「二七市」のもう一つの名物が、31日に行われる年末朝市です。毎年、年越しの仕度をする大勢の買い物客でごったがえす二七市。今日も、おせち料理の材料をはじめ、お餅や正月飾りなどを目当てに、たくさんの人が訪れているんでしょうね。","","",
01,01,"新年　明けまして　おめでとうございます。","岡崎市ホームページをご覧の皆さん、新年　明けまして　おめでとうございます。今年も、ホームページを通じて、様々なニュース、出来事、暮らしに役立つ情報などを提供してまいりますので、岡崎市ホームページをよろしくお願いいたします。もちろん、ぼくのコーナーも、昨年以上に盛り上げていきますので、毎日見に来てくださいね。ちなみに、今日１月１日は、「平成12年、西暦2000年のミレニアム婚を目当てに、71組のカップルが婚姻届を提出した日」だよ。そして、そのご夫婦にとっては、婚姻届提出10周年という記念の日です。","","",
01,02,"本日はお休みします","皆さん、楽しいお正月を過ごしてくださいね。","","",
01,03,"本日、山中八幡宮で「デンデンガッサリ」が行われます","本日、舞木町にある山中八幡宮で、室町時代から伝わる祭り「デンデンガッサリ」が行われます。この祭りは、１年の豊作を祈る古式ゆかしいお田植え祭りで、「デンデンガッサリヤー」と唄いだすことから、その名がついたと言われています。祭りが始まると、男衆が太鼓のリズムに合わせて、「御田植ノ歌」を前歌・後歌に分けて合唱します。祭りの最高潮には、ワラのかぶりものをつけた牛役の男性が四つんばいになり、大鏡餅を背負いながら境内の中を歩きまわります。祭りの最後には、切り分けた餅を観客に投げて、１年の無病息災を祈ります。祭りは午後から。見学は自由です。時間のあるかたは、ぜひお出かけください。","","",
01,04,"新しい市民病院で、一般外来の受付が始まった日だよ","高隆寺町にある岡崎市民病院。平成10（1998）年12月28日に、若宮町の旧病院から、高隆寺町へ移転してきました。その際に、名称が「市立岡崎病院」から「岡崎市民病院」へと変更しています。開院当時は、若宮町の旧病院から入院患者242人の移送を行ったことは、記憶に新しいところです。この新しい市民病院で外来の診察が始まった日が、平成11（1999）年１月４日のことでした。現在も、この地方の中核病院として、地域医療を支え続けています。","","",
01,05,"洞町にＢ29戦闘機が飛来し、焼夷弾を投下しました","昭和20（1945）年１月５日未明、Ｂ29戦闘機一機が岡崎市近郊の洞町付近に焼夷弾を投下しました。翌６日付けの中部日本新聞は、「岡崎市近郊が爆撃される。四千メートルの上空から煙草の火も見える」と伝えています。これは、火の気配のある場所をねらって爆弾を投下するという、Ｂ２９の攻撃パターンを現しています。当時、人々は夜の敵機来襲の備えとして、火の気を消すことでその対策を講じていたというわけです。昭和20年のこの時期は、終戦のおよそ８カ月前。終戦間近の岡崎空襲の７カ月前の出来事でした。","","",
01,06,"市役所市民課の窓口をリニューアルした日だよ","毎日、多くの市民が訪れる市役所市民課。出生、婚姻、転居、印鑑登録など、様々な手続きを処理しています。平成15年１月６日、この日、市民課では、窓口カウンターの改修工事が完了し、新しい体制で業務がスタートしました。新しい窓口では、証明書などの受付と交付を同じ窓口で一括処理できることとなったため、待ち時間がそれまでの３分の１に短縮しました。また、金融機関などが導入していた受付番号発券機を導入したり、フロアに案内係を配置したりするなどの、サービスの向上も図りました。当時、市民課は市役所本庁舎１階（現在の西庁舎地下１階）にありましたが、1971年の庁舎建設以降、窓口の大幅改修は初めてのことでした。現在、市民課は東庁舎１階にあります。そして、土曜窓口サービスや、休日コーナーなど、さらにサービスの充実が図られています。さらに、２月からは、毎月第１土曜日（３月は６日・20日・27日の３回）の午前中に、休日届出窓口を新たに設置し、さらなるサービス向上に努めることになりました。春は届出の多い時期です。平日、仕事などで市役所へ来られないかたは、是非、ご利用ください。","","",
01,07,"額田支所前に合併記念モニュメントがお目見えしました","平成18（2006）年１月１日、岡崎市と額田町は合併し、新しい岡崎市が誕生しました。この合併を記念して、額田支所（旧額田町役場）前に、森の妖精をテーマにしたモニュメントを設置し、その除幕式を行った日が、１月７日のことでした。除幕式には、関係者120人が出席し、見事な出来栄えに歓声があがりました。完成したモニュメントは、美合町の造形作家　松岡徹さんが公募で選ばれた11人の子どもたちといっしょに制作したものです。高さ2.7メートルのブロンズ製の像の上には、44の妖精の顔が飾られています。暗くなるとセンサーで明かりが灯る仕掛けも備えています。同じ日には、岡崎中央総合公園で、市民参加による合併記念ミュージカル「天狗のかくれ里」も上映され、この時期、市内は合併のお祝いムードに包まれました。","","",
01,08,"南公園でリニアモーターカー「ＨＳＳＴ」の展示が始まった日だよ","岡崎公園内で運行していた「ＨＳＳＴ」が、南公園交通広場に展示された日が、平成３（1991）年１月８日のことでした。ＨＳＳＴは、岡崎市政70周年記念に開催した“葵博”の目玉の一つとして、昭和63年から運転を始め、平成２年８月まで続けられました。この間にＨＳＳＴに乗った市民や観光客は、44万人にも上りました。運行を終了したＨＳＳＴを『いつまでも見られるようにして』と多く市民が要望したことから、南公園に展示することになったというわけです。展示場所は南公園内の交通広場の一角。ＳＬ展示場のすぐ近くです。プラットホームなどもあり、外見は当時のままです。毎年、秋の“南公園まつり”のときには内部が開放され、まつり当日は大勢の家族連れなどでにぎわっています。","","",
01,09,"Ｂ29戦闘機３機が岡崎上空に侵入してきました","時は、第２次世界大戦の終戦間近。昭和20（1945）年に入ると、岡崎市上空でも米軍のＢ29戦闘機が頻繁に見られるようになりました。４日前の１月５日には洞町（ほらちょう）に焼夷弾が。１月９日にも３機のＢ29が確認された記録が残っています。さらに、５月14日に同じく洞町に投弾。そして、７月20日未明、Ｂ29約120機による、あの忌まわしい岡崎空襲へと続いていきます。伝馬通り沿いにある籠田公園には、「平和の碑」が建っています。昭和33年４月、岡崎市戦災復興土地区画整理事業の完成に伴い建てられた「戦災復興之碑」のことですが、この碑に込められた平和への想いをいつまでも大切にしていきたいものです。","","",
01,10,"市職員の制服自由化がスタートした日だよ","平成14（2002）年１月10日、この日、市役所では職員が制服を着ない、いわいる「自由化」のテストがスタートしました。当時、市の職員は、男性が白のカッターシャツ（夏）と紺のブレザー（冬）、女性はブラウス（夏）と上着・ベスト・スカート（冬）の着用が義務付けられていましたが、この年の４月に中核市へ移行することをきっかけに見直そうと、手始めに毎週金曜日を「事務服着用自由の日」としてスタートしたというわけです。自由化といっても、決して「カジュアル」という意味ではなく、公務員としてふさわしく、仕事に適した服装に心がけることはいうまでもありません。ちなみに、制服の自由化によって、市は年間約１千万円の経費を節約したとのことですよ。","","",
01,11,"内田修さんが、ジャズレコードなどを市に寄付した日だよ","図書館交流プラザにある「内田修ジャズコレクション展自室」をご存知ですか？　かつて、市内で開業医を営んでいた内田修さんは、世界でも有数のジャズコレクションを所有していました。人呼んで“ドクタージャズ”。その内田修さんが、長年かけて収集した膨大な数のジャズレコードや雑誌などを市へ寄付した日が、平成５（1993）年１月11日のことでした。寄付されたのは、輸入盤レコード4742枚、国内盤7566枚、オープンリール式の録音テープ855本、ジャズ関連書籍約2200冊など、世界でも類を見ない貴重なジャズ資料ばかり。これらの財産はこの日を境に市民共有の財産となりました。寄付を受けた岡崎市では、その後、シビックセンターにジャズコーナーを設け、様々なジャズイベントを手がけるなど、市民といっしょにジャズの街を推進してきたというわけです。そして、平成20年11月１日に完成した図書館交流プラザの一角に新たに「内田修ジャズコレクション展自室」が完成し、内田さんが病院地下に建設していたジャズメンとの交流拠点「ドクターズ・スタジオ」も再現されました。","","",
01,12,"徳川家康公が大阪冬の陣の帰路、岡崎に泊まりました","慶長19（1614）年～20（1615）年に起きた、天下分け目の大阪冬の陣。江戸幕府が豊臣宗家（羽柴家）を滅ぼした戦いです。その帰り道、家康公が岡崎に立ち寄り、宿をとったといわれています。それも、１月９日ごろから１９日ごろまでという長い滞在であったとされています。場所は定かではありませんが、おそらく岡崎城ではないかと推測されています。慶長年間、豊臣方の田中吉政から家康方の本多康重に岡崎城主が変わっていることもあり、岡崎城で宿泊したと考えるのが自然ですよね。ちなみに、大阪夏の陣への出陣の際も、岡崎に宿泊しています。家康公にとって、岡崎は、やはり大切な土地“ふるさと”であったといえるでしょう。","","",
01,13,"三河地震が発生しました","太平洋戦争末期の昭和20（1945）年１月13日、午前３時38分頃「三河地震」は発生しました。震源地は渥美湾、マグニチュード7.1の規模でした。２日ほど前から音を伴った小さな地震が多数ありましたが、戦時中であったためか、大砲の音かと思われていたそうです。また、三ケ根山方面に光を見たという人もいたと伝えられています。地震の被害は、矢作川流域の幡豆・碧海郡方面に集中しました。死者2,306人、負傷者3,866人、家屋全壊7,221戸、半壊16,555戸にも達しました。三河地震は、前の年の東南海地震とともに戦時中であったため、今も細かいことは分かっていません。岡崎市内では、矢作町、六ツ美村、福岡町などで、多くの市民の尊い命が奪われました。","","",
01,14,"朝日町に郷土館が開館した日だよ","朝日町、国道１号沿いの北側に建つ「郷土館」。もとは、額田郡公会堂として大正２年に建てられたものです。その後、岡崎市制施行に伴い、中央公会堂と名前を変え、戦災も免れ、半世紀以上にわたって文化的社交場として使われてきました。しかし、昭和42年に市民会館ができたため、公会堂としての使命を終え、昭和44（1969）年の今日、１月14日に郷土館として新たなスタートを切ったわけです。さらに、開館30周年の年にあたる平成11（1999）年の12月１日には、国の重要文化財に指定されました。外観はもちろん、館内に入ってもルネサンス調の装飾が見られるなど、和洋折衷の優雅なつくりは、まさにふるさとの大切な財産といえます。","","",
01,15,"初めての「成年祭（今の成人式）」を開催した日だよ","「成人の日」は、昭和23（1948）年に祝日法によって制定された国民の祝日です。現在「成人の日」といえば、１月の第２月曜日と定められていますが、これはハッピーマンデー法が施行された平成12（2000）年以降の話。それまでは、「成人の日」は１月15日と定められていました。１月15日を「成人の日」としたのは、かつて「元服の儀」が１月15日（小正月）に行われていたことに由来するといわれています。そして、昭和24（1949）年１月15日、初めてとなる「成人の日」、岡崎市が第１回成年祭を開催したというわけです。会場となったのは、市立高校講堂（現在は甲山会館が建っている場所）でした。その後、昭和43年からは市民会館で、昭和53年からは市体育館で、そして平成４年からは岡崎中央総合公園でと、時代とともに会場を移しています。","","",
01,16,"おかざき地産地消セレクションが初めて認定された日だよ","地元食材を使った食品のＰＲに努めようと、岡崎商工会議所が毎年認定している「おかざき地産地消セレクション」。もともとは、農林水産省の補助を受けて、全国に先駆けて実施されたものです。この「おかざき地産地消セレクション」を初めて認定した日が、平成19（2007）年１月16日のことでした。認定は「加工食品の部」と「飲食店の部」の２種類。加工食品では原材料のうち地元産の農産物の割合が３割以上であること、飲食店の場合は提供している料理の中に地元産の農産物を使い、そのことをメニューに表示することなどが認定条件となりました。ちなみに、初年度の認定数は、加工食品が26品目、飲食店が11店舗となり、それぞれに「おかざき地産地消推進マーク」が贈られました。この制度は現在も続けられています。詳しくは、岡崎商工会議所のホームページで確認できますよ。","","",
01,17,"地元ＣＡＴＶと防災情報放送に関する協定を締結した日だよ","地元ケーブルテレビといえば、「ミクス」の名で親しまれている、ＭＩＣＳネットワークですよね。平成９（1997）年１月17日は、岡崎市とＭＩＣＳが、大地震で災害が起きたときの防災情報をテレビで放送するための手続き等について協定を締結した日です。なんといっても、災害時には、情報を手に入れることが第一です。岡崎市では、この他にも、地域のラジオとして親しまれている「エフエム（ＦＭ）おかざき」とも、同様の協定を締結していますよ。","","",
01,18,"市の消防レスキュー隊が阪神大震災の現場へ駆けつけました","平成17（1995）年１月17日に起きた大地震といえば「阪神・淡路大震災」です。６千人を超えるかたが亡くなり、30万人のかたが避難生活を行ったことなど、記憶に新しいところです。地震の起きた翌日の18日早朝、岡崎市は消防レスキュー隊など６人をさっそく現地に派遣し、救助活動にあたらせたことが記録されています。また、その日の午後には、さらに３人の消防職員が被災地に向けて出発しています。到着後は直ちに神戸市に向かい、東灘区で建物の下敷きとなった人の救助活動にあたりました。現地での救助活動は困難を極め、派遣された隊員からは「災害現場は予想以上に悲惨な状況」と過酷な活動の状況を物語る報告が続いたということです。いつ起きてもおかしくない大地震。ぼくたちも、日頃の備えをしっかり行っておきたいてすね。","","",
01,19,"地元地方紙、東海愛知新聞社の設立が決定した日だよ","岡崎の地方日刊新聞といえば「東海愛知新聞社」ですよね。その東海愛知新聞社の設立を決めるための株主総会が開かれた日が、昭和52（1977）年１月19日のことでした。第２時世界大戦後の岡崎市には、当時、“東海新聞（昭和20年12月１日創刊）”と“愛知新聞（昭和23年８月１日創刊）”がありました。どちらも政治経済一般ニュースを内容とする日刊紙で、性格や内容もとても似ていました。そこで、両社の合併話が持ち上がり、「東海愛知新聞社」の誕生となったわけです。正式な発足は、昭和52年２月１日。本社を南明大寺町に置き、いまも西三河地区の政治・経済・一般ニュースを中心に、地方日刊紙として幅広い世代に親しまれています。今日も明日も、１面のトップ記事はもちろん地元のニュースですよ。","","",
01,20,"岡崎中央総合公園で市民球場の建設が始まった日だよ","建設当時は「ナゴヤ球場よりも大きな公式野球場が岡崎市に出現」といった記事が新聞各紙を飾った市民球場。この市民球場の建設工事が始まった日が、平成２（1990）年１月20日のことでした。球場が完成したのは、翌年の平成３（1991）年５月18日のこと。球場の広さは、本塁から両翼フェンスまでが、99.1メートル、本塁から中堅が126メートルと、グラウンドの広さは、当時、国内最大級でした。また、芝生の手入れには雨水を利用したりするなど、管理面でも工夫を凝らした球場として話題となりました。完成を祝う“こけら落とし”は、中日ドラゴンズＶＳ福岡ダイエーホークスのウエスタンリーグ公式戦。偶然にも、故障により２軍で調整中の“落合選手”が出場し、内外野合わせて２万人の大観客は大盛り上がりでした。現在も、プロ野球・高校野球・社会人野球はもちろん、ちょっとぜいたくな草野球場として人気の高い施設です。ちなみに、ナイター照明ポールのデザインは、“岡崎”のアルファベット文字の“Ｏ”と“Ｋ”を組み合わせてデザインしたものですよ。よく見ると、確かに“Ｏ”と“Ｋ”ですね。","","",
01,21,"長野五輪聖火ランナーの随行者として市内の中学生が走りました","平成10年２月に行われた「長野冬季五輪」。スキーやスケートで多くの日本選手が活躍したことは記憶に新しいところです。この長野オリンピックの開幕を１年後に控えた平成９（1997）年、オリンピックの聖火リレーが愛知県にやってきました。聖火ランナーは、名古屋市内を12区間に分けて走りましたが、このとき、第３区（920メートル）を走る聖火ランナーの随行者の一人として、当時、六ツ美中学校３年の女子生徒が選ばれました。そして、その大役を果たした日が、平成９年１月21日のことでした。陸上部に所属し、全国大会などで好成績を収めたことがきっかけで随行者に選ばれた女子生徒は、沿道の声援に包まれながら、東区内の道路を10分ほどかけて走りました。そういえば・・間もなく、バンクーバーオリンピックですね。がんばれ、ニッポン！","","",
01,22,"岡崎市総合計画が初めて策定された日だよ","皆さんは、「岡崎市総合計画」をご存知ですか？　岡崎市がおおむね10年先を見据え、街づくり基本的な指針としているもの、それが「岡崎市総合計画」です。その総合計画を始めて策定した日、つまり、第１期総合計画を策定した日が、昭和45（1970）年１月22日のことでした。都市の将来像を“明るく、住みよい、豊かな町”とし、高度経済成長を背景に健康で文化的な市民生活を推進する街を目指しました。その後、総合計画は時代とともに見直され、現在は、平成21年３月に策定した第６次岡崎市総合計画によって、様々なまちづくりが進められています。ちなみに、第６次岡崎市総合計画で定めた都市の将来像は、『人・水・緑が輝く　活気に満ちた　美しい都市　岡崎』です。人と自然が共生しながら、知・文化・活力などあらゆる面で均衡が取れ、将来に向けて誇りと安心をもって住み続けられるまちを目指すという意味が込められています。総合計画の内容は、トップページ左下の「計画・ビジョンのコーナー」からご覧いただけます。","","",
01,23,"伊賀八幡宮の本殿や拝殿が国宝に指定された日だよ","皆さんよくご存知の伊賀町の伊賀八幡宮。伊賀八幡宮は、松平４代親忠（ちかただ）が松平家の氏神として、武運長久・子孫繁栄を祈るために、三重県の伊賀より迎えました。伊賀にちなんで伊賀八幡宮と呼び、その時に、地名も伊賀と改めたと伝えられています。家康公も大きな合戦のときには必ずお参りに来たといわれています。鳥居、神橋（しんきょう）、随身門、そして本殿、弊殿、拝殿が「エ」の字に続く権現造り。これら目にふれる物ほとんどが、昭和８（1933）年１月23日に、国の重要文化財に指定されています。","","",
01,24,"愛知環状鉄道のマスコット「あるるくん」が誕生した日だよ","岡崎と高蔵寺（春日井市）を結ぶ鉄道といえば、皆さんよくご存知の愛知環状鉄道です。通勤、通学などで市民の足として多くの人が利用するこの鉄道の誕生は、昭和63（1988）年１月にまでさかのぼります。赤字路線整理の一環として廃止された国鉄岡多線の後を継ぎ、第３セクターの鉄道会社として再スタートをきったというわけです。それから15年。設立15周年を迎えた愛知環状鉄道にマスコットキャラクターの「あるるくん」が誕生した日が、平成15年１月24日のことでした。キャラクターのデザインは、一般公募されたもので、2972件の応募の中から名古屋市在住の会社員のかたの作品が選ばれました。ちなみに、“あるる”とは、「Ａｉｃｈｉ　Ｌｏｏｐ　Ｒａｉｌｗａｙ」の頭文字から来ているそうですよ。あるるくんに会いたいかたは、愛知環状鉄道公式ホームページ「Ｑ＆Ａのコーナー」へどうぞ。","","",
01,25,"竜海中学校に“女三四郎”こと、山口香さんがやって来ました","平成13（2001）年１月25日、岡崎市立竜海中学校で、開校15周年の記念として講演会が開かれました。この講演会に講師として招かれたのが、ソウル五輪女子柔道銅メダリストの山口香さんでした。講演会のねらいは、スポーツ一筋に生きる人の話を聞き、その考えや生き方にふれることで、自分自身を見つめ直し、中学校生活に活かしていこうというものでした。山口さんは、小学校時代から柔道の道に入り、全日本女子柔道で10連覇の偉業を達成。世界選手権では金１つ、銀４つのメダルを獲得するなど、女子柔道界の先頭に立ってきたかたです。本物が語る言葉に触れた生徒たちは、講演会のテーマ「やればできる」を心に刻みました。","","",
01,26,"本宿と蒲郡を結ぶ鉢地坂トンネルが完成した日だよ","本宿村と蒲郡を結ぶ鉢地坂は、蒲郡から塩や魚を運び、本宿方面から薪や炭などを運ぶ三河中央部唯一の道路でした。しかし、道幅は狭く、急勾配で、危険な箇所も多いため、地元住民は長年、道路の改築工事を望んでいました。こうした要望に応えて、昭和４（1929）年、当時の本宿村長である小早川博氏が蒲郡町長の協力を得て、愛知県知事などに陳情書を提出しました。そして、昭和６年３月工事に着工。賃金問題などで現場従業員が意義を唱えるなど、幾多の難問が起こりましたが、昭和９（1934）年１月26日、待望の鉢地坂トンネルが完成したというわけです。","","",
01,27,"美術博物館が「愛知まちなみ建築賞」を受賞した日だよ","岡崎中央総合公園の中に、岡崎市美術博物館があります。この美術博物館が「第４回愛知まちなみ建築賞」を受賞した日が、平成９（1997）年１月27日のことでした。「愛知まちなみ建築賞」とは、個性豊かで、潤いのある街づくりに貢献している建築物を、愛知県が表彰しようというもの。配置図や設計の狙いなどを審査して決められます。美術博物館を選んだ理由について、審査講評には次のように書かれていました。“土手の上から眺めると、手前には｢風の道｣「水の道」という広場。その向こうには、全く趣の異なる全面ガラス張りの美術博物館棟とレストラン棟が見える。光に満ち溢れた建物を横目に、斜面に作られた幾重にも折り返すスロープを下り、振り返ると、スロープが城壁、２つの棟は、すみやぐらと天守閣のようである。ひとつの箱の中だけでなく、周辺一帯がアートの舞台となっている”ということでした。建物の中で行われている魅力的な展覧会とともに、建物自体のデザインや景観も楽しんでみませんか。","","",
01,28,"リサイクルプラザで、再生家具や自転車の販売が始まった日だよ","平成７年10月に、高隆寺町の中央クリーンセンター内に“リサイクルプラザ”が完成しました。現在も稼働中のこの施設は、燃えないゴミや粗大ゴミの処理など、空缶や空ビンの資源化を通してゴミの減量を進めている施設です。この施設を開放して、市民の皆さんに見ていただこうと、毎月第４日曜日に開催しているのが、「リサイクルの日」です。もちろん、施設見学だけではありません。「リサイクルの日」の大きな目玉は、粗大ゴミから再生した家具や自転車の抽選販売です。この抽選販売が始まった日が、平成8（1996）年1月28日のことでした。リサイクルプラザで修理されたタンス・机・本箱などの家具や自転車は、ゴミとして捨てられたとは思えないものばかり。価格も５千円程度とあって、市民の人気も上々です。毎月開催していますので、皆さんも、のぞいてみませんか。","","",
01,29,"ＪＲ岡崎駅が「愛知県快適空間賞」を受賞した日だよ","お年寄りや障がい者が利用しやすいように配慮した「弱者にやさしい施設」として、ＪＲ岡崎駅が「愛知県快適空間賞」を受賞した日が、平成４（1992）年１月29日のことでした。一般の利用者らの推薦を元に審査が行われ、ＪＲ岡崎駅は“公共交通機関”の部での受賞したというわけです。審査講評では、ホームと電車の段差が解消されていて、通路も広くゆとりがあり、快適なプロムナードといったつくりになっている、とのことでした。駅周辺の活性化、近代的なデザイン、そして弱者への配慮。平成２年の秋に生まれ変わった現在のＪＲ岡崎駅は、まさに、岡崎市の南の玄関口にふさわしい施設です。","","",
01,30,"ＪＲ岡多線が廃止された日だよ","岡崎市内を走る鉄道といえば、名鉄、ＪＲ、そして、愛知環状鉄道です。第３セクターとして全国でも数少ない健全経営を続けている愛環の誕生と共に、姿を消していったのがＪＲ岡多線でした。岡多線は、昭和45年、岡崎駅―北野桝塚駅間で貨物営業を開始しました。昭和51年からは、岡崎駅―新豊田駅間の旅客営業も始まり、市民の足となりました。しかし、乗客の伸び悩みで赤字路線となり、国鉄の廃止対象路線に決定。第３セクター愛知環状鉄道へとバトンタッチされたというわけです。「さよなら列車」は、ヘッドマークなどの飾りを付け、岡崎駅を午後１時37分に出発。昭和63（1988）年１月30日、ＪＲ岡多線は、最後の花道を走り、その歴史に幕を下ろしました。","","",
01,31,"愛知環状鉄道が営業を開始した日だよ","岡崎と高蔵寺（春日井市）を結ぶ鉄道といえば、皆さんよくご存知の愛知環状鉄道です。通勤、通学などで市民の足として多くの人が利用するこの鉄道が誕生した日が、昭和63（1988）年１月31日のことでした。旧国鉄の赤字路線整理の一環として廃止された国鉄岡多線の後を継ぎ、第３セクターの鉄道会社として再スタートしたというわけです。当時、沿線の人口は100万人を超えていたことから、西三河と尾張東部が１本のレールで結ばれることによる経済効果は絶大なものとして注目されました。運行初日の午前10時50分には、新豊田駅に集まった当時の愛知県知事・岡崎市長・春日井市長・豊田市長・瀬戸市長ら関係者が、沿線の活性化を願い、白地に赤と青のラインの入った真新しい車両の前で“がっちり”と握手する姿が新聞などで報じられました。","","",
02,01,"市立岡崎病院が若宮町に移転した日だよ","地域医療を支え続ける、皆さんよくご存知の岡崎市民病院。市民病院が現在の高隆寺（こうりゅうじ）町で開院したのは、平成10（1998）年12月28日のこと。それまでは、若宮（わかみや）町（現在、岡崎げんき館が建っている場所です）で市立岡崎病院として診療にあたってきました。市立岡崎病院は、もともとは県立岡崎病院という名称でした。戦争の影響で混乱が続いた昭和20（1945）年から数年間は、岡崎公園や戸崎町の工場敷地内などで診療を行ってきました。その後、病院は市に移管されることとなり、昭和23（1948）年７月１日に市立岡崎病院として生まれ変わります。そして、昭和25（1950）年２月１日に若宮町に待望の新病棟が完成し、移転したというわけです。ちなみに、移転当初の病床数（ベット数）は123床で、診療科目は内科、外科など10科体制でした。現在は、その５倍となる650床、診療科目は23科。これからも、市民の命を守る大切な病院として大きな役割を担い続けます。","","",
02,02,"岡崎の都市計画用途地域の種別を変更した日だよ","平成8年2月2日は、都市計画法の改正を受け、岡崎の都市計画用途地域を8種類から12種類に変更する愛知県告示がされた日です。用途地域とは、都市計画法により定められている地域で、人々が住む建物、買い物をする建物、働く建物などを地域ごとにグループに分けたものです。街づくりを進める上で、建築物をグループ分けすることは、環境や騒音といった問題の解決を図り、住みよい街づくりを計画的に行うことができるメリットがあります。この日の変更により、住宅系地域は従来の3種類から7種類に細かく分けられ、商業系と工業系と合せて12種類となりました。現在も、この12種類により、市内の用途地域を定めています。","","",
02,03,"大岡忠相が江戸町奉行になった日だよ","テレビでお馴染みの“大岡裁き”で知られる大岡忠相（おおおかただすけ）が、江戸町奉行に昇進した日が、享保２（1717）年２月３日のことでした。忠相は、８代将軍吉宗の信任も厚く、優れた官僚として江戸町奉行を19年間務めました。ところで皆さん、なぜ岡崎の記念日で、大岡越前守忠相の話を？と思う人も多いはず。大岡忠相は、晩年、旗本から大名に昇進し、宝暦元（1751）年に初代西大平藩主となりました。領地は今の大平地区をはじめ、額田・宝飯・渥美のあたりと考えられています。忠相自身は江戸常勤だったことから、家臣達がこちらにいるだけでしたが、忠相が藩主として建てた陣屋の跡地は、今も男川（おとがわ）小学校の西隣に残っていて、市が整備した門や築地塀（ついじべい）とともに、歴史をたどることができます。","","",
02,04,"ガラス工芸を学びに沖縄県石垣市を訪れました","中央クリーンセンター内のリサイクルプラザ。この施設の一角に、ガラス工房・葵があります。廃ガラスを再利用たこのガラス工房は、市民の人気の施設です。この工房の建設のアイデアのきっかけが、親善都市・沖縄県石垣市にあったことを知っていますか？　昭和56（1981）年、岡崎市の使節団が石垣市を訪れた際に、観光客にガラス工芸を楽しませているのを見たことがヒントになったというわけです。それから２年後の昭和58年２月２日から、市の清掃センター職員を含む使節団一行が再度、石垣市を訪問し、現地の伝統工芸センターなどで、ガラス工芸の技術指導を受けました。その成果として、昭和58年９月に八帖クリーンセンターで岡崎市初となる市民向けガラス講座がスタート。回収した空き瓶やガラス片の材料を、ごみ焼却の余熱で溶かすことで市民のリサイクル意識の向上も図り、その精神は現在の工房へと受け継がれています。","","",
02,05,"市内２１カ所を「ふるさとの森」に指定した日だよ","みんなは、「ふるさとの森」って知ってる？　ふるさとの森事業は、昔から市民が遊び、親しんできた大切な森をいつまでも残すために、所有者と市が協力して保存していこうという事業です。この「ふるさとの森」を初めて指定した日が、平成２（1990）年２月５日のことでした。当時、市が定めたふるさとの森の指定条件は、市街化区域内の500平方メートル以上の樹林であること。そして、自然環境や景観上優れていると認められることでした。最初に指定されたのは、六所神社や土呂八幡宮など２１カ所。現在は、合計で３８カ所が指定されています。ちなみに、岡崎市では「ふるさとの名木」の指定もあります。名木に指定されているのは、奥山田町のシダレザクラや、切山町の大スギなど92本です。間もなく春です。ふるさとの森や名木を散策してみてはいかがですか？　※公園緑地課のページで、ふるさとの森などの一覧表を掲載しています。","","",
02,06,"第１回高年者センターまつりを開催した日だよ","美合町にある高年者センター岡崎。このセンターの教養講座で学ぶ皆さんが、学習の成果を発表しあい、お互いの励みにしようと行われるイベント、それが「高年者センターまつり」です。その第１回が行われた日が、平成５（1993）年２月５日と６日のことでした。集会室では詩吟・民謡・老人ヨガ・大正琴などの発表会が、研修室でも書道・ペン字・折り絵・水彩画などの作品展が、それぞれ開かれました。参加人数は延べ300人以上となりました。そして今年も、今日と明日の２日間にわたって、「第18回高年者センターまつり」が開催されます。見学は自由。詳しくは、電話0564・55・0116へお問い合わせください。","","",
02,07,"沖縄の首里城扁額（へんがく）の複製を贈呈した日だよ","沖縄県にある世界遺産「首里城」を知っていますか？　15～16世紀に日本と中国の建築文化の影響を受けて建てられた赤い建物です。1902年、岡崎市の名誉市民である志賀重昴さんが、沖縄県を訪問した際に、関係者から扁額をもらい受けました。扁額とは、家の門や戸に飾る横に長い額のことです。その後、この扁額は、志賀さんの子孫から岡崎市に託されました。平成９（1997）年２月７日、岡崎市は、首里城を管理している海洋博公園管理財団へ扁額（へんがく）の複製を贈呈しました。首里城の扁額は、中国のアドバイスを受けて琉球王朝の技術者がつくったと言われ、琉球王国の資料として価値があるものです。","","",
02,08,"「水とみどりの森の駅構想」を発表した日だよ","水と豊かな自然に触れ合える「水とみどりの森の駅」。現在、森の駅は、「おかざき自然体験の森」、「茅葺（かやぶき）の里」、「おおだの森」、「くらがり渓谷」の４つがあります。これらの場所では、自然の大切さを感じるために、自然環境の役割を学んだり、体験したりすることができます。今年10月には、新しく５つ目の駅が仲間入りします。現在、淡渕町にオープンを目指して整備を進めている森の駅、その名も「わんPark」。この施設の広さは約4．6ヘクタール。子どもたちが自然の中でのびのびと遊べる施設です。完成したらみんなで遊びに行ってみよう！","","",
02,09,"太陽緑道のサクラの木にイルミネーションが始まった日だよ","太陽緑道（伝馬五丁目交差点の北側）にある、ひときわ大きなサクラの木を知っていますか？平成８（1996）年２月９日、 この高さ８メートルある巨大なサクラの木に、電球が飾り付けられました。サクラの木に飾った電球の数は、約８０００個。当時、てんま通り商店街協同組合が、歩道整備の完成を祝い、地域の活性化を目指して飾ったことがきっかけです。例年、このイルミネーションは11月末頃から１月末まで点灯しています。今年も、サクラやイチョウなどに約３万個の電球が飾り付けられ、街を照らしていました。","","",
02,10,"マルチメディアモデル都市整備事業の指定を受けた日だよ","文字や映像、音声などを自由に操ることができるマルチメディアの実用化に向けて、旧郵政省が進めていた「マルチメディアモデル都市整備事業」。平成６（1994年）年２月10日は、この研究都市の第１号に岡崎市が選ばれた日です。この事業は、技術やソフト開発のため設置された「通信放送機構岡崎リサーチセンター」と市内の小中学校を、ＣＡＴＶミクスの放送網活用などにより結び、マルチメディア社会に向けて進めていたもので、研究開発が３年間かけて行われました。","","",
02,11,"太平洋戦争の終結から３年、岡崎自治体警察が発足しました","今の岡崎警察署の前身である、岡崎自治体警察が発足した日が、昭和23（1948）年２月11日のことでした。岡崎自治体警察は、戦後の警察制度の改革に伴い設立されたもので、自治体警察の岡崎市警察のほかにも、国家地方警察額田地区警察、福岡・矢作・岩津の町警察が、同じ時期に各々発足しました。しかし、６年半後の昭和29年（1954）には、これらが愛知県岡崎警察署として統合され、現在に至っています。","","",
02,12,"本多光太郎博士が亡くなられた日です","碧海郡新堀村（へっかいぐんにいぼりむら）、いまの新堀町（にいぼりちょう）に生まれた、近代日本を代表する鉄鋼学者・本多光太郎（ほんだこうたろう）博士。東京帝国大学卒業後、ヨーロッパへ留学し、磁気学を学んだ本多博士は、帰国後、東北帝国大学教授に就任しました。同大学の金属材料研究所所長などをつとめながら、研究を続けました。中でも、大正5年には、それまでの4倍の強さを持つＫＳ磁石鋼（じしゃくこう）を、昭和8年にはさらに強力な新ＫＳ磁石鋼を発明。まさに、「鉄鋼の父」と呼ばれるにふさわしい人物でした。今日、２月12日は、その本多博士の命日です。本多博士が卒業した矢作南小学校では、本多博士の命日にあたる2月12日を「本多博士の日」として定め、博士の功績や生き方を学ぶ機会を作っています。博士の言葉「つとめてやむな」は同校の校訓です。","","",
02,13,"青木橋の架け替え工事が完了した日だよ","県道岡崎足助線の青木町と東蔵前町を結ぶ青木川に架かる青木橋。この青木川の架け替え工事が完成した日が、平成５（1993）年２月13日ことでした。新しい橋は、長さ58メートル、幅12メートル。歩道は、2.25メートルと以前の橋よりも約２倍広くなりました。","","",
02,14,"第１回ものづくり岡崎フェアが開催された日だよ","岡崎商工会議所が主催する「ものづくり岡崎フェア」。その第１回が竜美丘会館で開かれた日が、平成20（2008）年２月14日のことでした。会期は二日間。初日となった14日には、予想を上回る２千人の来場者でにぎわいました。会場内には、参加した63の企業や団体のブースが設置され、自慢の製品や技術が披露されました。電機、自動車、食品、印刷など、岡崎のものづくりの実績と将来性をＰＲするよい機会となりました。現在も、ものづくり王国“愛知”を支える三河地域の中核都市として、伝統ある岡崎のものづくりに大きな期待が寄せられています。","","",
02,15,"岡崎文学会の冊子「文藝岡崎」が創刊された日だよ","皆さんは、「文藝（げい）岡崎」を知っていますか？昭和58（1983）年２月15日、市民文学の草分けとして創刊されました。この冊子は、岡崎文学会が年１回発行し、随筆（ずいひつ）や評論など、市民の文藝を披露（ひろう）するものとして、広く市民に親しまれています。最新号は、昨年発行された第27号。随筆65編、創作・評論11編など多彩な作品が掲載されています。","","",
02,16,"現在の郷土館で、メートル法による裁縫講習会を開催しました","新編岡崎市史20巻総集編によれば、昭和８年の今日、２月16日から18日までの３日間、メートル法裁縫講習会が開かれたと記されています。場所は、岡崎市公会堂。いまの郷土館の建物です。日本は、明治18（1885）年にメートル条約に加盟しました。しかし、実際の市民生活においては、従来からの尺貫法がまだまだ根強く定着していました。今では当たり前のメートル法ですが、慣れない単位で長さを計り、着物などを仕立てることに困惑する市民の様子が想像できますよね。","","",
02,17,"石垣市に親善都市提携20周年の記念使節団を派遣しました","沖縄県石垣市。岡崎市と石垣市は、昭和44年２月に親善都市提携を結んでいます。石垣市との親善都市提携から20年が経過した平成元（1989）年２月17日に、岡崎市の使節団が石垣市を訪れました。一行の滞在期間は、21日までの５日間。石垣市役所を表敬訪問したほか、栽培漁業センター、製糖工場、伝統工芸館などを訪れ、交流を深めました。また、20周年を記念して、岡崎市から石垣市に寄贈した石製品の春日灯篭“友好の灯”の建立除幕式にも参加しました。提携のきっかけや交流については、あさって19日の「きょうは何の日」でご紹介しますね。","","",
02,18,"矢作川流域下水道の供用開始を発表した日だよ","矢作川流域下水道の一部供用開始を発表した日が、平成４（1992）年２月18日でした。供用開始は同年４月に西尾市から始まりました。全体計画によると対象は、岡崎・豊田・西尾・安城・幸田・幡豆・一色・吉良の４市４町。汚水を西尾市にある“矢作川浄化センター”で処理しようというものです。ちなみに、岡崎市内での処理開始は、翌年の平成５年４月から。対象区域は、南部地区の29町にまたがる310ヘクタール、6,330世帯でした。汚水の浄化、浸水防止と健康で快適な市民生活を送るために下水道の整備は欠かせません。今でも、岡崎市では、矢作川流域関連公共下水道の計画処理区域7,000ヘクタールの内、6,267ヘクタールの事業認可を得て整備を進めています。","","",
02,19,"沖縄県石垣市との親善都市提携に調印した日だよ","太平洋戦争当時、岡崎市奥殿学区出身の海軍特攻隊員が、石垣市にある大浜小学校に駐屯しました。その縁で大浜小と奥殿小の姉妹交流が始まりました。これがきっかけで、昭和44年（1969年）2月19日、石垣市と岡崎市が親善都市提携を結ぶこととなりました。当時、沖縄はアメリカの占領下で、親善都市の縁結びは本土復帰の願いも込められたものでした。ちなみに、昨年は提携40周年。岡崎観光夏まつりでの民俗芸能披露や、石垣市での記念行事の開催など交流が続いています。","","",
02,20,"岡崎げんき館で内覧会が始まった日だよ","若宮町にある「岡崎げんき館」。保健所をはじめ、屋内プール・スタジオ・トレーニングジムなどがある複合施設です。旧市立岡崎病院跡地を利用し、平成18年８月から約１年半かけて建設し、平成20年3月にオープンしました。このげんき館で、オープン直前に内覧会が行われた日が、平成20（2008）年2月20日のことでした。内覧会は、24日まで５日間行われ、大勢の市民が新しい施設の見学に足を運びました。もちろん、オープン以来、市民の健康を支える拠点施設として、年間を通して多くの人が利用しています。","","",
02,21,"市民病院で「純情きらり応援メニュー」が登場した日だよ","平成18年4月から9月までの半年間放送された、ＮＨＫ連続テレビ小説「純情きらり」。岡崎市を舞台に、女優の宮崎あおいさんや、俳優の三浦友和さんらが出演しました。そして、このドラマの放送を目前に控えた2月21日、市民病院の入院患者用給食に、ドラマにちなんだ特別メニューが登場しました。メニューの中身は、味噌だれステーキ、八丁味噌風味ご飯、主人公“桜子”をイメージした桜色のゼリーなど６品。メニューの説明やドラマのあらすじなどが書かれたプリントも添えられ、楽しいランチタイムを過ごしました。","","",
02,22,"松平親忠が大樹寺を創建した日だよ","鴨田町にある大樹寺。松平氏第四代、松平親忠（ちかただ）が、松平氏の菩提寺として、文明７（1475）年２月22日に建立しました。境内には、国の重要文化財である多宝塔、県の指定文化財である三門など、数々の文化財があります。また、松平氏初代の松平親氏（ちかうじ）から、家康の父である松平八代の広忠（ひろただ）までの墓が並んで奉られています。さらに、家康公が今川方として参加した桶狭間の合戦で今川義元が戦死した際に、尾張から逃げ帰った場所がこの大樹寺であったと伝えられ、家康公との縁の深い寺としても知られています。","","",
02,23,"太陽緑道に石碑を建立した日だよ","市街地の散歩道として人気のある「太陽緑道」。その名を刻んだ自然石の碑が建てられたのが、昭和52（1977）年の今日、２月23日でした。太陽緑道は、市役所西庁舎の北東（両町交差点から中町にかけての南北道路）にあります。岡崎市の木・ミカワクロマツを主にした植栽を施してあり、その木立の中を散歩できるようにもなっています。市街地の中の憩いの場というフレーズがぴったりの場所、それが太陽緑道です。","","",
02,24,"美術博物館で過去最高入館者数の4万2885人を記録した日だよ","高隆寺町にある美術博物館。平成13（2001）年12月から、50日間にわたり「カラバッジョ展」を開催しました。この企画展は、17世紀イタリアの巨匠であるカラバッジョの作品を国内では東京と岡崎だけで公開するという貴重な展示でした。この展示の入館者数が4万2885人を記録。閉幕した日が、平成14（2002）年２月24日のことでした。今でも、この記録は更新されていません。現在、美術博物館では、企画展「ロシアの夢 1917-1937」を開催しています。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。","","",
02,25,"「ふるさとの名木」を初めて指定した日だよ","樹木の所有者と市が協力し、その樹木を大切に保存していく「ふるさとの名木保存事業」。初めて「ふるさとの名木」を指定した日が、平成3（1991）年２月25日のことでした。対象は、市内の都市景観上特に保存する必要のある樹木。当時は、市の天然記念物18件を含む86件を指定しました。名木には、家康公お手植えとされる大樹寺のシイ、切越町の夫婦ヒノキ、東本郷町・飛鳥神社の大イチョウなどがあります。現在は、額田地区の名木を含む92本を「ふるさとの名木」に指定しています。","","",
02,26,"常磐保育園で新園舎の完工式を行った日だよ","市内北部にある常磐保育園。この常磐保育園に新しい園舎が完成し、新園舎の完工式を行った日が、平成16（2004）年２月26日のことでした。それまでの園舎は、昭和41（1966）年に建設されたもの。式典で園児らは、新しい園舎に目を輝かせながら、元気な歌声とともに園舎の完成を祝いました。新しい園舎は、実は、保育園に隣接する常磐小学校で空き校舎となっていた南校舎を改修して建設したものです。まさに、スペースの有効利用。小学校の敷地に保育園を建設したのは、市内初の試みとなりました。","","",
02,27,"市立岡崎病院で「救命救急センター」が完工した日だよ","地域医療を支える岡崎市民病院。「救命救急センター」が市立岡崎病院（現在の岡崎市民病院)に完成した日が、昭和57（1982）年の今日2月27日のことでした。このセンターは、重い心臓病（しんぞうびょう）や脳卒中（のうそっちゅう）、交通事故による頭部損傷（とうぶそんしょう）などの重症患者（じゅうしょうかんじゃ）を24時間収容する体制を整えた第３次医療機関です。ちなみに、市立岡崎病院に設置されたのは、県内で5番目でした。救命救急センターは岡崎市民病院に受け継がれ、さらなる技術や設備の充実に努めています。","","",
02,28,"矢作橋西詰めに「出会之像」を設置した日だよ","日吉丸（豊臣秀吉）と蜂須賀小六が出会ったと言われる矢作橋の伝説を知っていますか？伝説では、12歳で奉公先を飛び出した日吉丸が、矢作橋の上で眠っていたところ、武士の小六が通りがかり、日吉丸の頭をけったと言われています。そこで、怒った日吉丸が小六をにらみつけ、二人の運命的な出会いが始まったというわけです。この伝説にちなんだ石像の除幕式を行った日が、今日平成2（1990）年2月28日のことでした。石像は、寄贈されたもので、岡崎産の花崗岩（かこうがん）で作られています。高さは約４メートル。台座の上に日吉丸と小六が設置され、ちょうど日吉丸が小六を見上げてにらんでいる場面が表現されています。現在は、矢作橋工事のため別の場所に保管してあります。","","");
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