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ちかごろは「日本画」の世界がなかなかにぎやかだ。にぎやかといっても、日本画の絵そのもの以上に、「日本画」ということばをめぐる議論が一段とにぎやかなのである。
今年の春には跡見女子大や横浜市で、「転位する日本画」といった主題で相ついでシンポジウムが催されたりした。跡見の北澤憲昭氏、東京芸大の佐藤道信氏、それに私の大学(京都造形芸大)の天野一夫氏ら、いま元気な美術史家たちが中心となり、ずいぶんたくさんの批評家、美術館関係者もパネリストとなって、日本画の来歴と未来について討議したらしい。私自身は残念ながら雑用が多すぎて、参加することも、事前アンケートに答えることもできないでしまった。
要するに、「日本画」という呼び名は、明治になって西洋から油彩画の技法が移入され、それがしだいに地歩を固めるにいたって、その「洋画」に対抗するものとして日本の伝統的画法に与えられるようになった名前であり、その命名の当初からいわば国粋主義的な日本文化の独自性を強調する意味合いをになっていた、というのが最近の論客たちの主張なのである。「日本画」ということばには、そのようなイデオロギー性がまといつき、それは当の日本画家たちのなかにもひそみ、戦前のみならず戦後になっても、近年流行の用語でいえば一つの「制度」として日本社会の枠のなかに生きつづけてきている。「日本画」という名前もその「制度」をも解体してしまえ、と元気な史家、評家たちは唱えているらしい。
これは、少々荒っぽくいえば、明治から戦前戦中の昭和にかけての横山大観の作品と言行を考えてみただけでも、かなり妥当な説といえるだろう。大正から戦前昭和における村上華岳評価の言説は、むやみに彼の作品の「精神性」や「霊性」をあがめつづけ、画家自身も「画業は〈密室の祈り〉」などと書いたために、聖者華岳のイメージが戦後にまで尾を曳いた。東山魁夷にしても、戦前にドイツに留学したからといって哲人風の風貌をよそおい、みずからその作品を「自然によって生かされている」式のありがたい説法によって荘厳し、無数の善男善女に随喜の涙を流させた。この日本画画壇を支えて、日本画画商は国内限定のマーケットをつくりあげ、美術諸団体と相助けて明らかな「制度」を設けて、幾多の裸の王様を生みだしてきた。−それは確かだ。
しかし、だからといって、「日本画」の世界を解体してしまってよいものではないし、その価値と創造性を全面的に否定できるものではない。そのこともまた明らかである。横山大観にしても、先日名古屋で大回顧展が開かれた菱田春草にしても、西洋画法に学び、それを意識しながら、実にすぐれた、実験意欲に富んだ日本画作品をいくつも創りだした。村上華岳や土田麦僊は、さらに開かれた視野のなかで、日本伝統の画法と画題のもちうる普遍性の新しい表現を試みた。鏑木清方や上村松園の美人画は、いまニューヨークやパリにもっていって展示したとして、エキゾチシズムをこえてどれほどの理解と評価を得ることができるか、やや不安はある。だが、理解されなかったとしても、それはアメリカ人やヨーロッパ人の狭い洋画イデオロギーと無知」によるだけのことかもしれないではないか。
そして戦後の横山操の墨と淡彩による傑作群となると、これはすでに「日本画」の「制度」をもイデオロギーをもみずから突き破って、日本をこえて世界に向かって咆哮しているような作品といえるのではなかろうか。ことに彼の晩年に近い大作『瀟湘八景』(三重県立美術館蔵)などは、東アジアの900年に近い系譜をもつ古い画題を扱いながら、戦後同時代のどんな油彩にも劣らぬ新鮮で深遠な空間の表現に達していたと思われる。
すでにこの横山操の画業の時代から、いわゆる「日本画」といわゆる「洋画」との間の境界は、単に画材が岩絵具か油絵具か、紙や絹かカンヴァスか、膠を使うか否か、などのみの違いとなってきていた。少なくとも、表現の先端を競いあうすぐれた画家たちにおいてはそうであったといえるだろう。

槿山操≪烟寺晩鐘≫(瀟湘八景) 1963年 |

槿山操≪漁村夕照≫(瀟湘八景) 1963年 |
今年の夏8月9日から9月15日まで本館独自に企画展示する「現代の日本画−その冒険者たち」には、1950年代の横山操や堂本印象からいま40歳代の村上隆や会田誠まで、もっぱら日本画におけるその種の「冒険と実験」の特攻隊の面々の大作、問題作のみをよりすぐって陳列する。会場に入ってきた人たちは、「これが日本画か?」と驚いたり、あきれたりするような絵ばかりとなるだろう。梅に鶯、笹の葉に鮎、あるいは夜明けの富士山、燈下の美人、といった料理屋の床の間や、会社社長の応接間をかざっていた、あのちまちまと小ぎれいで思わせぶりな日本画は一点もない。
画題からいっても、画材からいっても、また画面のスケールの大きさからいっても、みな従来の「日本画」の観念や「制度」を打ちこわして、見るものに迫り、見るものを動顛させるような作品ばかりである。さいわい、私たちの館はどんな大作をもすっぽりと収める天井の高さと壁面の広さをもっている。一つ一つの作品とゆっくりと対面し、対話しながら、一千数百年の歴史をもつはずの「日本画」が、批評家たちのかしましい声に少しは耳を傾けながらもいまどのように変容し、なにを私たちの内奥に語りかけようとしているか、それを、よく見、よく聴きとっていただきたい。意外にも、いまの日本「洋画」の世界よりも、こちらのほうが奥深くて、自由で、面白い、ということになるかもしれないではないか。
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